photo diary
2005年8月13日  「 迎え火 」
2005年8月12日  「 息子、緊急入院 」
夜、息子が緊急入院。
残業後、「頭が重い。ふらつく」と訴え、上司から「タクシーで帰らせる」と連絡があったが、
息子の職場環境を考えると熱中症の不安がよぎり、念のためにそのまま救急車で病院に
搬送してもらった。
的中。診断は、「熱中症・脱水・過労」。
点滴1パックしてもらって帰れるかと思いきや、まだ足りないらしく、もう1パックして入院。
…当日の勤務中も5リットル以上の水分を摂ったらしいのに、なんつー職場。「女工哀史」
かよ…。
 
8月12日、養父の祥月命日でもある。
あのまま帰宅していたら、熱中症とも気づかず、盆休み明けにはまたあの職場へ戻り、
同じことの繰り返しだったかもしれない。「すぐ病院へ行け」と思わせてくれたのは、きっと
父だろう。好物だった「ハクレイ」の冷酒の封を切る。
迎え火代わりの蝋燭をともす。
 
自分自身が帰省後、暑気あたりか体調を崩して、
お盆の支度が何もできていない。
お供え用のきなこ団子は、毎年、息子が作るのに、
その本人は病院のベッドの上。
疲れ果てているのか、面会に行くと爆睡中。
担当の先生からは、もう少し入院を勧められる。
 
病院から戻っても、何もする気になれない。
とりあえず迎え火くらい…と思い着替えたものの、
よく考えるとこれって、12日にやることだっけ??
 
まあ、いいや。
12日、息子がピーポーピーポーに乗せられた時、
その赤色灯を見つけて、じーさんばーさん、皆
ダッシュで帰ってきたに違いない。
んで、ずっと病室で息子を見守ってただろ。
ウチに皆で帰ってくるのは、息子が退院する時で
いい。
私はちょっと淋しいけど、しょーがねぇか…(笑)。
2005年8月14日  「 退院 」
ぼんぼんです。退院しました。
気にしていただいて有り難う
ございました。
これからは熱中症にならない
ように気をつけます。
皆さんも気をつけてください。
 
       15日付掲示板より
ありがとうございました
おかげさまで退院いたしました。
掲示板やメールにてお見舞いの言葉をいただき、有り難うございました。
 
さ、頑張って今から、お盆のお供え団子を作ってくれっっっ。
じーさんばーさん、待っとるでぇ〜。
こき使われるのが会社だけと思ったら、大間違いぢゃ〜。水分補給はせーよ。ん。
2005年8月20日  「 忙中閑有 」
8月中旬、着物画像ほとんどありません。
息子があんなことになってなかったら、「お盆はコレ」
「親戚の墓参りにはコレ」と、夏の着物を楽しむべく
予定立てたりしとったんですが…。おじゃん。
退院後も会社側との話し合いが続き、あのお歴々
相手に着物着る気分にもなれず(姐さん系でビビらせ
ればよかったのか…。いや、口だけで十分ビビってた)。
話し合いはまだまだ継続しそーです。
 
←…で、コイツ、何してんのかっつーと、気温35度の
炎天下の野外コンサートへ行ってます。
本人、全く行く気はござんせんでした。自分の体力を
考えりゃ無謀以外のなんでもなく、まして息子が熱中症
でブッ倒れた後とあっては、なおのこと。
が、「行ってきたら」と勧めてくれたのが当の息子。
ストレスたまりまくりのハハへ彼なりの配慮、はたまた
「同じ目に遭ってこい」…?? (^^; かもな。
普通ならもう取れないチケットも、この過酷な日時で
余ってたのか、18日に取れてしまい…。
こんなのにでも付き合ってくれそな友達誘いました。
一人ではさすがに…。倒れたらどーする。
つまらないことを全部忘れて、楽しんできました。
コンサートもだけど、なんにもない空の下に身を
置いて、風に吹かれたり、雲の流れを見たり、
トンボの大群やセミに囲まれたり…。
普段の暮らしの中にも、そんな機会が多くあれば
もっとゆったりしたこころもちでいられるでせうね。
おまけ
「迎え火」で着てた浴衣、こんなのであります。
あの時は“迎え火らしい雰囲気”を重視して(笑)、柄もなんも見えておりませぬ。
(ポーズ違いの写真、少し明るくするとわかるだろーか)
黒に近い鼠色にやや薄めの鼠色で、水でも表しているのか緯糸だけで蛇行の染め。
よほど近付かないとわからんよーなソレに、あっさりナデシコ。
作った人の、「ちょっとひねってみたのさ。ふっ」みたいなトコが好きです(笑)。
 
下旬は頑張って着物着るべ…。
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