NO.1920(合併号) 1984年9月7日


●今号の目次●

1 作文 木原春子、秋本栄子
2 8.30“生徒募集ビラ”配りと事務局会議報告
3 第3回夜間中学増設運動全国交流集会
4 自主夜間中学の風景
5 松戸自主夜中1年
6 会員の声 長谷川博
7 こらむ・えだがわから…


作文 木原春子

八月二十六日 えだがわやかんちゅうがっこうからはままつかんざんじそうへいったとき大さかから先生がたとみなさんがた川さきから先生がたとみなさんがたがおおくしましてほんとういかんげきしました。私もこれからもいっしょうけんめいどりょくします。
先生これからもよろしくおねがいします。

作文 秋本栄子

浜松駅は広く 風景か
外国に行った ような気分てした
全国かあっまた先生方々、
本当にごくろんざまてございます
せいとうたちは、はりきていました。

夜間中学増設運動をたたかっている各地の運動体などが年1回集まっておこなう交流会が、今年も静岡県浜松市で開かれ、江東からも「生徒」2人を含む8人が参加しました。


8.30“生徒募集ビラ”配りと事務局会議報告

8月30日、これまでの念願だった「生徒募集」のビラ配りと、その後で事務局会議をおこないました。記録的な暑さの続いた夏ももう終わり。これから秋にかけて、あらたな運動の始まりです。

ビラ配りについて

この日は午後6時にいつも自主夜中を開いている枝川区民館に集合。「対象者」の多く住むとみられる枝川・塩浜地区を中心に、2〜3人がグループとなって約1,700枚のビラを配りきりました。
ビラの効果は絶大。配ったあとの自主夜中にはさっそく「学びたい」という人が何人も訪れました。今回訪れてきたのは主に中国引揚げの人たち。なかには夫婦で通い始めた人もいます。
このようにすぐに反応があらわれるのは、江東区にいかに夜間中学対象者が多いかという証拠です。私たちの運動が1日もはやく実を結ぶことが求められていることを実感し、あらためて運動の強化をはかっていく必要性を確認しました。

事務局会議について

ビラ配りが終わって、もう一度あつまり、事務局会議をおこないました。議題は、4月以降中断している対区教委交渉再開に向けての対応と、これから秋にかけての活動方針について。
対区教委交渉については、9月のなるべくはやい時期に場を設定し、「現状で対応できる」(4月10日交渉)という区教委の「現状」と「対応」の具体的な内容をただし、そのギマン性を追及していく考えです。
また、秋以降の活動方針として次のことが確認されました。
情宣活動については、これまでどおり月1回「通信」を発行して私たちの活動を多くの人々に紹介していくとともに、今回第1回をおこなった「生徒募集ビラ」や、これまで任意におこなってきた対行政・対市民向けのビラ配りを定例化して組織的に取り組みます。
自主夜中の運営では、これまで組織の充実化が順調になされていたことが逆に作用するかたちでおちいりがちだった「分業化」を反省し、だれもが自主夜中の全景を把握することができるように、会員間の相互交流の方策を広げていきます。
具体的には、これまで報告を主体にしていた授業会議を充実させ、それぞれが感じたことを共有化するために話し合いの場をもてるような運営にしていきます。
このほか事務局会議では、延び延びになっていたバザー、コンサートの集いについても話され、日程と内容のアウトラインが決まりました。

あったまにくる区教委 ちゃんと対応しなさい!

事務局会議での決定を受けて私たちは区教委にたいして交渉の申し入れをおこないましたが、区教委の答えはひどいものでした。いわく「いま具体策を検討しているので会う必要はない」というものです。
前回の交渉から4か月以上もたっていて、「検討中」もあったものではありません。私たちはこの間の経過などを含めて“現在までの検討結果”を聞くため、区教委の「公式な」交渉でなくとも一度押しかけて話をすることを確認しあいました。


第3回夜間中学増設運動全国交流集会

今年で3回目になる「夜間中学増設運動全国交流集会」が8月26・27日浜名湖畔で開かれました。1回目17人、2回目26人、そして今年は38人の夜間中学性、教師、市民が集まり、江東からは「生徒」2名を含む8名が参加しました。大阪、奈良、天理、川崎、市川はすでに公立の夜間中学開設を長い運動のすえにかちとったところ。現在自主夜間中学をやりながら運動を進めているのは江東と松戸。
1日目は各地の状況を出し合い、とくに江東と松戸の生徒にたいしてあたたかい励ましがありました。また、公立化だけで問題が解決するのではない――公立化の悩みについての話も多く出されました。
深夜におよぶ交流の後、2日目はいよいよ生徒たちが日頃感じていることを話し合う時間です。参加した生徒は18名。学校や教師への不満などを話すなかから、夜間中学は生徒にとっていったい何なのか、どうあらねばならないかが浮かび上がってきます。
江東から参加した秋本さんが「心のふれあいがあるから(夜間中学が)好きなんです」といいました。大阪の生徒たちが話すのも結局それでした。字をおぼえたい、勉強したいというのはもちろん第一にあるわけですが、そのことを支えるものとして、あるいはそのことを通して本当に求められているのは、人間どうしが少しでもわかりあう、その喜びのようです。私たちが求めているのは単に字をおぼえるということだけではない――そのことを夜間中学の運動のなかで行政に認めさせねばならないことを、あらためて感じました。
行政にたいして、この全国交流集会として何らかの働きかけをする時期にきているのではないか、という意見も出されました。全国的なアピールの武器としてのパンフづくりも具体的になってきました。江東の動きは、その中でもとくに注目されています。
再会を約束した1年後、はたして何をもっていけるか。


自主夜間中学の風景

交わりの中で

午後6時すぎ、1日の仕事を終え、夕食の準備をし、自らは食事をすませてきたおばさんたちが、夕方のあわただしさの中をこの区民館にやってくる。そんな中でいつもというわけではないが、遅くなってくる2人のおばさんがいる。一家の主婦であることを考えれば当然なのですが……。
1人は、字が書けるようになったら自分のことを小説にするんだと意気込み、1時間あまりもかけてやってくるKさん。家では鉄製品の売買をやっている。ご主人は、Kさんがここに字を習いにいくことを当初嫌い、「年をとったばあさんが、今さら字なんかおぼえたってなんになる」といって怒ったという。ほとんど休まずきて、1年あまりたったいま、「もうあきらめたのか、いまは何もいわないよ」と笑う。
そんなKさんがある日、商売の取引先の社名が入ったメモ帳をノートがわりに持ってきたときがあった。「これ、どうしたんですか?」とたずねたときに書いてもらった作文。

このてちょは 西口さんからもらいました 西口さんとはそばいのかんけいてしゅじんとしなものを うったりかったりそれてしたしくらりました。じつはおばさん とこえてかけるのてすかゆうから 私はすかしのもしらすにわけをゆういました。みかくらいたったら このれむちょうしんせつにもってきてくれました。私は うまれてはじめてやかんtっyが驅こえいてせんせえに ひらかなをおせえてもらて すこしよむことかてきましたとゆうたら はくしゅをしました。

もう1人は、ときたまエプロン姿で息をはずませながらはいってくるGさん。Kさんのご主人とは対称的に、ここにくることをがんばれよと励ましてくれるという。「字を教えてもらうところがあるとは、ずいぶん前から知っていたんだけどね、学校だっていうでしょう。時間にちゃんとこなくてはダメだと思ってな。なかなかいけなくて、あとでおそくてもいいんだよときかされてね」と話す。
そんなGさんが夜中にきだしてから3か月めぐらいに、真新しい布製の筆箱と帳面を持ってきた。学校にいくとのことで、当初から買おう買おうと思っていたがなかなか買うひまがなくて、ようやく今買ったという。でも、その話し方からしてどうも自分で買ったのではない口ぶり。てれながら話してくれたのが、次に書いてもらった作文。

私しか 夜間学校ならいにいくようゆたらすじんか かいさゃのかえいに ちょうめんにさすとふでばこお かってきてくれました 私わわらいました
それみって私わ一日も休まないてかんばります ゆうておたがいにわらいました。

生まれてはじめて買ってもらったと笑う。
おばさんたちと字を習うあいまあいまに、よくこんな話をしたり書いたりしている。


松戸自主夜中1年

私たちと同様、夜間中学公立化をめざして運動を続けている松戸痔に夜間中学校を作る市民の会(千葉県=藤田恭平代表)の自主夜間中学が8月、1周年を迎えて記念行事がもたれました。

“開設1周年の夕べ”がおこなわれたのは、8月3日。私たち江東区からも4人が参加しました。
当日の企画・運営はすべて「生徒」のみなさんによるもの。それぞれが1年を振り返って感想をのべてくれました。
「仲間がいて黒板があるっていいですね」と語ってくらた鈴木さん。
「自主夜中は、安心しながら勉強できます」と語ってくれた中国引き揚げの丁さん。
なにか「ホッ」とするようなことばですね。本当に学ぶ喜びを確かめた、とてもあたたかい一夜でした。

また8月12日には、市民の会第2回総会が開かれ、これにも4人が参加しました。
総会では1年間の経過報告ののち、(1)市議会や行政当局に夜間中学の早期開設を要求する、(2)自主夜中の運営によって夜中を必要としている人の学習要求に応える――などの活動方針を確認。合わせて、これを明文化した総会宣言を、満場の拍手で採択しました。
また、自主夜中生徒の体験発表や、元夜間中学教師・塚原雄太さんの記念講演「あなたは本当に学校へ行ったといえるだろうか?」などもおこなわれ、充実した会となりました。
松戸の自主夜中もいよいよ2年目。お互いに頑張って1日もはやく公立化を勝ちとりたいものです。


会員の声 長谷川博

字づらを通してものごとを見ようとしていた自分――夜間中学に通いはじめて3か月になるが、こんなことを最近感じている。
はじめていったとき、「先生、横にすわって教えて」といわれて、山本さんが書くのをどぎまぎしながら見ていた。すると「どうして」を「とうして」と書くので、「あ、『と』でなくて『ど』です」というと、「書こうと思ってるけど、できないよ」といわれて「ハッ」とした。
確かに自分にとっては、しゃべる「ど」はあたりまえのように「ど」と書くけれど、彼女にとっては逆に「と」と書くほうがしゃべることばに忠実なのだ。そこを見落として「正しく教えよう」としたものだから、それこそ「どうして『と』と書くのか?」とは思わずに、さっと「『どうして』だよ」といったと思う。
でもオモニたちは「字を正しく教えてね、1つ1つ」という。「文字を知らなくて、くやしい思いを何度したことか……」と聞くとき、「濁音が正確でなくていい」とするのは、こっちの構えとしては必要だけど、オモニたちの要求とはズレているなと思った。
「十五円五十五銭」(じゅうごえんごじゅうごせん)といえるかどうかで虐殺された歴史、そして60年近くもの間在日として生きてきた人たちの歴史の意味が、オモニたちと面と向かい合うことで、はじめて少しずつ気がついていけるような気がしている。


こらむ・えだがわから…

9 省略

私たちの自主夜中のある江東区枝川は、これまでにも何度もふれてきたように、在日韓国・朝鮮人の多く居住するところである。
そして、私たちは夜間中学の必要性を訴えるために、さまざまな集会・会合に出かけていく。そんなとき、次のようなことばをよく耳にする。「在日の人」「在朝の人」はたまた「在日がたくさんいる」と、こんな調子である。
私たち日本人はよく、ことばを簡単化するために字を省略する。たとえば自主夜間中学なら自主夜中というふうにである。ところが、在日韓国・朝鮮人に対しては、けっして「在日」などと略してはならないと思う。私たちは過去において、どんなにあやまっても償いきれない痛い歴史を朝鮮民族との間にもっていたし、現在においてもその歴史は日本社会のなかで厚い差別の壁として、在日韓国・朝鮮人の前を塞いでいることを、痛恨の思いで認めないわけにはいかないからである。
「在日」という省略のなかに、かつての朝鮮民族の抹殺制作を見る思いがする。