NO.12 1984年1月


●今号の目次●

1 12.23区教委交渉報告
2 会員の声 大田康弘(都立大学)
3 こらむ・えだがわから…


12.23区教委交渉報告

12月23日、午後4時から1時間、区教委交渉を行いました。区教委からは教育次長と学務課長、「作る会」からは自主夜中の「生徒」4人を含む多彩な顔ぶれの13人が出席しました(区教委会議室で)。
この交渉は昨年12月以来丸1年ぶりのものです。前回交渉で区教委は、昼の日本語学級については「検討してみる」、夜間中学については「他区の夜間中学は(広域学区制で)余力もあるので」「他区の夜間中学に通えばいい」「都教委、文部省が消極的あるいは認めていない」などの理由で、開設の必要性を否定していました。
結論からいえば、今回の交渉でも区教委の姿勢には変わりがありませんでした。ただし若干、私たちとの関係で変化は生まれました。また論理的には(当然ですが)開設を拒む理由がすでにないことも明らかになってきたといっていいでしょう。
しかし、前回以来1年間、区教委が、日本語学級、夜間中学を必要とする現実があり、検討を要請されていたにもかかわらず、まったく検討・調査を行っていなかった、そして以後も極めて消極的であるという点を強調しておかねばなりません。極めて不誠実であると――。

さて交渉ですが、まず私たちは、日本語学級について、枝川小、深川八中の日本語クラブの現状、現場からの声、専任教員を配置して対応すべきと考えるがどうか、など質問しました。これに対して区教委は、「現在の日本語クラブは学校との話し合いでやっており、十分だ」と答えました。私たちは、「非常勤講師には限界がある。専任教師のほうがいいことはわかりきっている。現場の教師はどういっているのか」と追及しました。区教委は、現場からの声について、「日本語クラブのほうがいいとはいっていないが」「校長と話し合っているし……」とことばをにごし、もし仮に「現場から声があがってき」ても「校長などを含め、内部的に検討することもある」とのみ答えるにとどまりました。

夜間中学については、まず基本的な姿勢――義務教育未修了者に学ぶ場を保障する行政の責任――についてただしました。若干のやりとりのなかから、「そのような人たちに何らかの施策の必要性は認めるが、法体系上、学齢を過ぎた人でもあり、即、江東区に夜間中学を作るということにはならない」「江東区の場合は他区の夜間中学に通ってもらう」という区教委の姿勢が見えてきました。「現実に夜間中学を必要とする人にその必要性は認める。しかし、夜間中学については他区のおせわになる」ということでしょうか。最後まで「江東区で責任をもつ」とはいいませんでした。
夜間中学はあくまで義務教育です。義務教育はそれぞれの区で責任をもつべきものです。それが、この国の法体系です。
現在も多数の江東区民が他区の夜間中学への通学を余儀なくされています。その人たちの現状について、区教委は昨年5月で普通学級へ10人、日本語学級へ11人の計21人の人がいたことを明らかにしたものの、その実態、夜間中学の内容などについては「一度も夜間中学にいったことがないので」「わからない」としかいえず、私たちはおどろきました。前回の交渉から1年もあったのです。私たちに対して「夜間中学はいらない。他区の夜間中学へ」というのはなら、せめてその実態を少しでも……。

そんな区教委に私たちはあらためて「江東区に夜間中学を必要としない根拠」を問いました。区教委は、「都内、他区にある夜間中学は広域的なものだから」と答えました(これは制度的な側面です。実態、つまり必要とする人がいるかどうかは自主夜中生50人の実態で、もはや区教委はなにもいえません)。
「広域的」とはどこに根拠があるのかとの問いには、「通達とかではないが、都教委義務教育課で“広域的機能をもっている”といっている」との答え。しかしそれは、全国に夜間中学がないので結果的に広域的にならざるをえないだけで、江東区に夜間中学が必要ないという理由にはならない。都教委は夜間中学が広域的に設置されたのものであり広域学区制をとっているといっているのか、夜間中学は区の責任で設置・運営されているはずだが、と私たちは反論しました。
これに対して区教委は、あらためて都教委に聞いてみるといいましたが、夜間中学を作るか作らないかは、あくまでも区の判断による――としか区教委はいえないはずです(ちなみに、それもこの国の法律です)。都教委があれこれいえるスジのものではないのです。都教委に責任転嫁はできません。それは区教委も知っているはずです。「江東区に夜間中学を作ってほしいという要求を出すところは江東区教委ではないのか」という私たちの確認に、「いや、江東区教委です」と答えたのは、他ならぬ区教委です。

さて、このこともいずれははっきりするとして、ここで注目したいことがあります。夜間中学を必要としない理由として前回出されていた「他の夜間中学には余力がある」「都教委、文部省が消極的、認めていない」という点が、今回何度も確認しましたが、出てこなかったということです。
これは、私たちがニュースやビラ(交渉に先立つ2月20日、江東区役所前、東陽町駅頭で約2,000枚まきました)などでそのおかしさを訴えた結果、区教委が取り下げざるをえなかったとみていいでしょう。論理的にも実態的からもおかしく理不尽な、単なる「逃げ」でしかなかったからです。

次に私たちは、「実態」が江東区に夜間中学を必要としていることを訴えました。いくら「他の夜間中学に通っていただく」といっても、通えない現実をぶつけたわけです。これはもちろん、自主夜中の実態です。
自主夜中「生徒」から「勉強は楽しくてしょうがない。夜間中学を作ってください」「仕事をしているし、遠くまではいけない。ぜひ江東区に」「私も他へは通えない」など切実な訴えが相次ぎました。しかし区教委は、「江東区の場合は」「他区の夜間中学へいっていただくことになっている」と繰り返すのみ。答えにはまったくなっていません。最初は「お願い」だった「生徒」たちも、「教育は憲法で保障されているのに」「私だって税金払っているんですよ」と怒りの声に変わっていきました。

わたしたちは次回交渉までに
(1)他の夜間中学への通学者数(累計)
(2)他区夜間中学の実態調査
(3)都教委見解の確認
(4)自主夜間中学の見学
(5)除籍者数・長欠者数
を要求し、交渉を終えようとしました。ところが、区教委はそれを確約しなかったばかりか、次回交渉の日程も「それも含めて内部で検討させてほしい」とわけのわからないことを繰り返しながら、「もう時間がきたから」と席を立ったのです。
まったく理由もないまま、ただ「江東区はそうなのです」だけで、次回交渉の日程まできちんと決めないとは……。いったい何なのでしょう。
私たちがいっているのは、「義務教育をきちんと保障してほしい」。ただそれだけです。あくまで大衆的にそれを江東区に要求していきます。


会員の声
大田康弘(都立大学)

毎週火曜日、自主夜中にきだしてから半年がたつ。大学の先輩に誘われたということもあったけれど、いま考えてみると死んだ祖父のことが大きかったように思う。年をとっていたせいもあるのだろうが、ぼくが記憶している限り祖父も思うまま字が書けなかった。そのことを、ぼくは、祖父のアタマが悪く勉強しなかったせいだと思い軽蔑していたように思う。
「生きていくのに精一杯で、とても字どころではなかったんだ」と生前聞かされていたわけだけれども、どこかさめて、ひしひしとそのことが実感として伝わってこなかった。やっとそのことが少しずつわかりだしたのは、親元を離れ、一人で生活するようになってからであったように思う。自分の肉親を一人の人間としてみられるようになったのもこのころだったと思う。
「オレは誰の手もかりずに一人で生きていくんだ」という傲慢さにも気づきました。夜中にきて、いまがいちばんいろんな面でシンドイときかなと感じています。
いちばんこたえるのは、結局のところハルモニたちの暖かさではないかといま思っています。最初にきた日、なにをやっていいのかわからずとまどっていたぼくを、「こんなことやってたら、いくらたっても字なんか覚えられないよ」と一喝してくれたハルモニにこたえるためにも、わからないままもいき続けたいと思います。


こらむ・えだがわから…

4 教育委員会

昨年暮れに江東区教育委員会と夜間中学設立のための交渉をもった。2度目である。出席したのは教育次長と学務課長であった。いわゆる事務局の人間である。法律で定められた5人の教育委員はだれも出席しなかった。教育委員は教育委員会に参加するだけでよしとするものではないだろう。地域で起こっているさまざまな教育問題に積極的にかかわってこそ、その任が果たされるはずである。私たち住民の要望に耳をかさない教育委員など罷免してしまえばいいのだが、その可能性を託した制度がある。
中野区では数年前から、教育における住民参加という意味で、教育委員選びを、完全ではないが住民の意思で選べる「準公選」が実施され、たいへんな成果をあげている。
私たちの切実な要望を反映させるためにも、いまの法律で対応できる「準公選」を江東区にも実現させたいものだ。