NO.10 1983年10月31日


●今号の目次●

1 9.25夜間中学・日本語学級を考える集い報告
2 決議文
3 自主夜間中学の風景
4 こらむ・えだがわから…


9.25夜間中学・日本語学級を考える集い報告

9月25日、江東区富岡区民館で「夜間中学・日本語学級を考える集い」を開きました。私たちの運動をより多くの人に知ってもらおうということと、この集会のエネルギーをこれからの対区交渉のバネにしていこうとのねらいによるものです。当日は雨模様にもかかわらず、自主夜中の「生徒」や川崎。市川・松戸の仲間など50人が参加、すばらしい集いとなりました。

集会では冒頭、作る会からの経過報告が行われ、この中で江東区の運動が多くの仲間に支えられて着実に広がりつつあること、夜間中学を必要としている人が江東区にはたくさんおり、切実な学習要求をもって自主夜中に通ってきていること、にもかかわらず行政はなんの手だても講じようとしないこと、などが訴えられました。
続いて荒川九中の見城先生、小松川二中の松崎先生、日本語学級を考える会の菊地さんによるミニ講演。見城・松崎の両先生は、永年夜間中学の教師として教壇に立つなかで、現在の夜間中学が抱えようとしている数々の問題点を指摘、同時に江東区にこそ夜間中学が必要だと強調されました。また菊地さんは、日本語学級の子どもたちの明るさ、悲しさを自分との関わりのなかで話し、「この子たちのために日本語学級の充実が大切だ」と訴えました。
各地の夜間中学の卒業生や生徒も大勢応援にきてくれました。
作る会のメンバーでもある西村さんは小松川二中の卒業生。西村さんは東北地方の農村に生まれ、一応中学の卒業証書をもっていましたがほとんど学校へはいかず、読み書きが十分できませんでした。
「小・中学校ではもっとやさしい勉強をしたかったのに、いいだせないまま“卒業”させられちゃったんです」
東京での苦労はたくさんありましたが、腕を痛めたことで決心して夜間中学に入学、「ここで初めて“勉強した”って感じでした」。「義務教育というのは卒業証書を出すというだけでなく、わかるような教え方をして初めて義務教育といえるんじゃないでしょうか」。西村さんの鋭い指摘です。
昨年開校した川崎の夜間中学(西中原中学)からも乗川さん、北嶋さんの2人の生徒が参加。自らの生い立ちや夜間中学の教室風景などを話し、江東区の自主夜中に通うオモニたちに、「君たちもやらなければ」と勇気を与えてくれました。
集会は最後に(1)江東区にはやく夜間中学の設置を、(2)その夜間中学に日本語学級の設置を、(3)深川八中・枝川小に専任教員をおいた日本語学級の設置を――との決議文を採択。今後、多くの賛同団体を募って区や関係機関に対してこれら3項目の実現を要求していくことを、全員の賛成で確認しました。

また、この日参加された都立大学教授の小沢有作さんから「ぜひ大学のゼミと交流を」との提案があり、今後計画を煮つめていくことになったほか、大きな盛り上がりを見せた二次会では「先生と生徒みんなで1泊旅行を」との声が「生徒」からあがり、来春にも実現しようということで積み立てを行うことになりました。


決議文

私たち江東区に夜間中学・日本語学級を作る会(以下「作る会」)は、
(1)江東区に公立の夜間中学を作る
(2)その夜間中学に中国や韓国などからの引揚・帰国者のための日本語学級を設置する
(3)同引揚・帰国者子弟が集中する区立の枝川小・深川八中に専任教師を配置した日本語学級を設置する
という3項目の要求実現をめざして、これまで対区議会請願、対区教委交渉、自主夜間中学開講などの具体的行動をとおして江東区における夜間中学・日本語学級の必要性を関係各方面に訴え続けてきました。しかし、設置主体である区理事者側は、夜間中学については「現在都内に8校ある夜間中学には余力があり、江東区には作る必要性はうすい」、また小中学校の日本語学級については「現行の日本語クラブで十分」などの理由をあげてその設置を拒み続けています。

そこで私たちは再度、以下の3項目について区教委に要望します。

1 江東区に早く夜間中学を設置してください。

区が「余力がある」と判断した既設の夜間中学は単に数字上のこと(1学級45人とした場合)であり、実態無視の暴論です。現在、都内の夜間中学には生徒約10人に1人くらいの割合で教員が配置されている計算ですが、ひとりひとりの学力に大きな開きのある夜間中学ではこれでも精一杯で、さらに教員の加配が求められているのが実態です。さらに「作る会」で運営している自主夜間中学には現在まで50人近く学びたいという人が訪れています。最初6人でスタートした時に比べると大変なふえ方です。これは江東区に夜間中学を必要ととしていることの十分な証です。

2 江東区に夜間中学を設置したら、そこに日本語学級を併設してください。

江東区においては現在、昼間の「日本語学級」が大人向けに開設されていますが、働いている人々にも門戸を開放すべきです(中・働いている人は昼の学級には行けません。その人たちにも機会を保障するため)。

3 枝川小・深川八中に早く専任の教員を配置した日本語学級を設置してください。

小中学校の現場においては年々中国帰国児童が増えています。そればかりではなく普通学級での不適応現象も目立ってきています。これは「ことば」の指導だけではどうにかなる問題ではありません。どうしても十分な時間をとってこの子どもたちと対話し、家庭とも密接に意思を通じ合わせなければ解決できない問題です。しかし現在の「日本語クラブ」という講師制度では「ことば」以外のこういった指導が困難なばかりでなく普通学級の担任との共通理解も時間的制約上なかなかむずかしい面があります。早くこの講師制度を見直し、専任化に向けて誠意ある検討をされることを要望します。

右、決議する。
 1983年9月25日
 9.25夜間中学・日本語学級を考える集い


自主夜間中学の風景

親の心にそむいて

始業時刻がきても今日は集まりがいまひとつ。外は大雨だ。そこで、みんなが揃うまで、いまはやりの『矢切の渡し』という歌を初中級合同で勉強した。「つれてにげてよ、ついておいでよ」という文句がある。
「こんなせりふ、一度はいわれてみたいね」と誰か。
「私はあるよ」と、木村さん。
「えっ! ほんとう?」
すかさず木村さん――「こんなセリフいわれたことない人は、歌でもうたっていればいいの」と手きびしい。それでも若い頃を思い出してか、この文句を気持ちよさそうにうたっていました。

一番の歌詞のおしまいに「親の心にそむいてまでも、恋に生きたい二人です」という文句がある。突然、高梨さんが「先生! こんな歌やってなんになるんですか! 親の心にそむくなんて……」と怒りだしたのだ。全体が一瞬ピリッとしたようだった。高梨さんの思いとは、なんだろうか?

人間になる

授業中のことだ。初級クラスの生徒さんのノートを見たら、漢字がびっしり書き込まれてあった。「もうこんなに漢字やってるの?」と聞いたら、山本さん。「これでやっと人間になったんだよ。ワッハッハッハ」と。「えっ、それじゃ、前は人間じゃなかったの?」と聞いたら、自信をもってこう答えた。「そうだよ」と。
この山本さんのことばを聞いて、当方はある被差別部落のおばさんの話を思い出した。それは、「字を知ったら人間ゆがむ!」という文字学習に対する鋭い批判だ。
在日を生きてきたオモニである山本さんのいう〈文字を知る以前は人間ではなかった〉という見方と、〈文字を知らないほうが人間らしさを失わないのだ〉という部落のおばさんの見方は、相対立している。どちらが正しいというのではない。たぶん、どちらも真実なのだ。
人間にとって文字を知るとはどういうことなのか? 読者のみなさんはどう考えますか? こんな本質的な問題を考える機会が日常の場面にいくらでもころがっている。これが自主夜中らしさかもしれません。


こらむ・えだがわから…

2 社会教育

公立の夜間中学増設運動をいうとき、行政側は必ずといっていいほど「社会教育」で対応ということをいう。
その理由は、夜間中学を希望する人々は学齢超過者がほとんどだから、国に義務教育を保障する義務はないとする。
しかるに、その学齢超過者は学齢時に当然受けるべき権利(教育を受ける権利)が完全に保障されなかったのであるから、このいいわけはあたらない。
この江東区でも、行政側は、いま行われている「自主夜中」も社会教育的なものでやるなら……と言をにごしている。
本来、社会教育というのは、学校教育を終えた人たちを対象とするもの(社会教育法)であるから、義務教育未修了者に対しては根本的に相容れないものである。