NO.33 1985年10月15日


●今号の目次●

1 広がる支援の輪
2 埼玉の「作る会」正式発足
3 自主夜間中学の風景 
4 会員の声
5 またひとつ自主夜間中学誕生


広がる支援の輪

江東区教委が私たち「作る会」の「夜間中学を作れ」という要求に対して「検討中」を口実にいっさいの交渉を受けつけないという姿勢を示すようになってから、すでに1年半にもなろうとしています。どんなメンバーで、どんなことを「検討」しているのかさえも明らかにしない区教委のやりかたは不誠実そのものであり、実際に何かを「検討」しているかどうかも疑わしいものがあります。
これに対する私たちの追及の弱さもありますが、最近になって作る会と、それを取り巻く支援の体制も徐々に整いつつあります。

「6.23集会」で力強い支援を約束してくれた江東区労協は、8月に夜間中学問題で区教委交渉をおこなうとともに、今後「作る会」との間で定期的な話し合いを続けていくことを確認。10月8日には議長さんら3人が自主夜中を訪れて、実際の授業を見てくれました。
また、東京都夜間中学校研究会も江東区に対して独自の交渉を申し込むなど、積極的な働きかけをしてくれています(ただし、江東区教委の「検討中だから話し合うことはない」という拒否回答で実現にはいたりませんでした)。

夜間中学に関する周囲の声は次第に、そして確実に大きくなっています。それを知りつつ「夜間中学を必要とする声は会のほうからは聞いているが、他からは聞いていない」(区労協交渉における回答)などと平然といってのける区教委の姿勢は、けっして許されるものではありません。
10月から11月にかけて夜間中学、同和教育の東京、全国集会が相次ぎますが、私たちはその中で自らの立場を発表し、夜間中学の必要性を訴えていきたいと思っています。


埼玉の「作る会」正式発足

この「通信」でもたびたびその動きを紹介してきた「埼玉に夜間中学を作る会」が正式に発足しました。代表は、江東の会員でもある香取秀明さんです。
9月16日に浦和市で行われた発足集会は、江東からも6人が参加しましたが、全部で100人をこえる盛況で、大成功でした。
映画「うどん学校」の上映のあとは、東京の夜間中学の先生たちや生徒さん、あるいは卒業生の人たちの体験談が続きます。とくに夜間中学生たちの体験談にはたっぷり時間をとってあり、たくさんの貴重な話を聞くことができました。「夜間中学生の生の声をまず聞く」ことを原点にした集会、そして運動の進め方に好感がもてました。

すでに行われていた大宮、浦和、川口に対する公開質問の回答はいずれも消極的なものでしたが、これから川口市にマトをしぼって夜間中学の開設運動をスタートさせたパワーは強力です。
夜間中学卒業生を中心に、運動は確実に地域の中で広がりを見せていますし、また、埼玉県議、川口市議も集会に参加し、開設にむけて奮闘することを約束していました。
このまま一挙に! と感じさせるほど、運動の力、広がりは充実しており、江東もぼやぼやしてられないなあ、という感じ。

それに、一貫して感じられたのは、会のメンバーの人たちの一生懸命さとさわやかさ、そして地道な努力。期待できます。
とにかく、またひとつ増設運動が増えました。同志として親密な関係をもちながら、お互いに支えあって運動して行けたらと思います。夜間中学を作るためには多くの人の力が必要ですから。

追伸 先日、埼玉県議会で夜間中学問題が取りあげられ、県は、「市から申請がくればOK」と積極的な答弁を行ったそうです。


自主夜間中学の風景
須田昭久

今年6月くらいから、自主夜間中学にまたひとり新しい韓国人のオモニが参加してきている。Cさん、韓国から日本に嫁いできたお嫁さんである。
ぼくが彼女の“先生”をつとめさせてもらうようになったのは、ごく簡単な理由からだ。土曜日のメンバーの中で、かじりでも韓国語を話せる人間がぼくだけだったからだ。
こんなふうに書くと、すこし現実と離れてしまうかもしれない。話せるといってもたいしたことではない。反切表がなんとかわかって、アンニョンハシムニカとかいくつかのことばを知っている程度のことである。そんな人間が、一方こちらも日本語を習いはじめたばかりというオモニを相手に“先生”をやっているというのだから、危なっかしいことはこのうえもない。しかし、それでもいないよりはまし、と自分にいいきかせて、“先生”をつとめさせてもらっている。
テキストの中の絵を指さしてぼくが「イゴシムオシムニカ?」と聞く。これはなんですか、という意味だ。すると、まず彼女が韓国語で答える。そこで次にぼくが問い返す。イルボンマル?――日本語では、本当にそう使えるかどうかは、実はわからない。しかし、今のところそれで通じているのでそう聞く。
知っている場合は自信満面に答えてくれる。知らない場合は――その場合もモルゲッソ(忘れちゃった)という感じで、屈託なく笑っている。そういうとき、ぼくは辞書をひくか、まわりのオモニたちに聞くことにしているのだが、なにぶんこちらに基本がないのでわからないことも多い。一度、教科書に“イタチ”の絵が出てきて大騒ぎになったことがあった。
Cさんは、教科書の絵を指さして「タラムチ」じゃないかと聞くのだが、ぼくにわかるはずもない。すると今度は、まわりのオモニたちひとりひとりに聞いてまわる。
ぼくの頭ごしに、いきのいい韓国語の大激論がとびかう。
「タラムチ?」「イタチ?」「タラムチはネズミじゃなかったっけ?」「いや、ネズミはチウィよ」
韓国語と日本語のちゃんぽんの会話から憶測するに、そんな話をしているのだろうか。結果的にはオモニたちにもわからなかったらしい。あとでPさんとTさんが教えてくれた。たとえば、オモニたちの中にはごく幼いころ日本に連れてこられた場合もあるし、日本での生活が長いこともあるから、日常的によく使う表現はわかっていてもあまり使わない表現などはやはり忘れていたりするのだ。
ぼくがCさんと対応していて、いいまわしがおかしいと、ほかのオモニが教えてくれる場合も多い。そして、そこからぼくの頭ごしにまた、韓国語の大議論が始まってしまうのだ。
でも、そういう雰囲気を夜間中学に持ち込んでくれるCさんの存在は大きいと思う。そして、それは夜間中学に来ている子どもたちにとっても同じことがいえるのではないかと思う。

近所のアパートの子どもたちが夜間中学に通いはじめていることは前にもふれた。その子どもたちの中に、1組の在日朝鮮人の姉弟がいる。しばらく前になるが、その子どもたちと一緒に「オモニと少年」という映画を見たことがあった。
子どもたちに見せるには少し地味な映画ではあったのだが、子どもたちは意外と真剣に見ていた。もちろん、その子たちも一生懸命見ていて、たとえば韓国語が出てくると、友人に意味を教えたりしていた。
でも、その子たちの熱意に対して、友人である子どもたちの反応はあまりあたたかいものではなかった。1人の子が、スクリーンのオモニを指さしていった。「あれはお前たちの祖先か?」――それは残念ながら親しいものに対しての表現ではなかったと思う。
それが今、変わりつつあるような気がするのだ。ぼくがCさんとなんとか少しでも話せるようにと、付け焼き刃の韓国語を勉強している。すると、子どもが、自分にも教えろと集まってくる。また、ぼくがなにかの用事で遅れてきてCさんを待たせたりすることがあると、「何やってるのよ。韓国のお嫁さん待たせちゃかわいそうじゃない」と、抗議の声がとんでくる。なんとなく疎遠なものから、なんとなくだけど近しいものへ、子どもたちの中で感じが変わりつつあるのではないかと思う。
今、Cさんに手紙を書こうかと思っている。Cさんがどう思っているのか。力不足ゆえ今もよくわからない。そんなところからもう少し近づいていけたらと思う。


会員の声
福島有伸

私がここに来るようになってからもう1年半がすぎた。ここに来るまでの私は、大学で差別問題のサークルの活動にいきづまっていた。週1回の学習会や討論をしても、何も始まらないし、何もわからなかった。とにかく集まるたびにウジウジして、このままではくさってしまうのではないかと思っていた。
焦っていた。そういう状況をどうにかしたいと思っていた。そんなとき、この夜間中学のことを知った。そこには何か新しいものがあり、行けばきっと何かにありつけるような気がした。とにかく実践だ! 行ってみようということになった。
私もやはり、1回目の時からおばさんたちについて教えた。のどがいたくなって声がかれたことだけをよく憶えている。それ以後、次に3回くらい通ったが、夜中に来る前に考えていたようなはっきりした手ごたえがつかめなくてがっかりしていた。「作る会」の合本や他の人たちの話をきいていると、みなそれぞれにおばさんたちと心のふれ合いがあって何か得たようだった。当然私も、そのような体験を求めていたのだが……。
そして夜中に来るはっきりとした目的ももてずに、ただ行くだけという時期が続いた。
しかし、今年の4月からだんだん考え方が変わってきた。あるいは開き直ったのかもしれない。
まず、おばさんたちに接するとき、かまえるのはよそうと思った。また、おばさんたちを特別な目で見るのをやめようと思った。無理になにかを見つけようとするのもやめた。
私には、おばさんたちの生きざまや、これまでの生活での苦しさや悲しさなんてわからないし、それをわかったような顔をして感動しようとしていた自分は、なにか大きな考えちがいをしていたようだ。ありのままの私で、となりのおばさんに接するときのように、夜中のおばさんたちにも接していこうと思った。そして、私の作っていくテキストも変わった。
最初は、自分と全然かけはなれた無責任な話をもっていって、おばさんたちに感想を出してもらい、そこから関係をつくっていこうという「下心」があった。おばさんたちにすればいい迷惑だったかもしれない。そして今は、計算や文字の練習といった実践的なところに力を入れているというところだ。
今は、毎週土曜日の、おばさんたちと過ごすひとときが楽しくてしかたがない。そこに甘んじてしまわないよう気をつけたいと思う。


またひとつ自主夜間中学誕生

自主夜間中学にまた新しい仲間が加わりました。法制自主夜間中学です。
千葉・松戸の自主夜中を手伝っている法政大学尾形ゼミの学生たちが中心となって、同大学の教室を使って毎週土曜日の午後6時から授業をしています。
9月28日の開校式には37人が参加。そのうち4人が生徒です。生徒は形式卒業の女性と登校拒否中の小・中学生。当分、「やりたいものをやる」方向で、授業を考えていきたいとのこと。生徒、スタッフの募集中です。