NO.17 1984年6月10日


●今号の目次●

1 作文 北国の春 村田英子
2 高見山・夜間中学・日本語学級
3 自主夜間中学の風景
4 こらむ・えだがわから…


作文 北国の春 村田英子

春来った暖南風
花咲く草伸びちょうちょ飛んで
外散場所ではわからないたろと
泪たは出てきました
夜夢てはあの故郷へ帰ろかな帰ろかな
親別れもう7年なりました
親の体はみんな元気が
かいたい気持ちにいれない
7年間一人ぶちあの故郷へ帰ろかな
帰ろかな

村田英子さん(中国からの帰国者の妻)、北国の春のかえうたづくりの第1稿でした。あの故郷へ……


高見山・夜間中学・日本語学級

わたしはニンジン?

大相撲の高見山は、この5月場所で20年の土俵生活に幕を閉じましたが、その高見山の4、5年前に目にしたテレビの特集番組で、印象に残っていることがひとつあります。
それは、家に帰って、日本人の妻と、筆を手に習字に精を出している場面でした。
それは、単に趣味という軽い気持ちではなく、必要にかられてのことだったのです。親方株をとるために必要な日本籍、そして、その日本人に帰化するために必要なのは、日本語で自著した誓約書でした。
あぐらも端座も苦手な高見山が、両足を左右に投げ出して、たたみの半紙に向かう姿は、独特のキャラクターと重なり、こっけいにも見えたものでした。
高見山の引退の記者会見で、「あなたは何人ですか」という質問がありました。「気持ちは日本人のつもりですが、でも、やっぱりニンジンかな」と、とぼけてかわすそのこっけいさに、悩み抜いた末の選択の辛い影を見る思いがします。

夜間中学生は“半日本人”?

日本人の条件――それは、日本語を読み、書き、話がわかるということを当然のように受けとめている人が少なくないと思います。
では、その逆はどうでしょう。日本の文字を読み書きできない人、日本語の話が通じない人は日本人に非ずということになってしまいます。
全国の夜間中学で奪われた文字を必死で取り戻そうとしている人々、全国で200万人ともいわれる“義務教育未修了”の人々は、法務省にいわせれば、さしづめ“半日本人”とでもいうのでしょうか。

義務教育の前提は日本語?

「義務教育は、日本語ができることが大前提である」――日本語ができない子どもは、日本の学校に入る資格はない」
「日本語学級は、法律の上では存在せず、認めることはできない」
「ことばなんか、その環境にまじればすぐできるもの」
「学習の遅れなどに手厚い対応をすることは逆差別になりかねない。日本人にだって落ちこぼれはいる」
この間、中国、朝鮮などからの引き揚げの子どもたちの教育条件改善のために教育行政の人々と話し合いをしてきたなかでの“お役人”の語録のいくつかです。
役人にしてみれば大したことではない問題をガタガタ騷ぐなということになるのかもしれません。
前のように、自信に満ちたことばで、いってはならぬはずの教育の内容にまで立ち入って断言する姿に、そんなことを観じます。

くりかえしてはならない

日本語のできない人の存在――これまで日本の教育の歴史では見えなくさせられてきたことが、いま、引き揚げの子どもたちの急増で、少しずつ浮かび上がってきています。
それに、教育行政がどういう姿勢を示すのか、私たちは注視していきたいと思います。
国際化のなかで新しく登場してきた問題でもなんでもありません。
「日本につれてこられて日本の学校にいった。チョーセンジン、チョーセンジンとののしられ、かえすことばもできず、くやしさにゲタを投げつけて学校いくのをやめちまった」
枝川に通う在日の老婦人のことばです。
文字を奪われてきた人、ことばが通じぬ人、みんな、いま、日本でともに生活する仲間です。
くりかえしてはなりません。わたしたちががんばりましょう。


自主夜間中学の風景
佐々木昇一

自主夜中ブルース(上)

今年の5月末で私たちの自主夜中も丸2年がたった。そんなおり、中級クラスのみなさんに詩をつくってもらいました。
はじめは「自主夜中ブルース」という題にでもして、生徒のみなさんにつづってもらった詩に曲をつけて、みんなでうたおうよとじつに気楽にはじめたものでした。
生徒のみなさんが自ら書いたものに、何度も何度も手直しをして、以下のような詩ができあがりました。
気楽にはじめたものですが、どうしてどうしてたいへんなできばえ。何か曲をつけてうたうのがもったいないような、そんな気にさせられます。
その一部を紹介してみようと思います。

まずは今年60歳の還暦を迎えたばかりの在日朝鮮人のオモニ秋本さんから。8歳のときに日本につれてこられたという秋本さんは、
「先生、字になりませんね。読めますか。……恥ずかしいわ」と前置きして、

私 いま思うこと
夜間中学校がなかったなら
私は暗い世の中で
生きてゆくのに
無学の悲しさ苦しさがつきまとう
私に希望をあたえてくれたのは
夜間中学です

私の生きる幸福とは
友だちのあたたかみと
字をおぼえることです
夜間中学に来て
生きる喜びを知りました
ほんとうに
人間の心も知りました

とうたってくれました。学ぶことは人間の心を知ることだよ、生きる喜びを知ることだよと語る秋本さんに目頭が熱くなったのは、小生だけでしょうか。

今年65歳になる井田けい子さんの詩。
井田さんは、子どものころは、女は学校へ行くものではないと、学校へ行かせてもらえず、毎日毎日過酷な生活に明け暮れたという。そんな子どものころの生活を評して、「地獄の生活」だったといいます。

1年6ケ月は 夢のよう
たくさん漢字を勉強し
今ふりかえってみると
間違いだらけの字で
自分ながら驚くばかり
一生懸命に頑張った
字を習ったり 勉強したら
自分で自分が好きになった
勉強は大好き
自分で自分が大好き
勉強する時は
すべてをわすれて真剣に

毎日毎日、自主夜中のある日が待ち遠しいという井田さん。いつも休むことのない井田さんは、「字を習ったり、勉強したりすると、自分で自分が好きになった」と言います。
わたしたちは、自分で自分が好きになるような勉強を、いままでにしてきたでしょうか。なにか“はっ”とさせられるようなことばですね。


こらむ・えだがわから…

8 あるファッションと江東区枝川

先日、ある女性向けの月刊誌を見る機会があった。そこに、今年のニューファッションと称して「コロニアル・ルック」というのがあり、たいへん驚いた。
戦争の風化体験がいわれて久しいが、ファッションの世界でもって、かつての植民地支配を美化しようとでもいうのだろうか。
私たちの自主夜中のある江東区枝川地区は、戦前オリンピック(実際には中止であった)を前に、都内に住む朝鮮人が目障りだと称して、とても人が住めるところではなかったところに強制的に集められ、住まわされたところである。
この侵略の名残をとどめる枝川地区からみれば、コロニアル・ルックに身をつつんだ女性がこの街を歩くのかと思うと、背筋が寒くなる。
侵略か進出かで騷がれた教科書問題はつい最近のことであったが、いままた新たな侵略政策が息づいている。