NO.7 1983年7月31日


●今号の目次●

1 作文 木村君子
2 自主夜間中学の風景
3 各地の増設運動その後


作文 木村君子

それから。うちへ。もってきた。こともたちわ。おおよろこんて。はやく。ふかした。はいはい。いますぐ。ふかしてあげるから。まっててね。やがて。ふきあがた
五にんお。ことも。たちわ。おいしそに。たべました。そのしき。こともの。かおみて。なみたが てて。がまんが。てきなかった。ことも。たちに。みつから。ないよに。むこへ。むきましたおかあちんも。たべなさい。うへの。女のこが。いました 私が。だべらだら ないのて。いのよ。おおちんわ。さき。たべたから。いいのよ しんばいしないて 
ほんとに。つらかた。おもいててす

おなかをすかせている子どもよりも先に食べる母親など、この世にはいまい。親は思いのたけを子にそそぐ。


松戸市の夜間中学設立運動順調にすすむ

千葉県松戸市では4月に「松戸に夜間中学をつくる市民の会」が発足。藤田恭平氏(評論家、月刊「教育の森」初代編集長)が代表となり、6月に教育長に要請行動を行いました。
教育長は夜間中学の必要性を十分認めながらも、「中学校のマンモス化解消対策、教員配当などでの県との話し合い、生涯教育としての夜間中学」などについて検討が必要なので「もう少し時間をかしてほしい」とのべ、夜間中学の問題が市の検討課題となっていることをあきらかにしました(松戸夜間中学ニュース)。
なお、松戸の「市民の会」でも自主夜間中学開校が検討されているそうです。


会員の声 奥田くん(明治大学)

自主夜間中学に参加して約4か月になる。はじめのうちは照れと、単純に教えることの難しさと、そして教材をなにも用意してこなかったことなどからかなりとまどった。
そのうちに、自主夜間中学の雰囲気になれてくると、さまざまなことが頭の中に入ってくるようになった。そんなことのひとつに「いつまでたってもダメだね」とか、「今ごろになって勉強して」などというようなハルモニたちのつぶやきがあった。これはとても重いことばだった。僕にとっては、元来違う環境、あるいは境遇で生活してきた人々の中で時を過ごすことはとてもしんどいことであるのだが、その環境差が今回のように決定的であると、しんどさは辛さや痛さにまで化す。さらに、その治療方法がはっきりしないことから生じるいらだたしさも混じる。それらを、見事なまでにほぐしてくれるのは、ハルモニたちの態度である。あくまで対等の関係で接しようとする(してくれる)ハルモニたいの優しさは、痛みを、原因不明のエネルギーにまで変えてしまう。要は、その使い方であろう。
僕の生活する日常の環境は、相変わらず厳しい。そして、紛れもなく僕はその環境を作る一人である。その一人は、いったい何を話し、何をすればいいのか。その答えを求めて枝川にきたような気がする。しかし、答えはまだ出ていない。


自主夜間中学の風景

赤ん坊と嫁

初級クラスでのこと。「あせ」と「あぜ」とは、文字にしてみれば濁点があるかどうかというわずかの違いにすぎないが、オモニにとってこれらの発音を使い分けるのは容易ではない。発音の練習をしながら、「あぜ」とは何なのかの話になっていった。それは田んぼの畦道の「あぜ」のこと。
「あぜ」というと思い出す。当方が小さい頃、母親が田んぼで田植えか草取りかは覚えていないが仕事をしているとき、子守がいないので当方はリンゴ箱の中にボロ切れなどを敷いたその上におさめられていた。母親が近くで仕事をしているうちはいいが、だんだん遠くに離れていってしまうと、おしめをぬらしてもいないのにワーワーを泣いて困らせたという話を母親から聞かされたことがある。こんな話をしていると、山本さんが戦争中に地方に避難していたときのことを語ってくれた。
山本さんが見かけたのは、赤ん坊がやはり当方と同じように「あぜ」に置いておかれるのだが、いくら泣いても親はちっとも赤ん坊の傍らにいってあげないという光景だった。それを見てどうにもかわいそうでしかたがなかったという。「ワタシらはそういうことはしない」というのだ。
それから、どうも見かけたところ田植えをしている若い女性は町からきた嫁らしい。田んぼの端から端まで苗を植えていくと、他の人たちはみんな「アーア」といって腰を伸ばして向きを変えて田植えを始めるのだが、その嫁はつらそうに腰さえも伸ばせないでいた。山本さんはそのとき、こう思ったそうである。――この嫁は、夕方家に帰れば家の仕事もしなければならない。そんなことをしていれば死んでしまうのじゃないか、と。
「韓国では、女性は大事にされるの?」
韓国では女性は家で仕事をすることが多いから、赤ん坊なんかは家にいることができる。外の仕事は男がやるんだという。じゃ、女性は大事にされているのかというと、そうではないらしい。年寄りは大事にされるそうだ。家事労働はそれこそ外の仕事にもまして忙しくつらい仕事も多い。というのは、服をつくったり、とれた米を俵につめたり、なんでも作ってしまうからだそうだ。

輝きと暗やみ

中級クラスで石垣りんの「空をかついで」という詩をやりました。大人たちはこれまで世の中の辛さや喜びをたくさん重くなるほど背負って生きてきた。そしてそれを子どもたちに伝えるというとき、ただ伝えるのではなく「移しかえる」のだという。自分たちの背負ってきた生きることの重たさ、その輝きと暗やみをそのまま移しかえなくてはいけないのだ。それゆえに少しずつ少しずつやらなくてはならないという。皮相な理解かもしれませんが、これは子育てや教育のやり方をも深く考えさせてくれる詩でもあります。
おばさんたちの子育てについての考えも出てきました。多く一致するところでは、やはり親が子に伝えたいことがあるとしたら、それは大きくなってからいっぺんにやっても無駄なこと。小さい頃から傍らにいて少しずつ教えなければならないという。そういうふうに育てていけば、子が親を裏切ることはない。
近代の学校は、それまで民間で行われてきた習俗としての子育ての方法を捨てた。そして集中的に西欧文化の摂取を強要してきた。そして子どもは親元を離れ、ものしりになっていけばいくほど、自分たちの親を見下し、つまらないものとさえ感じさせることになった。やはり子はいつでも親に向き合えるようにならなければならないのだろう。
世の中には「輝きと暗やみ」があると、この詩は教えている。テレビでは「一家心中」や「無差別殺人」など心を痛ませる記事が断続的に報道されている。「暗やみ」にはことかかない。では「輝き」はどうであろうか。これは探すのにひと苦労する。そこでみんなに訊いてみた。そしたら間髪を入れず、高梨さんが「ここですよ」という。はじめは何のことかわからなかったが、すぐに合点した。この自主夜中が世の中の「輝き」だという。そういうふうに見てくれていたことがとてもうれしい。


1学期の終業式

7月27日(水)、午後6時30分から1学期の“終業式”を枝川区民館で開きました。「教師」「生徒」たち24人が出席。次に紹介するのは、「生徒」のオモニたちの感想です。
「字を知らないとき、駅で切符を買ったら、これは子ども用といわれたの。今は“おとな”“子ども”がわかるようになってうれしい」(木原さん)
「朝、新聞を読むのが楽しくってね。この頃はテレビを見る時間がうんと少なくなっちゃった」(秋本さん)
「いままで漢字がぜんぜん読めなかったのに、少し読めるようになりました。休んだときに1人でもやれるやさしい漢字の本があるといいね」(葉山さん)
「自信を持って書くと、字がきれいに書けるんですね。まるで自分の字じゃないみたいに」(林順花さん)
「家で“おふろわかして”と書いたの。1つだけ“わ”を“は”と書いちゃったけど、子どもに、“オモニ、上手に書けたね”とほめられちゃった」(金田さん)
……などなど。
自主夜中は8月8日までお休み。2学期は8月9日からです。またガンバロね!