NO.24 1985年1月13日


●今号の目次●

1 公立化に向けて、今年もがんばります
2 文字を学ぶこと 尾崎光弘
3 会員の声・番外編 府川弓子


公立化に向けて、今年もがんばります

1985年を迎えました、私たちの運動も、この5月でまる4年、合わせて自主夜中もまる3年を迎えます。
この間、運動は大きな広がりをみせ、マスコミなどでの幅広い報道がなされているほか、支援の輪も着実に広がりつつあります。しかしながら、行政の対応は無責任なままで、これまでみるべきものがないのが実状です。
こうしたなかで昨秋からひとつの「うわさ」が流れてきました。担当窓口の学務課(島田課長)は否定していますが、区教委は「社会教育」として“識字”を考えているというのです。
この「社会教育で対応」という方針は、近年夜間中学設立運動と相対するかたちで、ほとんど例外なく各自治体から出されています。文部省の方針でもあるからです。が、どこでも例外なく失敗に終わっている政策でもあります。
たとえば、3年前に公立化を実現させた神奈川県川崎市でも、市教委は一方的なかたちで“識字”講座を開こうとしましたが、2人しか申し込みがなく、みごと失敗におわりました(川崎の夜間中学には、現在30人以上が在籍)。
「義務教育の問題は義務教育で対応」という原則は、単なる原則としてあるのではなく、それが夜間中学を必要としている人にとって「最低限度」ゆずることができないものだからです。
まだまだ長い「たたかい」が続くかもしれません。が、最後までくじけないで頑張ろうと思います。


文字を学ぶこと
尾崎光弘

1

自主夜中での授業の合間におばさんたちの話の輪に入っていくと、読み書きができなくて困った時の話など聞くことがある。それはある程度読み書きができるようになった「今だから話せる」というのかもしれないが、なかば「笑い話」のように聞こえてくる。じつにあっけらかんとしている。
しかし、私は当初、このおばさんたちの「読み書きができなくて困った話」を、自分の思いこみの中で過剰にその切実さばかりを受けとめてきた気がする。だからその思いこみが強いぶんだけ、おばさんたちの文字を獲得することの喜びを一面的に受けとめてきたのではないかと自戒している。そして、いつかしら、文字を学ぶことの積極面ばかりが前提になっていたのではないかと、おばさんたちの話を聞きながら考えるようになった。
つまり、文字を学ぶことはすばらしいという面ばかりが私の中で強調されてきたのではないかということだ。そこで、文字を学ぶことの消極面も少し考えてみる。

2

近代の義務教育制度は文盲率(非識字率)を減らすことを出発点においたといっても過言ではあるまい。そして、文字中心の近代文化の摂取ということが、これまでの奔流になってきた。その結果、文字を身につけ、読み書きができるのはあたりまえという意識は、人々の間でもはや不動のものになったように見える。
この流れは、読み書きなしで生きてきた人々を社会のすみに追いやってしまった。そしてついに、それができないことは恥ずかしいことだと人々に自然に思いこませるようになってしまった。
もう少しいってしまえば、近代文化を学ぶことは、人々をしてそれ以前の自分にとっての固有の文化をつまらないものとして否定、あるいは啓蒙の対象とみなすことを、さも自然であるように思いこませてきた。

3

こういう視点をたずさえて、おばさんたちの文字獲得の姿を見てみよう。
読み書きができるようになることが、いつのまにかそれまでの自分の人生を過小に評価することにつながっていないかどうか。それを点検することは重要だ。読み書きができるようになったけど、それまでの自分の人生はつまらないものだったということではおかしいからである。
もちろん、そんなことはないはずなのだ。読み書きができないことで困り、そのことを恥ずかしいと思ったとしても、辛抱強く家族のため、我が子のため、そして同胞のために生きてきたのである。つまるところ、「読み書きなんぞできなくても、ちゃんと生きてきたよ」ということなのだ。冒頭に述べたおばさんたちの「笑い話」は、このことの証なのかもしれない。こうした彼女たちの人生とは、けっして卑小なものでも、価値のないものでもない。
文字を知る喜び、そのことによって得られる現在の自分の再発見、これはすばらしい。しかし、その喜びの陰でおばさんたちが自分の半生を卑小化したり、私たちもそのことに無自覚であったりすれば、自主夜中の学びは公教育制度の補完物になり下がってしまう。それでは困る。やや大げさにいえば、私たちの学びは、学校を補完する〈教育〉ではなく、内容的にそれを相対化してしまう〈教育〉を目指しているのだから。
私は、文字獲得の積極面におぼれず、消極面にも注意深く目を光らせながら、おばさんたちと私たちの学びを深めていけたらと思う。


会員の声・番外編 自主夜中で得たものをみんなの「財産」に
府川弓子

毎週火曜日だけ自主夜中にくるSさんというオモニがいる。昨年の晩秋に彼女のお父さんが亡くなられ、通夜の焼香にいった。私は冠婚葬祭というものを「単なる儀式」のように思っているところがあって、そこに込められている人々の思いを大切にしていないところがある。その通夜の時も、儀式として参加したにすぎなかった。
しかし、彼女はたいへん喜んでくれたのである。Aさんを通じて、そして夜中で、電話でと3回もお礼をいわれたのだった。「母がとても喜んでました」と彼女はいってくれた。私のいいかげんな行動にさえ、こうして人としてあたたかく迎え入れてくれるのである。そんなことのくり返しの中で少しずつ、私の行動もまともになっていっていると思う。
つまり、自主夜中のオモニやおばさんたちのやさしさが私に、こんな人間のままではまともになれないという気持ちにさせているのだと思う。
でも、いつもおばさんたちに先を越されていて、それに甘え続けているわけにはいかないと思う。2年間もかけてそんなことがわかった。自分でも鈍いなと思う。これから人として真剣に向き合っていきたいと思う。

ところで、自主夜中には火、水、土とずいぶんたくさんの人が“講師(?)”としてきているのだが、何を考え、自主夜中で何を学んだのか、知りたいと思う。全員が顔を合わせて討論する場を設定することがむずかしいのなら、せめてこの場を使って意見交換をしてみてはどうだろうか。
十数人の仲間なのに、何も知らない人がいるのはさびしいことだ。おばさんたちからもらったものはたくさんあるはずだから、それを皆の財産にしていこうではないか。
なぜこんなことをいいだしたかというと、夜中のバザー前後から危機感を深めているからである。いろいろな制限のなかで、いろいろなかかわりがある。でも皆で決めた企画や行政交渉などは、できるだけ“参加”してほしい。会議などがあっても誰がくるかわからない。「こない」の連絡もない。バザー実行委はどんなに気をもんだことか。
大成功に終わったことは嬉しいが、マスコミなどにとりあげられていささか困惑している。多くの人の応援や期待もあったが、それだけに心の中に楽さが広がっていくのである。自主夜中の運動を担う私たちの主体的力量の弱さとますます広がっていく支援の輪との落差を考えてしまう私がおかしいのか……。
今後、ますます行政は狡猾にでてくるだろう。それに、私たちの小さな団体でも、まず人をかんたんにあてにするのではなく、対応しきっていかなくてはならないと思う。
みんな、夜中に参加した初めの頃とは、自分が変わっているはずである。おばさんたちとつきあうなかで変わってきているはずである(そう思うのは、私だけか)。それを出し合い、検討し合い、お互いを鍛え合っていきたいと、切実に思うきょうこの頃である。