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シェフィールドの瞳(4/6)  亜村有間 (HP)

   8

「な…なんて奴だ」
 すでに仲間の半数程度をジュディに倒され、男たちはじりじりと後退しつつあった。
なんとか気を落ち着けたシーラは、ふと、男たちの後ろに見覚えのある人影を見つけ、
はっ、と息を飲んだ。
「…あの人は!」
「ここは俺に任せてくれないか」
 静かな声でそう提案した青年に対し、男たちは警戒と安堵の入り交じった複雑な顔
を向けて道を開けた。どうやら、その青年は彼らの本来の仲間ではなく、特別に雇わ
れた傭兵であるようだった。
「ジュディ。彼はあいつらとは…違うわ」
「わかっています」
 ジュディは今までの数倍の速度でダッシュした。
「は…速い」
 男たちはあえいで、あとずさることしかできなかった。しかし…。
「ああーっ!」
 勝負は一瞬でついた。そう…青年の動きの方がジュデイよりも速かったのである。
「ジュディ!」
 シーラは慌ててジュディを受け止めた。
「に…逃げて! シーラ…」
 傷ついたジュディは小さくそううめいて気を失った。
「ふ…どうやら手駒がなくなったようだな…」
 青年を押し退けて前に出てきた男たちの一人がそう言った。
「手駒…ですって?」
 うつむいたまま表情を見せないシーラが低い声でそうつぶやいた。
「ジュディは、私の親友よ!」
「うわーっ!」
 シーラの周辺に集まりつつあった男たちは、一瞬にして跳ね飛ばされた。シーラを
突き動かしていた怒りは、男の言葉に対するというよりは、むしろ、ふがいない自分
自身に対する怒りだった。ジュディのときにはまだ、姿を確認することができたが、
男たちにシーラの姿を捉えることはできなかった。ただ、風の音だけが低く響いた。
「ぐっ!」
 青年は、僅かな隙間を開けて避けたつもりだった。実際、彼はその場にいる人々の
中で、ただ一人、シーラの攻撃の軌跡を見切っていた。しかし…その速度に肉体がつ
いていけなかったのである。
 青年が左手を押さえて片足をついたとき、彼の実力を知る男達の中から、驚愕と恐
怖を意味するどよめきが上がった。
「やるな…。そうでなくてはな! シェフィールド!」
 青年はこの場に登場して初めて笑みを浮かべた。それは凄絶な笑みだった。
「!」
 シーラが振り返った瞬間、そこに青年の鋭い一撃が飛んできた。シーラは両手を顔
の前に十字に組み、それをバネにしてかろうじて青年の足を受け止めた。しかし、受
け止めることが出来ても、うち消すことは不可能だった。シーラの体はそのまま後ろ
向きに宙に飛ばされ、凄まじい音を立てて壁にぶちあたった。
「あ…ぐ…」
 しかし、男がその場に飛び込んだとき、確かに床に倒れ込んだはずのシーラの姿は
かき消えていた。男は一瞬のうちに四方にちらりと目を走らせ、そのまま、ぱっ、と
横に体を投げ出した。その直後に、真上から飛び降りてきたシーラの一撃が入り、大
音響とともに床にひびが入る。もうもうと立ちこめる煙の中で瞬時に姿勢を立て直し
たシーラの足は明らかにふらつき、荒い息を吐いてはいたが、致命的なダメージを負っ
た様子はなかった。
 男もすでに立ち上がっており、一瞬だけ、二人はきわどいバランスの上で停止した。
ハメットの声が響いたのは、その瞬間であった。
「そこまでにしていただきましょうか」
 シーラは、はっ、と振り返った。ハメットの前に立つ男の腕の中には、気を失った
ジュディの姿があった。シーラは唇を噛んで相手を睨み付けた。
「おい、あんた、まさか、俺が負けるなんて思っている訳じゃないだろうな?」
 睨み付ける青年の視線をかわすように、ハメットは肩をすくめた。
「まさか。そのお嬢さんを傷つけてもらうと少々困る…それだけのことですよ」
 青年は、ふっ、と嘲笑した。
「それにしても、それで人質を取ったつもりなのか? その男がそいつを殺すような
素振りでも見せてみろ。その直後、剣を突き刺す寸前に、その男を絶命させてるぜ、
こいつは」
 ジュディを捕まえていた男は、ぎょっとして一瞬体を振るわせた。
「それは、あなたが防いでくれるのでしょう?」
 ハメットはこともなげに言い放った。
「…それにしても、シェフィールドのお嬢さんがこのような特技を持っていようとは、
私は思いもしませんでしたよ。しかし、あなたには全く何も驚く様子がない。少々後
で話を伺いたいのですが、よろしいでしょうね?」
 青年は、うろたえる様子は見せなかったが、その質問に答えようとはしなかった。
ハメットはすぐにシーラの方に向き直った。
「さて、そろそろ、観念して頂きましょうか?」
「観念するのはあなた達の方よ!」
 少女の声が鋭く響きわたった。
「なんですと!?」
 ハメットは慌てて振り返った。そこには腕を組んで厳しい表情をしたマリアの姿が
あった。
「やれやれ…」
 ハメットは苦笑した。
「例え逃げ出したとしても、この見捨てられた屋敷の周囲には誰もいない。魔法が使
えれば誰かに連絡をつけるぐらいのことはできるでしょうが、実際に人が来るまでに
は時間がかかる…。確かに他にどうしようもないでしょうが、たったお一人で何をな
さるおつもりですかね?」
「…もう、腕力だけで勝利が手に出来る時代は終わったって…それほどの猛者を抱え
ていながら、ただ一人のブレインとして経営難に苦しんでいたあなたが一番よく知っ
ているはずよ」
 マリアの声は、厳しくはあったが、勝ち誇ったようなものではなかった。むしろ、
事実を口にするつらさに耐えかねているようでさえあった。
「ふむ、家に調べさせましたか。しかし…何がおっしゃりたいんですかな?」
 ハメットの声が低くなった。
「十分前…」
 マリアは顔を背けて独り言のように呟いた。
「とある小さな会社が不渡りを出して倒産したわ」
「ばかな!」
 ハメットは初めて声を荒げた。
「支払いは…支払いの期限までにはあと一週間の猶予をもらったはずだ!」
「…その更に一時間前…」
 マリアはそこで耐えきれなくなったように一度言葉を途切れさせてうつむいた。
「その会社と取引のあったとある銀行では、事業内容に関する不正が発覚して数名の
役員が更迭されたわ。不正内容は、金融取引の不法な遅延措置。事態を重く見た上層
部は、即座に緊急事態を宣言。まれにみる異様な即断で臨時対策部を社内に設置、直
ちに『正常業務』を開始したということよ」
 微動もせずに真剣に聞き入っていた一同の中で、ただ一人唇を動かしていたマリア
が口を噤むと、あたりを完全なる静寂が支配した。
「くくく…」
 異様な笑い声に、ぎょっとした男たちはハメットの方を振り返った。
「なるほど…そうですか。それが…それがショートのやり方というわけですか」
「わかってるわよ!」
 その裏返った声を出したのはマリアだった。彼女は、ぐい、と目を強く一度だけこ
すって、ハメットを睨み付けた。
「ショートが…ありとあらゆる手を使ってすべてのカードを根こそぎかっさらってし
まったことは…。それでも…それでも、最初にルールを破ったプレイヤーはあなたた
ちの方なのよ!」
「…き…きさまぁ…!」
 男の一人がよろよろと立ち上がって、マリアに掴みかかろうとした。
「やめろ!」
 今まで一度も聞いたことのないようなハメットの鋭い声が響きわたった。男はびくっ
と硬直して、まるで身に覚えのない叱責を受けた子犬のような脅えた目つきでハメッ
トの方を振り返った。
「ゲームは…ゲームはもう終わったんです。…お願いですから、これ以上私を惨めな
気持ちにさせないで下さい…」
 男たちはみな無言のままでうなだれた。
「前にも言ったとおり…ショートは何も表沙汰にする気はないわ。もちろん、あなた
たちのためなんかじゃなくって、外聞が悪いからだけど…」
 マリアは聞こえないぐらい小さな声で呟いてうつむいた。ハメットは、そんな少女
の頭を、ぽん、と軽く叩いて、いっそさわやかな声を残して去った。
「聖母さまと同じ名を持つ方の心遣い…ありがたくうけたまわっておきますよ」
 マリアは目を堅くつぶったまま、じっとそこに突っ立っていた。
「あの旦那…こんな置き手紙を残していったぞ。急がなくていいのか?」
「…え?」
 きょとんとしたマリアは、いつの間にか隣に立っていたエルフから紙を受け取った。
『彼の目的は知らず。ただ、シェフィールドに縁のあることのみが確かなり』
「しまった! シーラ!」
 マリアは叫んであたりを見回した。
「…急ぐわよ! えっと…その…エビル・ドラゴン!」
「割り増しだぞ」
「当然、承知!」
 そう叫んでマリアは走り出した。

<つづく>


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