前へ次へとっぷへ

シェフィールドの瞳(3/6)  亜村有間 (HP)

   7

「出口だ!」
 廊下の向こうに明かりを見つけたマリアは走り出した。そして、突然立ち止まった。
「そんな…」
「よお、お嬢ちゃん、お帰りかい?」
 入り口近くの柱の影から一人の女性が姿を表した。マリアはその特徴的な耳にまず
瞳を奪われた。
(エルフ…。魔法は通じないよね…。)
「アタシも焼きがまわったもんだな…。ハメットの旦那の言いぐさじゃないけど、こ
んなつまらない仕事に手を出すことになるとはね…。まあ、契約だからな…」
 マリアはそんなことをうそぶく相手を必死でうかがっていた。しかし、どこにも隙
はうかがえなかった。
「さあ、戻ろうか、お嬢ちゃん」
「ま…待って!」
 マリアは必死で叫んだ。
「えと…あの…その…あなた、お名前は?」
「名前?」
 相手は怪訝そうな顔をして眉を寄せた。
「エビル・ドラゴン」
(邪龍?)マリアはあきれかえった。(…こりゃ、絶対に偽名ね。)
「あ…あの、それから…えーと」
「時間稼ぎか? アタシは別にいいけど、それで困るのはアンタの方じゃないのか?」
(ダメだ! 見透かされちゃってる!)
 焦ったマリアは、思わず口を滑らせた。
「わ…私があなたを雇うわっ! 倍の料金で!」
「…なんだって?」
 どこか余裕を持ってこちらを眺めていた相手の目つきが急に厳しくなった。
「…そうか…あんたらはみんなそうだよな…金ですべてが解決すると…そう思ってい
るわけか!」
(しまった! 怒らせちゃった!)
 マリアは慌てて言い訳した。
「そ…そんなんじゃないわ!」
 相手の瞳に暗い憎悪と侮蔑の光が走った。
「哀れな奴らだよな…あんたたちには、それしかないんだからな…。」
「ちがうわっ!」
 マリアは、相手が目を丸くするほど、大きな声で叫んだ。いつの間にか、うろたえ
た気持ちはどこかに消し飛んでいってしまっていた。マリアは、純粋な怒りに突き動
かされて本心をさらけ出していた。
「あたしが…あたしがあなたにあげたいと思うのは…金でも…地位でも名誉でもない
わ…! そんなものだけで人を幸せにすることができないことは、あたし自身が誰よ
りも知っているもの!」
「それなら、なんだって言うんだ!」
 相手もいつしか本気になっていた。マリアを睨みつけてそう叫ぶ。しかし、マリア
はたじろぎもせずに睨み返すと宣言した。
「面白い仕事よ!」
「…は?」
 エルフは絶句した。
「他のすべてを捨ててもいいと夢中になれる…自分で自分の成し遂げたことを誇りに
思える…そんな仕事よ! …あんたさっき言ってたじゃない! 『つまらない仕事』
だって…。つまらないなら…つまらないならやらなきゃいいのよ!」
 マリアはそこでうつむいた。
「そりゃ…そりゃ…あたしたちが栄光を手に入れる影で、何かを奪われる人がいるの
は知ってるけれど…でも!」
 マリアは、そこでまた顔を上げて、きっ、と相手をにらみつけた。
「あたしのパパはいつだって本気で、自分の仕事に誇りを持って、闘っているのよ!
そして、法律ぎりぎりのことはしていても、いつだって、最後の一線は守って…本当
の犯罪者になる寸前で踏みとどまっているのよ! …あたしだって…あたしだって…」
マリアは、ぐっ、と奥歯を噛みしめて嗚咽を堪えた。
(こんなヤツの前でなんて…こんなヤツの前でなんて…絶対に涙を見せたりしない!)
 そのまま耐えていたマリアは、ぽん、頭の上に手をおかれて、ぽかんとして顔を上
げた。相手は小さく笑った。
「面白い仕事か…なるほどね、魅力的な提案だ…」
「それじゃ!」
 マリアは、ぱっと、顔を輝かせた。しかし、エルフはゆっくりと首を振った。
「だがな…契約を破るわけにはいかないんだ。」
「そんな…」
 立ちすくむマリアの耳に、こちらへ向かって近づいてくる男達の足音が響いて来た。
「…バカな契約をしたとは思ってるよ。言い訳でしかないけど、こんな仕事になるな
んて思ってもいなかった。だけどな…人と交わした約束だけは…それだけは守ってき
たのが、裏の世界に半分足を突っ込みながらも生きてきた、アタシの誇りなんだ。…
アンタは…わかってくれるかな?」
 マリアは真っ青な顔をしていたが、やがて、黙ったまま、うなづいた。エルフは、
小さく溜息をついて微笑んだ。
「そうか…ありがとうよ。ま、心配するな。あんたのことはこのアタシが守ってやる。
仕事さえすませば、傷一つ付けずに無事に家まで送ってやるさ」
「おおっ! よく捕まえくれた! 凄腕の傭兵との噂は伊達ではなかったな!」
 男の声を聞きながら、表情をなくしたマリアは、ぼんやりと小さな声で呟いていた。
「契約…契約…契約…けいやく!?」
 いきなり、ばっ、と顔を上げる。
「なんだ?」
 エルフは怪訝そうな顔で覗き込んだ。突然、マリアはそんな相手にしがみつき、大
きな声で叫んだ。
「ありがとうっ! マリアを守ってくれるんですって?」
「なにっ!」
 駆け寄って来た男たちは、ぎょっとして動きを止めた、そのままエルフに視線を移
す。
「き…貴様…まさか…!」
「…ち…ちがう…!」
 呆然としていたエルフは、やっとのことで声を絞り出した。
「そうよっ、違うわよっ!」
 マリアは再び大声を出すと、エルフの言葉を素直に肯定した。予想外の応援に意表
を突かれ、再び言葉をなくすエルフ。マリアは、相手の体から手を離し、くるりと回
転して男たちの方に向き直ると、両手を広げてエルフを庇うように立ちはだかる。
「この人は『一度した契約は破れない』と言って断ったのよ!」
 男達の間を冷やかな沈黙が支配した。
「それを…信じろと言うのか?」
「そ…そうだ! こ…こいつの言っていることは本当のことだ!」
 その言葉を絞り出した瞬間、エルフは自分が最後の駄目押しをしてしまったことに
気付いた。
「…結局流れ物の傭兵などを信じた俺たちが愚かだったということだな…」
「そんな! それじゃ、契約はどうなるのよ!」
 もはやマリアは嬉しそうな調子を隠そうともしていなかったが、頭に血が昇った男
たちはそんなことには気付きもしなかった。
「契約だと? ふざけるな! そんなもの、こちらから破棄してくれるわ!」
「あれま」
 マリアはわざとらしく無邪気な顔を作って、怒りで拳を震わせたままうつむいてい
る隣の女性の顔をのぞき込んだ。
「契約破棄だって。どーしよー?」
 相手が返事もできないでいるのを見てとったマリアは、ひょい、と胸の中から、契
約書を取り出した。すばやく必要欄を埋めると、無言のままエルフに手渡す。ちら、
と内容に目を通したエルフは、これまた無言のまま署名して乱暴に突き返す。
「いいか、一つだけ言っておくけどな、」
 マリアと一緒に走り出しながら、エルフな不機嫌な声で怒鳴った。後ろから追いか
けてくる男の数は次第に多くなってゆく。
「おまえのことは、最初っから気に食わなかったんだ! この詐欺師! ブルジョア
性悪娘!」
「そーお? マリアはあんたのこと結構気にいったけどなー。…それから、マリア一
言だってウソ言ったっけ?」
 もはや、言葉を交わすことにさえ嫌気がさしたのか、エルフは無言のまま、先回り
してきた男の方を睨みつけて、剣に手をかける。剣を鞘から引き抜く、キン!という
音が響き渡った。

<つづく>


前へ次へとっぷへ