photo diary
2005年1月13日  「 炭水化物 」
【 1月13日の献立 】
朝ごはん 前の日の鍋の残りにご飯入れておじや
       揚げあんぱん
昼ごはん とろろ昆布うどん
おやつ   あべかわもち
晩ごはん スーパーの300円引のおすし
夜食    どん兵衛・きつね(特盛)
       カップしるこ
 
ちっと腹回りがキツイなぁと…おぱんつが食い込んで
ツライなぁと…、今日は何を食べたんだろーと書き出
してみたらコレでした。なんて食生活なんでせう…。
グラフにすれば炭水化物が突出しますわな。
毎日がこーではありませぬ(汗)。
もっとバランス良く食べまくっております
春まで封印のつもりだった体重計に恐る恐る乗ると、
ぉぉぉぉぉ、食欲がなくなりました。体重計ダイエット
 
それでもまだ、「うどんが食べたい」と言わんばかりの
ショットでございます。
先日、「伸びる素材ですっぽりきれい!ヒップ自慢」なんてぇ謳い文句のおぱんつ@Mサイズを
買いましたが、履いて3分で気分が悪くなり、でれーと伸びたいつものLサイズに履き替えました。
商品になんら落ち度はございません。ひとえにワタシの身の程知らずであった、とっっっ。
そーそー♪
「天上の青」の種が2粒採れました。…今頃。
花が終わってしばらくは気をつけて見てたんですが、
花数が少なかったせいもあって、種もほとんどつかず。
久々にまぢまぢ観察したら、1房(とゆーのか??)見っけ。
割ると中から小粒の種が二つ。
去年の酷暑や我が家の栽培環境を考えると、これでも
上出来、「命をつなごう」ってたくましさを感じます。
「天上の青」の種…から、原田知世の『青空の種子(そらのたね)』っつー曲を連想するのは、
私くらいのもんでせうか。詞がやさしくていい曲なんですが。
2005年1月17日  「 十年 」
震災の前日、私は大阪のツインタワーの
この喫茶店で、夫とお茶を飲んでいた。
なんで平日、仕事もあったはずなのに…
と計算してみると、15日の成人式が日曜、
16日はその振替休日というのか、ともかく
二人とも休みで出かけたんだろうと思う。
息子は館内を遊び回っていた。
 
何事もなかった。
いつもと同じ平穏な時間だった。
わずか半日後、あんな災禍に見舞われる
など、誰が想像できたろう。
 
十年後、再びあの店を訪れた。
何事もなかった。
けれど、吹き抜けのフロアに設置された
大型モニターには、震災から今日までの
映像がスライドショーのように流れていた。
阪神淡路大震災から十年目の日。
 
前の週からテレビでも全国ネット、関西ローカルを
問わず特番を組んでいる。
全国ネットは中越地震やスマトラ沖地震の災禍に
未だ苦しむ人を慮ってか、再現VTRを交え、極力
希望が持てるような番組構成だった。
関西ローカルは当時の取材内容そのまま、そこか
ら復興した人、頓挫した人、今、あの地が抱えてい
る問題についてまで、連日、克明に送っていた。
どちらが “いい・悪い” ではない。
ただ、あの日の揺れとその後を体験した身としては、
ローカルに見入っていた。
午前5時46分、黙祷。
この日、フロアでは古本市が催されていた。
目がいくのは、やはり着物関連の本。
ムック本とエッセイを1冊ずつ購入。
レジで精算をすませると、横にスマトラ沖地震への
ユニセフの募金箱が置かれていた。
申し訳程度に釣銭を入れる。
十年というのはたしかに節目ではあるけど、こうして
目の前に突きつけられる “今”。
そのことも真剣に考えねば…。
 
あの震災を体験した人にも体験していない人にも、
等しく訪れた十年という時間。
生きていればこそ…であったことに感謝。
 
 
…そのことに気を取られて、診療所に行くのを忘れ
ていた。薬が切れた。やべぇ…。
あの日のことを備忘の意味も込めて、ここに書きたい気持はあるが、「読みたくない」とお思いに
なる方もいらっしゃるかと思う。無理からぬ事情もおありだろう。
いずれ時期を見て書ける日がくれば…。
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