photo  diary
祝日に亭主も息子も休みで、三人揃って外食。
ここしばらく地味め・暗めの着物が続いてたし、
少し派手め@自分では思ってなくとも、世間では
そう認知されそーなモノにする。
案の定、亭主からツッコミが入る。
「あんまり派手なん着ると、嫌がるで」
「誰がぁ…(ガン飛ばしのオマケつき)」
「いや…、アイツが…」
「あの子は赤いのでも、『銘仙は慣れた』て言うとる。
  この程度、屁でもないわっ」
要するに、アンタが嫌なんだろー。
 
某イタリアンの店。
いつもホールスタッフにイタリア人らしき人が一人
はいる。カタコトの日本語でオーダーを取り、
「カワイイネ」と言われる。
ワタシのことぢゃないのくらい、わかっとる。
おべべでも「カワイイ」とオベンチャラのひとつも
言われりゃ、女は嬉しいもんぢゃわい。かかか。
2005年2月11日  「 オベンチャラ 」
息子同伴の時は、一応ハハらしくあまり悪目立ち
せんよーにと、心がけてはおる。
…おる…が、日に日に“派手・地味”のボーダー
ラインが曖昧になってきて、この銘仙も派手なのか
悪目立ちするのか、自分ではようワカラン。
(銘仙ばかは、凝った柄や多様な色使いが面白い
 と思うのみ。手がこんでてすげぇ〜とか…)
 
なんとはなしに、上に地味な色の羽織でごまかす。
2005年2月13日  「 女の現実 」
息子に誘われて梅田に出る。
もはや私を誘ってくれる男なんぞ、息子か亭主
しかおらん。
そんな気の利いた人がおったら、着物にウツツ
を抜かすこともなかったわいな。はぁ〜…。
出かけた先も老若男男、男ばっかだったけど、
声のひとつもかけられず。はぁ〜…。
11日の「息子同伴」「派手・悪目立ち」を教訓に
して、地味なおべべがマズかったのかねぇ。
んで、なんでこんな広告の前で写真撮ってんだろ。
「あなたの28才からを美しくする。」
45才はもう無理ですか…。
 
今日に限ってここまで“男”に執着するのは、街中、
チョコレートの紙袋提げた女だらけですからー!!
45才、脱力中。
それでも、とりあえず百貨店のチョコレート
売り場へ行ってみる。
人並みに亭主と息子に義理…もとい、世話
チョコを買う。
なんとなく華やいだ気分にはなる(笑)。
女の現実に呆然と立ち尽くす21才。
「これが現実か…」
 
ぼそっと息子がつぶやく。
な、なんだっ、その真実をえぐるよーな台詞は!!
君はバレンタインのチョコにどんな甘い夢を見て
たんだね??
そーさな、これが女の現実ってもんよ。
この何千円かの投資が、1カ月後にはブランド
モノのバッグだの、水色の小箱に入ったジュエ
リーに化けるっつー計算づくに決まってんぢゃん。
トイチの利息より恐ろしいんだからね。
君も気をつけなさいよ…って、義理チョコももらえ
ない人には関係ない話か。
けっけっけっ。
やっぱ、派手か(汗)
2005年2月15日  「 梅香る 」
今年は寒いせいか、去年の同じ頃より開花が遅い。
早咲きの濃い桃色が五分咲き、白梅は上の方が
三分、下の方はまだ丸くかわいらしい蕾。
淡い桃色の早咲きのは、まだほとんど咲いてない。
帯も嫁入りに持参の品。
もーかなり無理があるほど
派手だけど、これもばーさん
が支度してくれたもの…と、
供養ついでに締めてみた。
麻の葉の紬かなにか。
意外にこの銘仙には合う(笑)。
10日に写真を残しそこねた梅。
亭主が早めに帰ってきたんで、撮り直しに
出かける。
夜でなくても次の休みの日に…と思うも。
 
2月15日、養母の祥月命日。
小雨で養母の実家の墓所へも参れず。
だったら、遺してくれた銘仙でも着て、供養
モドキにしよーかと。
嫁入りに持参した銘仙はこれ一枚。
生地の風合い・柄・身丈から、多分、実母の
ではなく養母が着た品だと思う。
身丈142センチなのに、妙に身体にしっくりと
なじむ。
白梅の前で写真を撮りたいのに、
こんな無粋な立看板。
もーちょっとずらせよ…。
 
ウチは犬の放し飼いはしてない
けど、亭主はほったらかし(爆)。
しいたげられてもいたぶられても、
アホ嫁でも文句を言わんアンタは
エライ。
…と一応持ち上げといて、用事の
すんだ嫁はとっとと立ち去る。
10日に来た時、そろそろ工事が終わりそーな遊具があって、この日は遊べるよーになってた。
先客の中学生を追っ払い、意気揚々と挑む45歳のおばちゃん。
パッチのチラリズムに喜ぶお人はおらぬ。
まずはパッチをたくし上げて、いざ!!
「お、ハンドルハンドル♪ぶぅーん」
…さぞかし異様な光景であろう…。
「おー、いっちょまえにギアまで!!
  クラッチはどこぢゃ」
ギアをトップに入れる。
…人格変わる。
だから、家族にも私の運転は嫌われる。
ドライブも飽きた。滑り台にしよー。
う゛、くぐれん。遊ばせへんつもりかっ。
…怒る前に遊具の対象年齢を考えよう。
まさかばーさんも、あの銘仙がこんな乱雑な
扱われようをするとは、思ってもみんかったろう。
草葉の陰で卒倒しとるかもしれん。
けど、孫が社会人になるほど娘もええ年になり、
まだこの銘仙を着てるとも思わんかったろう(笑)。
 
ばーさん、心配するな。
もし、家が火事にでもなって、
「着物一枚しか持って逃げられん!!」
ような時には、この銘仙を引っつかんで逃げる。
人生の最期、四角い木箱に入れてもらう時も、
ちゃんとこれ着て、あんたに返しに行くから。
もうちょっと待っとってちょうだい。
大事な銘仙を預けてくれて、有り難う。
パッチより見苦しいモノがあることに
気がついていない、気分は3歳児。
おまけ
ちなみにここは京都市立貞教小学校。その土地柄が着物着用に影響しているかもしれない。
懐かしくなってネットでこの小学校を検索してみたら、ずいぶん歴史のある学校だったけど、
数年前、よその小学校と統廃合になったらしい。廃校までこの校舎は使用されていた。
…白いタイツを履けるなんて、こんな時くらいしかなかったあの頃…(笑)。
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古いアルバムをめくっていたら、こんなのもあった。昭和41年、私の小学校の入学式。
先日、「入学式・卒業式の装い」の話も出てたし、当時の着物着用率を検証(笑)。
保護者総数  36名
着物着用    27名
黒羽織着用   18名
なんとまー、わかりやすい数字が出た(算数にうとい私でも計算できた)。
保護者の2/3が着物着用、そのまた2/3が黒羽織。保護者の半分が黒羽織を着用してた。
(もっとも、カラー写真ではないし、全部が黒羽織かどーかはわからない)
やっぱり着物で参列する入学式って、おごそかでいいなぁ。