NO.6 1983年6月30日


●今号の目次●

1 作文 わたしのおかあさん 安川ふじ
2 自主夜間中学の風景
3 各地の増設運動その後


作文 わたしのおかあさん 安川ふじ

親が生きてたときにもっと親こうこうすればよかったのにとおそすぎたいまとてもすまないとおもいます
てきれば故郷にある母のおはかでおあびできたらとんなにいいかいつも思います
死ぬまえに一度故郷へかえりたいと思います 今その願いで心がいっぱいです
ことばはららないけれとこのくらかうたのは先生のおかげでやっと字がかけました

安川さんは今年72歳になる。在日約50年になるオモニだ。ここに記された望郷の思いは、安川さんだけのものではないだろう。彼女は故郷の母の墓前で何をわびようというのだろうか……。


自主夜間中学の風景

赤い海

中級クラスで日本地図を使って都道府県名を勉強しているときのこと。黒い線だけ印刷されているので、特に込み入った入り江などはどこまでが海なのか陸なのか区別がつかない。そこで海に色を塗ることになったが、おばさんたち、あいにく赤鉛筆しかない。そこで赤い海ができあがった。
「赤い海なんてあるかな」と誰か。
「あるよ」と木村さん。
「いまでもあづま橋を通ると思い出すんだよ。戦争の時はまっかだった。火にあぶり出されて、みんな川に飛び込んだんだよ。そしたら、おぼれ死んでしまって――。ワタシャそこ通るといつも思い出す。そこで死んだ人たちが、桜の木が植えてあるところに埋められているんだ」。東京大空襲の時のこと――。

こん棒

少し早く仕事が終わったので、自主夜中の行われている区民館に早めに足を運んでみたら、平山さんが何かおもしろそうな話をしていた。どうも27年にあったメーデー事件の時らしい。若い平山さんも労働者の一人としてデモの隊列に加わっていた。横からデモ隊を規制しようとして警官がこん棒で平山―の前の人をずいぶんひどく突いていたそうだ。他人のことだけども、そのやり方が目に余るほどだったので、若い平山さんは警官にくってかかった。
「その棒は人間の腹をつつくために使うのか!」
と何度も詰め寄ったという。
数時間後には深川警察署に連行された。しょっぴかれる際の「罪状」は、おそらく「公務執行妨害」とでもいうのだろうが、平山さんも負けてはいない。警官のもつこん棒がどう使われたら正しいのか、市民の安全を守るべきこん棒がなにゆえに市民を痛めつけるために使われるのか、しかもこん棒の先でなんであんなに市民のわき腹が何度も突かれなければならないのか。こんなことをいったかどうかはわからないけれども、平山さんはそういうこん棒の使い方をした当事者である1人の警官を呼んでこいといってきかなかったそうである。しかし、なんだかんだと法律を建前にたっぷりとしぼられ、5時間も拘束されたのだという。

アリランの歌

初級クラスでおばさんたちから朝鮮語でアリランの歌を教わる。あとで日本語に訳されたものをやはり歌いながら勉強した。そこで終わらないのがこの学校のおもしろいところ。
「アリランて、どういう意味なの?」
「アリランはアリランだよ。ただ、そういうんだ」
アリランの歌はいろいろな人によって歌詞も増幅されているらしい。でも多くは、自分を捨てていった男を追慕する内容がよく知られているようだ。
「この歌、山で歌ったらさびしいよ、ホントに」
「葉っぱもふるえるくらいだよ」
「なんで葉っぱがふるえるの?」
「心がふるえるのよ。そして声までふるえて葉っぱにうつるんだ」
なるほど、アリランの歌の注釈をいろいろかたわらで聞いていた安川さんが、
「恋をしたことのないのは、歌でもうたっていればいいの」
これには一同、爆笑のうず。安川さんは若いときのことを思い出すかのように、はじめからしんみりと口ずさんでいたのでした。


各地の増設運動その後

千葉・市川の場合

お隣の市川市に千葉県で初めての夜間中学校が開設されて1年たちました。これは義務教育未修了者の教育への熱い思いと、市川市当局の誠実な行政努力とが結実されたものであり、全国各地の夜間中学増設運動団体にとってもたいへんな励みになっております。
ところが、開校された夜間中学は全国でも例を見ないほど厳しい入学制限がしかれ、入学希望者が入れず、東京の夜間中学への入学を余儀なくされています。
こういった現状に対して、市川教育を考える会は当局に対して要望書を提出し、明確な回答を求めていました。
そういった中でひとつの明るい話題があります。車いすでの入学を希望していた高橋さんの通学が認められたことです。学校の中にスロープを設けるなどして、受け入れ体制が整ったとのことです。
当分のあいだは週1回の研究生としての通学だそうです。高橋さん、がんばってください。

川崎では……

昨年5月、10年にもおよぶ設立運動が実り開設された川崎市立西中原中学夜間学級は、14名の生徒中、2名の卒業生を3月に出した。何十年ぶりに手にした卒業証書に喜ぶ2人をマスコミ各社がとりあげている。
そして、2年目の今年度は、一挙に生徒数が35名に増えている。潜在的な入学希望者の存在や夜間中学の必要性をうらづける数字といえよう。生徒数は今後も増えていくと予想されている。なお、新入生の中心は在日韓国・朝鮮人のオモニたちである。
このため西中原中学には専任教員1名が増え、専任3名、養護1名(プラス時間講師)という体制となった。
運動をすすめる「川崎の夜間中学を創る会」は、この夜間中学を、さらに生徒の立場に立ったよりよいものにするために活動中で、「中途入学」「入学資格」「PR」などの問題で教育委員会に要望書を提出しており、交渉が続けられている。