NO.4 1983年4月30日


●今号の目次●

1 作文 井田けい子
2 松戸に夜間中学をつくる「市民の会」が発足しました
3 自主夜間中学の風景 焼き肉パーティをやりました
4 会員の声 嬉しいこと、悲しいこと


作文 井田けい子

私しを、お笑い下さい。年は六十四才ですが、寒を年を恥も忘れて毎日毎日一に勉強二に勉強三に勉強、又五に勉強頑張ています。もう春ですね。鎌倉は梅が満開でした。四月、五月は陽気もよくなり、日本でも、一二番の名所鎌倉見物に、私と御一緒に行きませんか。私の家が逗子に、二件あります。夏は海水浴で逗子海岸は人で大変です、私は海や鎌倉が好きで一人でよく遊びに行きますが、漢字が。全然読めず、遊び歩いても。オモシロクモ、オカシクモ。カナシクモなんでもな。バカバカしお話です。昨年九月十四日始めて、枝川夜間中学校自主講座に、行きました。先生方々が真剣で漢字を教えてくれます。もう、參百以上覚えました、電車に乗って窓を見ると、看板の字が少しは読めますよ。

文字を知らなかった頃の井田さんは「シルバーシート」の意味がわからず、電車やバスに乗っても立ったままだったそうです。そんな井田さんが文字を知り、シルバーシートの意味を知ったときはじめて「老人に対するやさしさがわかった」と語りました。
何を学んでも新鮮な喜びとして受けとめる井田さん。作文の中にも必ず美しい自然が描かれています。
ロマンチストとは井田さんのことを指していうことばでしょう。文字を知ることによって、そのみずみずしい感性はますますふくらんできているようです。


松戸に夜間中学をつくる「市民の会」が発足しました

4月3日、千葉・松戸市の松戸市婦人会館で「松戸市に夜間中学をつくる市民の会」準備会が開かれ、全員の賛同をもって「市民の会」が正式に発足しました。

お隣の千葉県では、昨年82年度だけでも25人の生徒さんが東京の夜間中学に通っています。そして昨年4月、千葉県で初めての夜間中学が市川市に開設されました。ところが総武線の市川では、常磐線の松戸やその他の地域からは交通の便が悪くてなかなか通学できない状況なのです。そのため多くの生徒さんは東京の夜間中学へたいへんな無理をして通っているのです。
松戸市だけでも先ほどの25人中13人もの生徒さんが東京の夜間中学に通っているとのことです。
こういった現状から松戸では数年前から「松戸教育を考える会」が発足し、夜間中学の必要性を訴え続けておられました。
その運動を一歩進めるかたちで「松戸市に夜間中学をつくる市民の会準備会」がもたれたものです。
当日は、私たち江東区の代表も含めて、川崎や市川の代表、そして荒川九中からも今春卒業された岡田さんをはじめ塚原、政所両先生、またマスコミ、市民の方々の参加が得られ、たいへんな熱気の中で議事が進みました。そして参加者全員の賛同をもって「松戸市に夜間中学をつくる市民の会」が結成されました。
なお、当日なによりもうれしかったのは、夜間中学への入学希望者の方がさっそく名のりをあげ、準備会にも参加されていたことでした。
松戸のみなさん、私たち江東区の仲間とともに夜間中学開設に向けてガンバりましょう。


自主夜中の風景
もうすぐ開校1周年 焼き肉パーティをやりました

3月30日、3学期の“終業式”をかねて焼き肉パーティを行いました。
最初から自主夜中に通っている“生徒”の秋本さんたちが中心になって計画したもので、自家製のキムチなども並んでテーブルの上はいっぱい。「8kgも肉を買っちゃったんだよ」と秋本さん。「こんなにいっぱい食べきれるかなぁ…」。若い“先生”たちもビックリ。
パーティが始まりました、「きょうの焼き肉はいちばんおいしいや」。山本さんがつぶやきます。
「これはもう食べていいよ。こっちはまだだめだ」。まだ通い始めて間もない平山さんは、お母さんみたいに世話をやきます。
「平山さんも食べたら」というと、「私はいつも食べてるからね」。

こんなプレゼントしかできないけれど

自主夜間中学講座が開講してから約1年。いろんな人たちが枝川区民館を訪れました。さまざまな事情でこれなくなった人も少なくありません。
でもみんな、自主夜中をとおして知り合った“仲間”です。そして、この人たちにとって何よりも必要なのは、安心して学べる公立の夜間中学なのです。
1年間。公立の夜間中学を目指した私たちの運動は、残念ながらまだ“実”を結びません。自主夜中に通ってくる“生徒”さんたちに本当にうれしい「プレゼント」は贈ることができませんでした。
そこで私たちは、ほんのささやかなプレゼント、思っていることばを贈ることにしました。
○まちがいは、あなたの宝です
○今こそ、青春!
○勉強できてよかった
そしてみんなの願い「楽しい勉強を!」「いっしょにがんばりましょう」。
「ありがとう。額に入れてかざっておくよ」と秋本さん。「こういうのもらったのはじめてだ」。

洪さんが留学! さぁ、踊っちゃおう!

さて、第2部です。
4月から韓国に留学することになった洪さん。「1年か2年勉強してきます。また必ず自主夜中に帰ってきます」。ほんとうはそんなに長く自主夜中をやってちゃいけないんだけど……。
村田さんが中国の歌を歌いました。最初のうちは手拍子をしていたみんなも、もの足りなくなって踊りだしました。
「またやろうね、焼き肉パーティ」。本当に楽しいひとときでしたが、今度は公立化記念にやりたいなぁ。


会員の声
嬉しいこと、悲しいこと(さえき よしえ)

「帽子」を「ぼーし」と書くのはなぜ誤りなのでしょう? 書き順序は何のためにあるのでしょう? 自主夜中にくるたびに、こんな類の疑問にぶちあたります。私は既成の価値判断を鵜呑みにさせるための教育ばかり受けてきた(ような気がする)ので、今まで思ってもみなかったことを考えさせてくれる自主夜中の存在は、とてもありがたく貴重です。身の丈に余る難問にうなっている時間はつらいけれど、一方で生きている充実感のような喜びがあります。
悲しいのは、時々年齢や性別のことなど、負の要因としていわれることでしょうか。「年をとっているからダメだ」とか、「女だからダメだ」とか……。性別や生まれる年を選べる人は誰もいません。年齢や性別などでハンデがあるとすれば、それは生まれつきその人がもっているものではなく、人間の社会が作りあげた「嘘」にすぎないと思います。私は自主夜中では、その「嘘」をひとつひとつつきくずしていく勉強がしたいのです。
何でも思ったことのいえる楽しい自主夜中がこれからも続くことを願っていますが、「○○だからダメだ」ということだけは、あまりいってほしくない(考えてほしくない)と思っています。