9月25日木曜日。朝6時に茨城町の宿を後にした。この日も空はどんよりと曇っていたがツーリングにはそのくらいの天候の方が向いている。しばらく行くと国道の左脇に何か記念碑らしいものが建っていた。自転車を止めて傍に近づくと黄門様こと水戸光圀公の千貫櫻歌碑だ。国道6号はもともと水戸街道だったもので、その頃このあたりには見事な桜並木があったらしい。碑文には「春風も 心して吹け散るわ憂し 咲かぬはかなし 花の木のもと」と刻んであった。当時なお隠然たる権力を誇っていた光圀公がやがては死に逝く自分の運命を櫻の花に喩えて「散るわ憂し 咲かぬはかなし」とその心境を詠んだのだろう、とその胸の内を推測しながらリュックからカメラを取り出し写真に撮った。この旅最初の一枚である。水戸市では偕楽園も見物したかったが寄り道をしている時間がないのでそのまま先へと進んだ。
その日の宿泊予定地は福島県のいわき市だった。そこまで行くには、ひたちなか市、東海村、日立市、高萩市、北茨城市を通らなければならない。自分の身体の中で一番自信があるのが足(足から遠ざかれば遠ざかるほど自信が揺らいでくる。頭髪などは若い頃の面影をまるでとどめていない。それを補うために無駄な抵抗と知りつつ髭など生やしている)で、この足が見事に期待に応えてくれている。日立市の長いだらだら坂を上るとき、これがだらだら坂かと左右のギヤーを使って余裕でクリアした。高萩市にさしかかる頃雨が降ってきた。リュックには付属の覆がついているから良いが生憎レインコートは持ってきていない。買うにも持ち合わせが少ないし、あったとしてもリュックはパンパンで雨具を入れるスペースなどない。そうかと言って半袖のままでは寒すぎるので洋品店「しまむら」で黒の長袖シャツと800円[汗]のウインドブレーカーを一枚ずつ買って当面の寒さをしのぐことにした。ついでにジーンズの長ズボン(持参)にはきかえる。幸い雨はそれ以上強くならなかった。次の休息地で気になって携帯電話を取り出してみたところ、案の定家内から2本電話が入っていた。出がけに「携帯電話のスイッチは切っておくからね」と言っておいたのだ。こちらから電話をかけると、骨折した箇所が痛み出したのではないかとか、泊まるところが無くて野宿したのではないかとか考えていたらしく心配しきった声が返ってきた。全てが順調にいっているから何も心配要らないこと、だらだら坂もクリアしたことを話して安心させ、先を目指して自転車に乗った。
雨は降ったり止んだりしていた。まだウインドブレーカーにしみ込むほどの量ではない。高萩市を過ぎ、北茨城に入る。野口雨情記念館と書いた古びた立て看板の脇を通る。子供の頃よく歌った童謡がふと頭に浮かぶ。間もなくして日が暮れ始めた。すると瞬く間にヘッドライトを点けた車両が行き交うようになる。自転車に点灯するがほとんど気休め程度で実際の役には立たない。その頃から幾つもの長いだらだら坂や急坂が始まるのだ。これまではギヤーの「1」は使わず、どうしようもなく辛い時のためにそれを残しておいたのだが、その残しておいた「1」を使っても上りきれない急坂がある。上りきれないというよりあまりにも繰り返えし出現するので 根負けしてしまうと言う方が当たっているのかも知れない。疲れが高じると急に眠気がさしてくる。疲れだけが原因ではなく加齢の所為で眠気を催すこともある。そういうときは早め持参したビニールシートを道路脇に敷いて横になる。目をつむって10分くらい横たわっているだけでまたシャキッとした気分になる。起きあがって一旦肩からはずしたリュックをもう一度背負うときは段差を探すのに苦労した。まだ段差の助けを借りなければ骨折部位が痛くて背負うことが出来なかったからだ。