NO.14 1984年3月3日


●今号の目次●

1 詩 かべ 山本秋子
2 区教委いまだ返事なし
3 自主夜間中学の風景
4 ながいながい助走(上) 田中のりあき
5 こらむ・えだがわから…


詩 かべ 山本秋子

いろいろある
くろいかべ
みえないかべ
なかがよくても
かべがあるといけない
そのかべを
はずさなくちゃならない
かべじゃま
とうしてもじゃま
はずせばへいわ

山本さんはもう70歳になる。いつもニコニコと楽しそうな顔。彼女の顔を見ると、こちらもなんだかホッとするようだ。だが、ときにそのにこやかな顔からドキンとするようなことばが出るときもある。先日も「苦労なんてこんなに経験したよ」と両手を大きく広げていう。顔はあいかわらずニコニコしたまま。「かべ」という題の詩。


区教委いまだ返事なし

先月号でお知らせしましたが、わたしたちは2月1日にあらためて、昨年末の交渉で区教委が「江東区に夜間中学は必要ではない」とした理由の“他の区にある夜間中学の広域学区制”や“夜間中学・自主夜間中学の実態調査”などの点での質問状を提出しています。
しかし、区教委からの回答はまだありません。「役所なんてそんなものだ」とは思いたくありません――数回にわたって学務課へ「回答を示す場を設定してほしい」と申し入れていましたが、「もう少しまってほしい」「いそがしい」とはっきりしません。
そうこうしているうちに今年度も終わりになります。そのようなことはないと思いますが、「ほおっておけば、そのうちズルズルになって」などともし区教委が考えるようなことがあれば問題です。
その間にも江東区から他区の夜間中学にわざわざ通い(3月には何人かの江東区民が夜間中学を卒業し、4月には何人入学するのでしょう)、また他の区まで通えない人たちの一部は自主夜間中学で週3回学びを続けています。区教委がこの人たちの存在を無視、放置している事実はかくせません。「無視・放置」し続けるつもりがないなら「いそがしくて会えない」などと住民をバカにしたようなことはいわず、早急にわたしたちに会い、誠意ある回答を示すべきです。わたしたちは、近いうちに回答を求めに区教委にいきたいと思っています。


自主夜間中学の風景
長田真理子

“負けちゃだめだよ。うつくしいものは必ず消えないんだから”。これは何年か前に本の中で見つけたセリフです。「おしゃれをしたい娘盛りはわざときたないかっこうをした」というおばさんたち。文字を知らなかったことの悔しさを思いはかって、ふとこのセリフがよみがえりました。世の中で何が美しく、何がきたないのでしょう。

谷川俊太郎の詩「生きる」をいっしょに読みました(第1週は初級、第2週は中級)

●『いま生きているということ』の意味を考えて、自分のことばで書きましょう
「夜間中学に来ること」「ここでみんなと勉強すること」というのがうれしくもいちばん多く、次いで「生きがいがあること」「一生懸命勉強して外国へ行きたいこと」という声。「一生懸命勉強して外国に行きたい」という井田さんの夢は、実現させたいですね。
おばさんたちの生きがいの対象は、かわいい孫たちのようです。その授業の日、秋本さんは「作文に身が入らないわァー」と、そわそわしていました。今夜にも末の娘さんの赤ちゃんが誕生しそうというのです。「やっぱり生きているのはすばらしいね」と、新しい生命に期待するように、目をかがやかせていました。
生命といえば、高梨さんは「生きるのにもっとも重要なのは命を大切にすること、ただ1つしかない命を守ること」を主張します。『生きているということ』を考えながら、いままでの人生のできごとをひとつひとつかみしめているようでした。

●手をつなぐ『あなた』というのは、どんな人だと思いますか
初級では具体的に「親・夫・子ども・きょうだい・友だち」の順であげられました。同じ内容だけど、中級では「やさしい人・頼れる人・尊敬できる人」とことばを変えました。そして、「知識やお金などの権力ではなくて、人間の中味(つまり、心)に頼れる人」が『あなた』であるべきだ、と答えを出しました。

別の授業で、人と人との心の間にある「壁」について考えたとき、おばさんたちはウンウンうなるように作文を書きました。まとめると、その壁は「見えないけれど黒く汚いもの」で、人間どうしのつきあいは「すべてを水に流して、洗われた心で向かい合いたい」ということ。無理をして美しく裝うのではなく、心に汚れた壁をつくらずに、みなと手をつなぎたいと思います。夜間中学の生徒や先生たちは、そんなぬくもりのある『あなた』たちなのだと実感しています。

さて、とにかく「いままで生きてきた」、そして「いま生きている」、さらに「これからも生きていこう」と、おばさんたちはなお人生の歴史をつみ重ねつづけています。若い頃に背負った荷物を少しずつ軽くできる喜びを、もっと自由に表現して、枝川の町を闊歩しましょう!


ながいながい助走(上)
田中のりあき

佐々木さんから誘われて夜中に来て9か月が過ぎようとしています。毎週土曜日におばちゃんたちと顔を合わせてワイワイやっているわけですが、最初はやはりどういうことをしていいかぜんぜんわからず、土曜日になるたびくるしんでいました。行けばかならずおもしろくて、あっという間に2時間過ぎてしまい、あとで救われた気分になるのですが、行く前の数時間は、ああしようか、こうしようか、とそのたびに弱いアタマが爆発しそうになります。
おばちゃんたちの横にすわり、あるいは前に立ってずっとやっているのですが、その間ずっとひっかかっていることのひとつに、自分のカッテな思いいれと、おばちゃんたちが「ふつう」に考えていることとのズレみたいなものがあります。
それをたとえば「授業」についていうなら、なにか自分の「授業」で「本質的」なことを考えようなどと思って、ムリにも、自分の考えていることをおばちゃんたちにわかってもらおうとしたり、おばちゃんたちから、そういう「本質的」なことを引きだせるだろう、とかいうことを、前もって自分のアタマで組み立てすぎてしまう、ということなのです。
ひとつひとつの「授業」の中でのことばのキャッチボールそのもののはらむ、うねりのある楽しさや、迷路にはいってしまったことからくる「わからなさ」といったものを大事にしないで、どこか、自分で考えた安全な「本質」を結論にもっていこうとする。
それなりに夜中の雰囲気にもなれ、おばちゃんたちを挑発するようなことばのかけあいがやっとすこしずつできるようになったいまでも、なにかひとりずもうをとってしまうようなとらわれから自由になっていない自分を感じるのです。


こらむ・えだがわから…

6 残留の想い

夜間中学では中国引揚者の人たちが日本語を学んでいる。そしていままた、中国残留日本人孤児の一行が日本に着いた。5回目の肉親捜しの旅である。多くの人々が肉親とめぐりあえることを心より祈りたい。
一方、目を我々の足元の社会に移すと、戦前・戦後をとおして官民一体となって在日朝鮮・韓国人に対する冷遇を見れば、何をかいわんやの気がする。南北分断に手を貸す日本、指紋押捺、就職差別、日本の学校に通う在日朝鮮・韓国人児童・生徒に対する差別、いじめ等、考えあげたらきりがない。そして、これらのことに多くの日本人はまったくといっていいほど無関心を決め込んでいる。
なぜ約70万人もの在日朝鮮・韓国人が日本にいるのか、なぜ江東区枝川にかくも多くの在日朝鮮・韓国人が強制的に集められたのか、この経緯にふたをして、中国残留日本人孤児の想いは語れない。