NO.3132(合併号) 1985年9月7日


●今号の目次●

1 区議会文教委員まわり報告
2 第4回夜間中学増設運動全国交流集会
3 区労協が夜間中学問題で区教委交渉 
4 松戸・市民の会第3回総会
5 「生徒」の本名を呼ぶ取り組み
6 会員の声(番外編)
7 こらむ・えだがわから…


区議会文教委員まわり報告

8月5日と12日、私たち作る会は、先に開いた「6.23集会」の決議文(前号で紹介)と申し入れ書を持って、江東区議会文教委員の方々を訪問しました。
ちょうど8月5日は、今年度の文教委員によって初めての会合がもたれるということもあって、作る会の実情を訴えるにはもっともよい機会でした。
各議員団を訪問して感じたことは、どの会派もたいへん友好的に私たちと会ってくれたということです。ある会派では、「あなたがたの活動はたいへんよく理解している。今後もがんばってください」との強い激励を受けました。
以下、簡単に各会派の対応を記してみます。いずれも面会した議員さんは文教委員の方です。

■公明党 山本秀雄氏(文教委員長)

あなたがたの運動はよく理解している。今、文教委員会前でじっくり聞けないので、今度、前もって連絡してきてください。その時に、あなたがたの話を十分に聞かせてください。本当に必要なら、江東区に作らなければならないからです。

■社会党 尾崎清氏

あなたがた作る会のお話や運動はたいへんよく理解しているし、この間3年間の実績もたいへんなものだと思います。江東区に夜間中学が必要なこともよくわかっています。なんとか援助したいと思います。

■自民党 堀川幸志氏

後日、ゆっくりとあなたがたのお話をうかがいたい。

■民主クラブ 安達一男氏

今、会議前で時間がないので、今度、ゆっくりお話をうかがわせてください。

■共産党 佐藤巌氏

基本的には(江東区に)夜間中学を作ることに反対派しません。私たちの政策も国レベルでは夜間中学を支持しています。地道にあなたがたの運動が広がるようにがんばってください。

私たちは以上のような各議員団の先生方の対応に意を強くするとともに、今後はさらにつっこんだ内容で話し合いを持ちたい、とひとまず文教委員めぐりを終えました。
お忙しいなかで時間をさいていただいた各会派のみなさん、ありがとうございました。今後もご相談にうかがうことが多くなると思いますが、よろしくお願いします。

申し入れ書

わたしたち「江東区に夜間中学・日本語学級を作る会」は、6月23日、区役所隣の江東区文化センターにおいて『江東区に夜間中学・日本語学級の開設を求める集会」を開きました。
江東区にこそ夜間中学が必要であるという背景と、ささやかながら我々が週3日開いてきた自主夜間中学の3年間の実績をふまえての集会でした。
この集会では、現在都内に8校ある夜間中学での教育実践、及び全国各地でとりくまれている夜間中学公立化運動と、その支援運動を交流し、研究討議も深めました。その結果、江東区に1日も早く夜間中学が必要、との点で集会参加者の声がひとつになりました。
わたしたちはこの集会参加者一同の名において、別紙のような決議を満場一致で採択しました。
つきましては、貴江東区議会   議員団におきましても、集会決議を尊重され、1日も早く江東区に公立の夜間中学を設置されるべく、誠意をもって検討努力されることを切に訴えます。


第4回夜間中学増設運動全国交流集会

今年もまた、夜間中学増設運動全国交流集会が静岡県の浜名湖畔・舘山寺温泉で開かれました。
夜間中学増設運動をおこなっている団体や、できた夜間中学をよりよいものにしていこうと活動している団体が年に1回、お互いの運動を交流しあおうとはじまったこの集まりも今回で4回め。もうすっかり定着してきたようです。
8月25・26の両日にかけておこなわれた今年の集会には、昨年の38人にはおよびませんでしたが、江東の6人をはじめ千葉・松戸、埼玉、神奈川・川崎、奈良、大阪などから33人の夜間中学生、教師、市民が参加し、活発な話し合いがもたれました。

松戸も社会教育で

初日の話し合いは、おもに各地の現状についての意見交換でした。
江東区では、私たちの切実な夜間中学設置要求に対して、区教委は「法律的に問題がある」「どうしても通いたければ他区の夜間中学に通えばいい」などと現実を無視した対応をし、またその対応が私たちに論破されると今度は「社会教育」で対応することを考えていると内容をすり替えようとしていますが、同じように運動をすすめている千葉県松戸市でも、この「社会教育で対応」ということばが行政の中に出始めたという報告がありました。
これに対しては、自主夜間中学から公立夜間中学への道をかちとった奈良や川崎からその具体的な反論が示され、私たちにとって参考になりました。奈良や川崎でも同様に「社会教育」での対応が行政側から示されましたが、夜間中学にとってこれがほとんど意味をなさないものであることを卒業資格や授業時間数の問題など具体的な不備を追及していくなかで論破し、さらに川崎では強行された社会教育の講座そのものが現実のニーズに合わないでつぶれたといいます。
また、夜間中学が長いたたかいのなかで設置されたものの、そのたたかいのなかで運動体が実践的にかちとってきたものが、教育委員会の消極的な政策や一部の心ない教師たちによってかすめとられる傾向にあることが、危機感をもって語られました。私たちの運動が単に夜間中学の「公立化」のみをめざすのではなく、その後、どうすばらしい学校にしていくのかまでも視野に入れたものでなければならないことを強く感じたときでした。

生徒を運動の中心に

2日めは、増設運動のすすめかたをめぐって話し合われました。
現在、夜間中学の開設を求めて運動が行われているのは江東と松戸(埼玉も近く本格的な活動に入ります)。しかし、行政の厚い壁にはばまれてなかなか具体的な展望が開けないでいるのが現状です。
話し合いのなかでとくに強調されたのが、まず「生徒」と運動の中心にすえていくことの重要性でした。実際、大阪や奈良、川崎では、生徒自らが「生き証人」となって行政を追及していったことが公立化を実現するうえで何よりの力となりました。
さらに、運動をすすめていく上で大切なことは、その運動が“一部”の人だけの運動になってしまってはいけないということです。「“教育は権利だ”という考えをすべての人たちの共通した考えとなるよう普及していくことが、もっとも大切だ」という川崎からの発言は、地域にある力を集めて、より大きな力をつくりあげることの必要性を強く訴えるものでした。

埼玉も仲間入り

集会は最後に、江東や松戸に早急に夜間中学を開設すること、いまある夜間中学をよりよいものにしていくこと、などを盛り込んだアピールを採択して終わりました。
今年、何よりも特筆したいのは、新しい運動団体として「埼玉に夜間中学を作る会」が私たちの仲間に加わったことです。埼玉県にも多くの夜間中学対象者が住んでいますが、これまで同県には1校もなく、その中で何人かが多くの時間をかけて東京の夜間中学に通っています。
「作る会」では今月16日に正式な発足集会を予定しているとのこと。共にがんばりましょう。


区労協が夜間中学問題で区教委交渉

さる6.23集会で私たちは、江東区労働組合協議会(江東区労協)、江東区教職員組合、東京都夜間中学校研究会(都夜中研)=夜間中学の教師の集まり=などを中心に交渉団を結成し、今までよりさらに大きな輪にしていくことを確認したことは、すでにニュースで伝えてあるところです。
その交渉団のひとつ江東区労協は、この春の対区要求の中に夜間中学の開設を取りあげるなど、夜間中学については、前から積極的にとりくんでいます。
今回も、集会に先立って交渉団のまとめ役をおねがいしたところ、快く引き受けられ、事前に区教委に打診し、面会の申し入れをしていました。その結果を集会で報告を受ける予定だったのですが、区教委が面会を延ばしてしまったために集会の後になってしまいました。

江東区労協と江東区教委の話し合いは、8月13日にもたれました。
江東区労協側は、副議長、常任幹事、事務局次長、江東区教委側は次長、学務課長が出席しました。
江東区労協から、何が夜間中学の開設に障害になっているのかの問いに、次長はおしだまったままでしたが、個人的見解と前置きしながら「法制度、教育課程など問題になるところがある」「教委だけでなく、庁舎全体で(=社会教育)生涯教育として考えていく問題」と、今までのダンマリから一歩すすんだ(?)ことばが出されたのが注目されました。
さらに、江東区に夜間中学を必要とする切実な声の存在が認識されているのかの問いに、「会のほうからは聞いている(他からは聞いていない)」と答えるなど、相変わらずの不誠実さが随所に感じられました。
江東区労協も教委の極めて消極的な姿勢に怒りとともに地道な働きかけの必要を感じていったようです。

そんなわけで、交渉団としての交渉設定にいまだいたっておらず、心苦しく思っていますが、その引き延ばしも区教委の不誠実によるものです。
1日も早く、大きな輪で江東区教委を動かしたいものです。


松戸・市民の会第3回総会

松戸市に夜間中学校をつくる市民の会(藤田恭平代表)の第3回総会と自主夜中開設2周年祝賀会が8月11日、松戸市勤労会館で開かれ、江東からも4人が出席しました。
松戸市では6月、任期満了にともなう市長選挙が行われ、現職の市長が4選されましたが、この市長選に向けて市民の会では立候補者に「公開質問状」を提出。この結果が総会で発表されました。
回答では、対立候補のY氏が市民の会の運動に積極的な支持を表明しているのに対して、市長は、「前向きに取り組みたいと思いますが……」と、一応の姿勢を見せているものの、具体的な施策や方針はまったく示されませんでした。
市長は以前(1980年1月)「どこの中学校に開設したらいいのか、予算も含めてどんな用意をしたらよいのか」と、かなり前向きな発言をしています。松戸の自主夜間中学にはこれまで、50人以上の生徒が通っています。この実態を正面から受けとめ、一刻も早く公立夜間中学をつくってほしいものです。
また、最近では、夜間中学ではなく「社会教育」で対応しようという動きも出ているようです。
義務教育の「値切り」を許すことなく、きちんとした夜間中学ができるまで、ともにがんぱっていきましょう。


「生徒」の本名を呼ぶ取り組み

自主夜間中学で以前からの念願だった「本名を呼ぶ」取り組みが、ようやく軌道にのってきました。「なにを今ごろ」といわれるかもしれませんが、本当に「ようやく」という感じです。
ご存知のとおり、いま、江東の自主夜間中学はほとんどの生徒が在日朝鮮人のオモニと中国引揚者(その家族)です。
これまで通名で呼んでいたのは「生徒」のほうからの意向のようなものもありましたが、なんといっても、私たちの「それでいいや」とする弱さではなかったでしょうか。
今後の方向を見守っていてください。


会員の声(番外編)
照沼くん
(松戸自主夜間中学)

6月23日、江東文化センターで行われた集会で、江東の自主夜中の人たちと初めて出会った。その時の江東の人たちのあふれるばかりの熱気に驚きを感じ、「江東の自主夜中はいったいどんなところだろうか。きっと大勢のメンバーが集まってワイワイやっているのだろう」と思い、一度のぞいてみたいという願望にかられた。
江東にかかわりたいと思ったのは、この6.23集会で受けた印象が強く心に残ったことから始まった。そして集会のあと数週たって、江東を見学する機会に恵まれたことで、その願望が果たせたのだった。
初めて江東の自主夜中を見たとき、「松戸とはかなり違うな」と感じた。来ている生徒は、松戸では登校拒否の子どもや中国からの引揚者、中・高年の方など老若男女いろいろな人たちがいて、思い思いに勉強しているのだが、江東ではオモニが大部分で、枝川・塩浜地区に朝鮮人が押し込められたという事実が象徴的にあらわされているような気がした。授業についても生徒の違い同様に、松戸の様子とはまったく違った雰囲気だった。
しかし、何回も足を運んでいるうちに、江東も松戸の背景の違い、形式の違いはあっても、自主夜中をやっているという事実の根っこの部分は同じではないかと思い始めた。
自主夜中に通ってくる人たちをみれば、年齢などの違いをこえて自主夜中で楽しい時間をすごし、また、いろいろな人と出会うことで自分自身が成長していく姿から共通点が見えてきたのだった。
もちろん行政の手で保障すべき権利を我々の手で保障していることはなんの変わりもない。「私たちの学びの場がほしい」という声は江東も松戸も変わらず、めざすのは公立の夜間中学の設立である。
しかし、自主夜中の存在は、広く学校を問い直し、本来の学校の姿を追究する意味も含んできた。それで夜中同士、刺激を与えあい、よりよい自主夜中を求めることにより、私たちの公立夜間中学を作りたいと思う。
まだ、松戸でも半人前のスタッフですが、松戸からきた一学生の他愛ない声をお届けしました。


こらむ・えだがわから…

17 唄は世につれ(4)

『お前この世に何しに来たか 税や利息を払うため――』で始まる「あきらめ節」をご存じか。赤ちょうちんなどで唄うにはもってこいのこの曲、けだるいあきらめが延々と続く。今回はその「正しい唄い方」を伝授しよう。

まず右手におちょこを持ち、左手でほおづえをついて、

♪苦しかろうが また辛かろが
 義務は果たさにゃならぬもの
 権利なんぞを ほしがることは
 できぬものだと あきらめる

そして酒を一気呑みし、ハァと息をついてから

♪たとえしゅうとが 鬼でも蛇でも
 嫁はすなおに せにゃならぬ
 どうせ懲役するよなものと
 何もいわずに あきらめる

次に、おちょこを持ったまま、箸で卓をたたいてどなるように唄おう。

♪長いものには まかれてしまえ
 泣く子と地頭にゃ 勝たれない
 貧乏は不運で 病気は不幸
 時を時節とあきらめる

最後はおちょこを頭にかぶり、おちょうしを胸のあたりに持って箸でたたきながら絶叫する。

♪あきらめなされよ あきらめなされ
 あきらめなさるが 無事であろう
 わたしゃ自由の 動物だから
 あきらめきれぬと あきらめる

笑わないで一度おためしなされ、団交等でめいっているときなどの苦い酒も明るくなります。