NO.2 1983年2月28日


●今号の目次●

1 作文「わたしのお母さん」 平山文子
2 しょうかいします、自主夜間中学
3 江東区教育委員会の見解に反論する(上)


作文「わたしのお母さん」 平山文子

 わたしのおかあさんかおもいでわ
 おかえがなくてくるしかたのてすが
 こともいんばいたからしこともなくって
 くるしと、しかたないのてす
 わたしはしわせてすか

平山さんは仕事が終わると夕食の支度をすませ、すぐ自主夜中にかけつけます。「フーッ」とため息をついて鉛筆を握る姿。仕事の疲れをふきとばすような笑い。
そんな平山さんが「お母さん」を綴りました。自分の母を語り、すでに母となり孫もできた平山さんが「わたしはしわせてすか」と自問したとき、それ以上、鉛筆が進みませんでした。
文字にならなかった平山さんの思い――それは、これまで私たちの社会や学校がけっしてかえりみようとしなかった文化そのものです。


しょうかいします、自主夜間中学

きっかけ

私たちが「自主夜間中学講座」にふみきった直接の発端は、最近、念願の公立化が実現した奈良の天理、神奈川の川崎での長期にわたって地道につづけられてきた自主夜中の取り組みの成果に具体的な事実をとおして働きかけを行うことの必要性を痛感したことからでした。
私たちの会へも、結成後、ことあるごとに「いつできるんですか。1日もはやく学びたい」と涙ながらに訴えてくる切実な声がいくつも寄せられてきていました。私たちは、そういった人々をいつまでも待っていただくわけにはいかない、また、実数がつかめないという理由で調査すらなされないことに対し、私たちの手で夜間中学を求める声を作りあげようというのがそもそものきっかけでした。

始まるまで

規模はともあれ、ひとつの学校を運営するわけですから、当初やっていけるかどうか、そのことが不安でした。
まず、講師の確保と受講生の発掘が当面の課題となったのですが、講師のほうは幸い、地元の小・中学校の教師をはじめ多くのボランティアの強力の申し出をえ、開校に向けて具体的な準備を立てることが可能になりました。私たちは、その準備段階で、まがりなりにも「教育の場」と銘打つ以上、単に文字やことばを覚えるといった実利的なものの修得の場に終わらせるのではなく、そこに学びにくる人々の生き方にふれ、そのことを生きた尊い教材として私たちがまず学ぶなかで新しい道をいっしょに探ることができるような、共生・共感の場にしたいと考えました。
そして受講生のほうも、開校の受付の段階で6名のかたを迎えることになり、スタートすることになりました。
新入生の人々は、「永年、日本に在住しているので日本語は話せるが、漢字が読めない。読めるようになったら、いい本をたくさん読んでこれからの人生に希望を持ちたい」「自分はもういい年だが、同じ年格好の年寄りが何かスラスラとメモをとっているのなんか見るとくやしい」と語る在日朝鮮・韓国人の人々のほか、タイ、シンガポールの人々、中国帰国者の人々でした。
5月に開校して以来、この10か月ほどのあいだに、とくにこれといったPRもないなかで1人、2人と増え、現在では、学びたいと枝川の区民館を訪れた人は40名をこえる数にのぼっています。

いま教室では

いま、常時15〜20名ほどの人が学びに来ていますが、クラスを全体として(1)日本語の聞く、話すはできるが、ひらがなの読み書きができない人、(2)ひらがなの読み書きはある程度できるが、それ以上になると困難を感じている人、(3)日本語そのものができない人――の3グループに分かれて学習しています。
ひらがなの学習のグループでは、まず字に親しんでもらおうということから、ことば遊びなどを取り入れながら、楽しみながら学んでもらえるようにしています。
このグループには在日朝鮮人の人々がほとんどですが、私たちとのやりとりのなかのことばのひとことふたことが生活の重さとして伝わってくることをひしひしと感じます。
「何回やってもだめだね」「こんなバカによく教えるね」などといいながら、そして、なかには70歳をこえ、つえをつきながらこの区民館に足を運んでくる姿を見るとき、この人々をこの区民館に運ばせるものは、ただ単に文字を覚えたいというものではないものがあるように思えてなりません。
つい最近ですが、やはり在日の老婦人ですが、「自分の娘に朝鮮語を習わせたいんだ」とこぼしたことばがとても印象的でした。
もうひとつのひらがなの読み書きがある程度できるようになった人々のクラスでは、生活詩や、底辺に追いやられながらもしたたかに生きている人々の生活史を読み合ったり、社会におこっている家庭・教育など生活の1コマのできごと題材にとりあげながら学習しています。
漢字の学習という目的もありますが、そのことも含めて、そこに自分の人生を重ね合わせてもらうなかで引き出される固有の思いを、私たちは尊い宝物として共有していければと思っています。
さらに、この人々のクラスでは「ジュースの話」「やさいの話」「ウンコの話」などをとりあげながら、これまで常識であるとみなされてきたようなことをあらためて考え直すような学習をやっています。
このようなことを通じて、やってくる人々が、最終的にいいたいことがいえ、書きたいことが書けるようになり、同時にいいたいことや書きたいことの中身を広げ、深めることにつながるような場になってくれればいいなと思っています。


江東区教育委員会の見解に反論する(上)

前号で次回交渉は1月末か2月初めとお知らせしましたが、区の姿勢がかたく、まだ交渉がもてません。
さて、前号の交渉の記事で報告しましたように、区教委は夜間中学と日本語学級について非常に消極的です。
その理由については、
(1)夜間中学は45人学級で計算すると、都内8校でまだ余力がある。区どうしの分担(江東区が住宅の面倒をみるとか)もある。都教委が認めるかどうかもわからない。
(2)日本語学級(昼の小中学校)より、江東区でやっている日本語クラブのほうがよい。
といっています。

余力があるなんてとんでもない!

これについて、江戸川区立小松川二中で夜間中学を担当する松崎先生は次のようにいわれています。
「いまだって教員・講師増を要求し続けているんです。最近、とくに生徒の低学歴化がすすんで、一度に5人を教えるのがやっと。45人学級なんて、小規模でひとりひとりの学力がバラバラな夜間中学ではまったく現実ばなれしています」
「区どうしの分担なんてありません。第一、江東区にある(引揚者)住宅は特別区共有のものです。しかも江戸川区にはどちらもあります。
「区は都に申請さえすればいいのです」

夜間中学はあくまでそれぞれの区のもの

また、都教委・義務教育課の考え方は次のようなものです。
「夜間中学が都全体のものであるような考え方はおかしい。あくまでその区での必要に応じて設立されるものです」(以下、次号)