NO.13 1984年2月4日


●今号の目次●

1 作文 自己紹介 青山正江
2 区教委に質問状提出
3 自主夜間中学の風景
4 会員の声 鵜沼克浩(都立大学)
5 こらむ・えだがわから…


作文 自己紹介 青山正江

先生におれいのことばをもうしあげます。
先生このごろおからだはげんきですか。
先生おからだだけはたいせつに
くれぐれもおねがいいたします。
わたしもやかんがっこうへきてからは。
ほんとうにべんきょうをたくさん
ならいました。ほんとにがっこうへくる
のがたのしいです。くるしいときもあった
けれどべんきょうがおもしろいです
もうずぐおしょうがくるっと
またとしいかひとすふえるか
ら おしょうが ないぐに
に いっきたいです。たのしい
べんきょうが はたしのたからものです
どもたっちも
いっしょにがんばりましょう。
いまこそせいしゅん


区教委に質問状提出

昨年末に区教委との交渉をおこない、そのようすは前号で報告しましたが、区教委の姿勢は、わたしたちの要求に誠実だったとは残念ながらいえませんでした。しかも次の交渉日程さえ決めようとしませんでした。
また、わたしたちは早急に明らかにしてほしい具体的なことをいくつか質問しましたが、それについても残念ながらまだ回答がありません。
そこで、あらためて下のような質問状を2月1日、学務課長に手わたし、2月中ごろまでの回答してほしいと申し入れました。
課長は「努力する」とのこと。誠意ある回答を来たいし、また要求していきたいと思います。
また当日、約2,000枚のビラをまきました。「エッ、夜間中学、江東区にはなかったの?」とおどろき、話し込む職員(区の)もいたりして、反応は良。

質問状

江東区教育委員会殿
江東区に夜間中学・日本語学級を作る会
前回の話し合いでご検討いただくことになりました下記の点について、回答いただきたくお願い申し上げます。
1 夜間中学は広域学区制であるとした都教委の見解の事実・その根拠
  隣接区教委はその見解を認めているのか、自区住民と江東区民は、取り扱い、対応で、現在、今後とも何の違いもないのか
2 江東区内に何名の希望者、対象者が存在すれば、独自に開校するか
3 これまで都内8校にある夜間中学に通学していた江東区在住者の累計調査
4 江東区内の小・中学校のこれまでの除籍者、長期欠席者の統計調査
5 現在、江東区民で他区の夜間中学に通っている人の学校見学、わたしたちが行っている自主夜間中学の見学の意思
6 現在の夜間中学の実態の把握


自主夜間中学の風景
末吉和子

自己紹介

みんなに自己紹介の作文を書いてもらう授業を行った次の週、青山さんが「先生、これ」といって、自己紹介の作文が書いてある1枚の紙をわたしてくれました。それが最初に紹介した作文です。ところどころ書き直したあとがある作文を見つめていると、青山さんの努力が伝わってきます。
2か月ほど前、初めて青山さんといっしょに作文の勉強をはじめたときは、3、4行書くのがやっとでした。
青山さんをはじめ、おばさんたちの「自己紹介」には「学校が楽しい」「勉強するのが楽しい」のことばが必ず入っていました。わたしはこれほど素直に学ぶことのよろこびを感じたことがあっただろうかと考えさせられます。そして、こんなにも学ぶことを必要としている人たちに学校がないということに、怒りをおぼえずにはいられません。

まあ、うれしい

3か月ほど前からいっしょに勉強をはじめた金さん。「あいうえお」からはじめて、もうひらがなが書けるようになりました。教材もみんなと同じものがどうにかできるようになりました。
この日はOさんの担当授業でした。朝鮮のお正月について書かれた文章を読み、その後、ハガキを使って年賀状を書きました。
他の人たちが朝鮮の正月の遊びをいろいろ紹介してくれます。しかし金さんは、「わたしは遊びをまったく知りません」といいます。「何か子どものときに遊び、しませんでしたか」とたずねると、次のような答えがかえってきました。
「……私は子どものときにすでに日本にやってきて、大阪の工場で働いていたので、遊びは知らないんです……」
結局、私はそれ以上なにもいえず、金さんと年賀状を書きました。
「あけましておめでとうございます。ことしもよろしく」
何回もノートに練習して……書けました! 表に金さんが私の名前を書いてくれました。住所は私が書き入れて「はい、これで40円切手はってポストに入れれば、お正月には私のところに着きますよ」というと、「まあ、うれしい」と、ほんとうにやさしい、うれしそうな笑顔で金さんはいいました。
ひらがなを全部覚えれば手書きが書けますね、とよくいっていた金さんの、おそらくは初めて書いたハガキだと思います。

住所と名前

12月最後の授業の日、この日はみんなが集まって「忘年会」です。会がはじまるまでのわずかな時間、林さんが前の日に書いた年賀状を出して見せてくれました。
林さんの住所の「塩浜」がぬけていましたのでそれをいうと、「前は覚えていたんだけれど、しばらく書かないでいたので塩浜という漢字を忘れてしまった」と、くやしそうにいいました。
それならばといっしょに練習しました。ノートを見せてもらうと、いちばん最後のページに、林さんの住所が何回もくり返し書いてありました。
「私は自分の名前と住所と駅名が書けるようになればと思ってここにきたのに…。来年は住所だけ何回もやりますから、よろしく」と林さん。すると他の人が、「いまはずいぶんよくばって、いろんなもの読めるようになったねえ」と林さんにいってくれました。


会員の声
鵜沼克浩(都立大学)

夜中に通い始めてもう半年になるのですが、あまり名前が売れていないようなので、授業でももう少し前面に出なくてはと思う、きょうこのごろです。
ぼくが夜中に通うようになったのは、知らない世界を知りたいという単純な思いからでした。それで、たまたま大学で同じゼミの田中くんの紹介で通い始めたのです。
夜中ではとまどうことばかりでした。生徒としてきている人たちについて、少しばかり知識(文字を奪われた人たち、歴史の犠牲者というようなこと)があったので、オモニたちとどんな話をすればいいのか、日本語をどう教えたらいいのか、うまく教えられるのか、などの思いがいつも頭の中にありました。いや、正直にいって、いまでもあまり変わっていないのです。だから夜中に通う土曜日は、足が重いこともたびたびありました。
ところが、きょうは休みたいと思っても、夜中には何か「不思議な力」があって、ぼくを全然休ませてくれないのです。
その「力」とは何なのか。たとえば、その「力」は地下鉄直通の電車をぼくの待つホームにタイミングよく送り込んだり、授業後のおにぎりの味を思い出させたり、といった具体的なかたちで現れますが、どうもそれだけではないようです。だから、その「力」の正体を知るまで、ぼくの好奇心が、ぼくを夜中に通わせ続けるように思うのです。みなさん、よろしくお願いします。


こらむ・えだがわから…

5 想像力

「字が読めなくて夜も寝れなかった」。これはある夜間中学生(公立の夜間中学)のことばだ。私たちの自主夜中に通う生徒、いや全国で推定140万人以上もいるといわれる義務教育未修了者の想いもこれに同じであろう。
現在、昼間の学校があれている現実がある。暴力、差別、いじめ、登校拒否の話題はことかかない。そして、大人の側のその解決の策定は、いずれも強権を背景にしたとりしまりである。そして、ここから発することばは、自分たちを保身の場においた発言ばかりである。
私たちはよく「人の気持ちのわかる人間になれ」という。そのくせ、親や教師はあれる子ども、被差別の状況におかれる子どもの側によりそうことはあまりしない。しないが理屈はこねる。ここには先の夜中生の想いはとどかない。いまの学校、社会の失ってきたもの。それは“想像力”かもしれない。