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オザカラ

written on: February 17th, 1999

 「オザカラ」とは何だ。
 「小沢カラオケ」のことだ。
 すなわち、小沢だけを歌うカラオケのことだ。

 いつだったか、私に小沢を教えてくれた仲人さんである友人と一緒に、カラオケに行ったことがある。
 カラオケにたった二人ででかけたのである。
 もう、私が小沢にゾッコン惚れ抜いていて「らぶ」を貫いている時期なのは確かだから、少なくとも1996年の『球体の奏でる音楽』発売以降なのは間違いない。
 どういう理由でのカラオケだったか忘れたが、とにかく、私は「小沢が歌いたいんです!」とか主張していたような気がする。
 会社のカラオケでは小沢ばっかり歌うわけにもいかない。会社のカラオケはやっぱりおつきあいだから気持ちがどこか変で「歌」にならない。
 そんなストレスみたいなものが溜まっていて、「オレに小沢を歌わせてくれ〜」状態になっていたのだと思う。
 最初っからそ2人だけの予定だったのかは定かではないが、とにかくメンバーは本当に二人だけだった・・・。

 カラオケ屋に入って、飲み物など頼んで落ち着いて、それからなんとなく最初はやはり二人だけという雰囲気が落ち着かないけれど、まあとにかく曲を入れよう、というとき、たくさんのリストがある中で、「やはりここは順を追いますかね」というどちらからともない提案で1曲目にソロデビューの「天気読み」を入れたのだと思う。
 もしかしたら、1、2曲歌ったあとに思いついたのかもしれない。
 けれど、とにかく1曲目から順に歌っていこう、ということになった。
 「天気読み」、「暗闇から手を伸ばせ」、「昨日と今日」……、途中アルバムに入っていたシングルなどは若干順番が入れ違ったりしたかもしれない。けれど、とにかくアルバムの順、発表順に入っている歌は極力全部歌っていった。

 しかし、この歌い方はあまりにも苦しかった。一曲歌うごとに、小沢健二というその人の思いがググッと胸に押し寄せてくる。
 今まで何度も聴いたり、歌ってきたりしたのに、そうやって順番に歌うという行為は、まるで別物だった。まるごと一人の人間の数年に渡る歴史を凝縮した時間の中で歩むことになるのだと、途中から気づいて、苦しくて苦しくて仕方がなくなっていった。
 それでも止められなかった。
 アルバム『LIFE』までたどり着き『愛し愛されて生きるのさ』『ラブリー』と歌ったところで、私も、友人も涙まみれ鼻水まみれの惨憺たる状況だった。
 二人カラオケと言っても、マイクを交代するのではなく、マイクをオフにして、二人一緒に生の声でずっとカラオケに合わせてひたすら次から次へと流れる曲を歌い続けるのだ。
 マイクはテーブルの上、二人して画面を注視しながら、音を聴きながら、素の声で、小さなボックスの中で同時に泣きながら歌い続ける。
 はっきり言って異様だ。端から怖い二人組だろう
 でも止まらなかった。
 気持ちよくて仕方がなかった。
 小沢健二の人生を歌い続ける。
 その中にある真実を自分の身に感じて、彼の代わりに歌い続ける。
 泣きながら、ボロボロになりながら、ああ、このとき、小沢はこんなことを感じていたのか。そうだったのか。気づかなかった。
 この歌のこの歌詞には、こんな想いがこめられていたのか、気づかなかった。
 そんな発見をただひたすら歌うだけで何度となくした。
 途中、友人が席を立ったとき、私は"フリッパーズ・ギター"時代の最後の曲「Love and Dreams」を歌った。
 そしてその時、最初に「Love and Dreams」を聴いたときに感じた苦しいほどの哀しさはもう自分の中にないことにも気づいた。初めに聴いたとき、墓標を見せられたみたいで大泣きしたけれど、このときは、すでに、どこか淋しくても大丈夫だという気持ちにもなっていた。
 小沢にとってフリッパーズが「過去」であるように、私にとっても「過去」だと思えることが分かったし、痛みよりも、「懐かしさ」という甘い愛しさを、歌っていて感じて、その分、今の小沢がすごく好きなのだと改めて思ったりした。

 そんな風にひたすら小沢健二だけを歌って、何時間、ボックスにいただろう。アルバム『球体の奏でる音楽』までたどりついたとき、私たち二人はテンションあがりっぱなしで、相当にのどを酷使していたと思う。
 『球体〜』は、まだ新しいアルバムで、まだ小沢が生で歌うのを聴いたことがない曲ばかりだった。(だからこのカラオケはライブ前だったのだろう。違うかも知れないが・・・)
 だからだったか、メロディを聴こうと、ただ音を流して、アルバムで聴いた小沢の声を思い出していた。
 カラオケの伴奏は、音が今ひとつだったけれど、私たちは小沢にとっての『球体の奏でる音楽』がどんなものなのか、聴きながら考えてポツポツと話したと思う。カラオケというよりも、「小沢を語る」ことがメインだったかも知れない。小沢がいかに天才なのかを噛みしめていた。

 振り返ってみても、狂乱の宴だった。
 そしてそれはライブ一本見るのと変わらないくらいにテンションの高いできごとだった。
 はっきり言って「無茶」とも言える。普通のライブだって、MCを入れながら、2時間かけて20曲うたうかどうかだろう。
 それを、歌える限り、間をあけず歌い、しかも全部歴史を追いながら歌うのだ。
 ただごとではなかった。
 ひどく疲れて、そして満足のいくカラオケだった。
 こんな風に、まるで歌手か何かのように「魂」で歌うことができるなんて知らなかった。
 もともと、カラオケで小沢を歌うとき、私はどこか絶対妥協できなくて、下手なりに必死に小沢を追いかけて歌う癖…というか、そうせずにおれないほどに小沢を崇拝してしまっている故の頑なさがあるのだが、この恐るべき「オザカラ」は本当に濃すぎるくらいに濃い内容だった。
 以来私が、小沢をカラオケで歌うのに、小沢を脳裏で追いかけられる環境とテンションでないとダメになってしまった(といいつつ、歌うものがないときは歌うのだけど、後悔することの方が多い)というのはまた別の話だが、そんな風に小沢の歌が「崇高なもの」になってしまったイベントだった。

 一人のアーティストの歴史を全部追う。
 この心臓に悪い、けれど、たまらないほどの充足感のあるイベント。
 これはたまらん、と、実は私はボロボロになりながら味を占めてしまっていた。
 だから、その友人と帰り際、「また是非やりましょう!オザカラ!」と約束を取り付けた。

 あれから、小沢はいくつかの新曲を発表した。

 そこには、聴いて明かな変化がある。

 それを含めて、また「オザカラ」したら、それはそれは気持ちいいことだろう・・・。

 小沢の歴史を追いかけて、最後に『ある光』にたどり着く陶酔感。
 考えるだけで震えがきそうだ。

 オザカラ。
 はっきりいって最高です。
 そこの小沢ファンのあなた、是非おためしあれ。熱狂的に小沢が好きな、本当に気心の知れた友人だけで、3時間くらいぶっ通しでひたすら歌い続けてみてください。
 きっと泣きだす人がでるでしょう。
 そして小沢健二が、さらに愛しくなることでしょう・・・。


All written by Hiroki YONO, 1999, Tokyo JAPAN
<h.yono@iname.com>