NO.21 1984年10月9日


●今号の目次●

1 作文 南花子
2 区教委、交渉申し入れ拒否
3 自主夜間中学の風景
4 会員の声 中村和彦
5 こらむ・えだがわから…


作文 南花子

わたくしわ うまれてはじめて やかん中学校て じをかいたとき むねが いっぱいてほんとうにうれしくってまいにち学校にひがたのしいです
せんせいかたはゆうしょくもなさらないて こんなにいっしうけんめいにおしえてくれますのてじぶんたけならうのはもったいないのてとなりのともたちをさそいみんなでべんきうの日がとてもたのしいのてす
わたくしわ九にんきょうたいの上にうてべんきょうところてはありませんてした 50才まわってじをならうなとゆめのもおもっていませんてした ほんとうにほんとうにうれしい。なか々あたまにはいりませんが いっしうけんめいやりたいとおもいます


区教委、交渉申し入れ拒否

「区の教育政策を考えて対処したい」(3/12)、「次回までに教育政策としての対応を具体的に示す」(4/10)という対区教委交渉における区教委の“前向きな”回答を受けて、その結果を待つために中断していた私たちと区教委との話し合いですが、その後5か月たったいまでも区教委は、検討の内容を明らかにすることさえもしないばかりか、経過を知りたいという私たちの話し合い申し入れにたいしても事実上拒否するという暴挙に出ています。私たちは、話し合いという民主主義の基本的なルールさえふみにじる区教委の姿勢をけっして許すわけにはいきません。

私たちは3月、4月の区教委回答を受けて9月12日、進行状況を聞くことを含めて一度交渉の場を設けたいと、直接学務課長を訪れて申し入れをおこないました。これにたいして島田学務課長は、「検討中で、お話しできる段階ではありません」と述べ、私たちの要求を認めようとはしませんでした。
「検討中であれば、当事者としてその内容を聞きたい」「私たちの話も聞いてほしい」。私たちは何度も交渉の設定をおねがいしましたが、島田課長は「会っても話すことはない」と繰り返すのみで、事実上交渉を「拒否」したのです。
住民の陳情を、話し合いの場すらも拒否して耳をふさいでしまう区教委の姿勢は、重大な問題です。民主主義のルールをふみはずしているからです。
このような対応ができるのは、「住民の教育権を保障すべき教育行政の責任」に対する区教委の自覚の甘さもありますが、なんといっても文字を知らない人がどんなに苦労しているのかという現実を区教委が見ようとしないことに要因があります。
区教委は、他区の夜間中学の見学を拒否し、私たちの声すら聞こうとしません。「他区の夜間中学へ通えばいい」というのは、現実をまったく理解していない何よりの証拠です。
とはいえ、私たちは区教委をまったく見限ってしまうわけではありません。「他区の夜間中学へ」というのは、夜間中学の必要性は認めていると解釈できますし、「区の教育政策として」「具体的に」検討するという姿勢にたいしては強力をおしまないつもりです。
だからこそ、私たちの話を区教委はちゃんと聞いてほしいのです。私たちは、文字を知らず教育を奪われた「現実」を、「悲劇」を、たくさん見てきました。だから、あせっているのです。そして、現状の教育制度の中で区教委の判断でやれるものとして夜間中学を要求しているのです。
「検討」はいつから、どのような人たちで、どのようなかたちですすめられているのか。結論はいつまでに出すのか――私たちの質問に島田課長は、あるときはおしだまったまま、あるときはそっぽを向いて、それが答えでした。こんな無責任で失礼なことが許されるのでしょうか。私たちは悲しくなります。「検討している」といいながら、実際には何もしていないのではないか」と不安にさえなります。
区教委は自らの行動をきちんと示すべきです。それが公的機関としての住民にたいする責任です。区教委の真摯な対応を、私たちは強く要求します。


自主夜間中学の風景
鵜沼克浩

執念

自分がこの夜間中学に通うようになって、もう1年以上になる。通いはじめたころは、夜中でのオモニたちが自分にとって初めて出会う在日朝鮮人だったことと、彼女たちの背負ってきた「しんどい人生」というものへの思い入れが強かった。
そのうえ、最初からオモニたちの輪の中へ入って気さくに話せるような、そんなうらやましい性格の持ち主ではなかったので、初級のクラスの隅っこのほうに座っていることが多くなった。それだから、いつのまにか林さんか金田さんのどちらかの横に座っていっしょに勉強するというぐあいになった。
初級クラスに限らず、中級クラスでも「勉強ができなくて困っちゃうよ」というオモニたちのつぶやきをよく耳にする。そんなつぶやきの多いNo.1とNo.2は、やはり林さんと金田さんだろう。毎時間のようにそんなつぶやきが、彼女たちの口から聞かれるが、そのたびに自分は、何かなぐさめのことばをさがそうと試みるのだった。
正直にいうと、自分の中に、オモニたちは高齢であり、生活や仕事にも追われているので勉強のペースが遅いのもやむをえないという考えがあり、実際に、オモニたちのことをそのようにみていた。
ところが、つい先日のこと。林さんが「もう3年もやってるのに、全然できないよ」といつものようにぼやいたとき、なぐさめとはげましのことばをさがすつもりでその「3年」という長さを考えてみるうち、あることに気がついた。3年はたしかに短い期間ではないが、オモニたちの勉強できるのは、週に3日、合わせて6時間。これは小学校1年生の授業時間の3分の1ぐらいだろう。そうすると、オモニたちの3年間は、ふつうの小学校の1年生を終えたと同じぐらいのことになる。そう考えてオモニたちの書く文を見つめなおしてみると、すごいなと感心させられる。1年間の勉強でよくこれだけ書けるようになったなと、オモニたちの文字に対する執念を感じたのだった。
それにしても単純すぎる考えかもしれないが、自主夜中のペースでは、義務教育9年分が3倍の27年もかかることになる。やはり公立の夜間中学が必要だ。もっとも、オモニたちの中には、長く勉強を続けたいという人もいる気配だ。だとしたら、ひとつのうれしい矛盾だ。

生徒が増えた

8月30日に「生徒募集」のビラまきをした。それから1週間後、いつものように「こんばんは」と教室にはいると、様子がちがう。初級クラスの床の間の前にズラリと座っているのは小学生の集団なのだ。聞けば、ビラを見て勉強をしにきたとのこと。これは予想外のことだったが、夜中の精神は「くる者は拒まず」だ。静かに勉強するということで、子どもたちも通えることになった。
中級クラスへと目をやれば、やはり新しくきた人が数人増えている。教室がいっぺんに狭くなってしまったのは、うれしい悩みだ。
しかし、ときには騒がしくなる子どもたちに「ここは、あんたたちのくるところじゃないよ」とオモニが激しくいう場面もある。彼女たちにとって教える人手を子どもにとられるのは重大な問題だろう。
1人の子どもが、自分の勉強の合間に2つのクラスをいったりきたりして、授業を興味深そうに見ていた。彼はなにを感じただろうか。オモニと子どもが同じ場で勉強している。なにか新しいものが出てくるかもしれない。


会員の声 中村和彦

こりかたまろうとしている自分の“あたま”を金づちでたたいてもらおうと自主夜中にきはじめて、おばちゃんたちが字をおぼえたりしている横で教師然としてふんぞりかえったり、韓国からのお嫁さんの日本語の学習をたどたどしい朝鮮語で混乱させたりしているうちに3か月がすぎてしまった。
私は自主夜中を差別・抑圧され続けて教育を受けられず人生の苦労を深いしわにきざみこんだ在日朝鮮人のオモニたちが字を学びにきている場というふうにとらえていた。あたっている面もあるかもしれないが、私が思い描いていたのは在日朝鮮人という人形の集団にすぎなかったのだ。いまはまだおばあちゃんたちの手のひらで踊っているようなものだが(先日教材担当で小栗康平監督の“伽"や"子のために”のシナリオを演じてもらおうとしたときはまさにそれを絵に描いたようなものだった)、少なくともおばちゃんたちの顔の表面くらいは見ることができるようになった。ようするに、人間だということがわかったというだけのことだ。
私にとって字をおぼえるということは、自己を発見するということではなく、自己をごまかすことであった。現にいま、こうやって書いていること自体がごまかしかもしれないのだ。
おばちゃんたちが1つ1つ字を自分のものにしていく姿に、私は学びたいなどとヤボなことはいわないが、自分のことばで語る、書くということを共通の目標にできたら、などと思っている。


こらむ・えだがわから…

10 「検討中」は特効薬か…?

子どものとき、授業中いつも問題に答えられないでモジモジしていた友だちが、スパっと「考え中です」とやったのを見て、たいへん気が楽になったおぼえがある。これさえいっていれば、先生からの急な指名にも耐えられる。特効薬だとさえ思ったものだ。しかし、その後、何を聞かれているのかみ知らず例の調子でやったら、「どんな問題を考えてるの?」とやられてしまった。そりゃ、困ったね。立ち往生。そのまま1時間。
大人の世界では、とくに役所などでは「検討中」ということばがよく使われるようです。しかつめらしい顔してこの「特効薬」を持ち出すものだから、まじめな市民はつい本気にして待っていたけれども、同じポーズを続けていると誰にだって見破られてしまうものです。検討していなくても「検討中」ということばは使えるのです。