NO.35 1986年1月25日


●今号の目次●

1 第31回全国夜間中学校研究大会
2 自主夜間中学の風景(番外編)
3 夜間中学マメ知識 2 最近の国の考え方は
4 こらむ・えだがわから…


第31回全国夜間中学校研究大会

第31回全国夜間中学校研究大会が昨年11月28・29日、大阪市中央青年センターで開かれ、江東からも参加してきました。今年のテーマは「今日の教育に占める『夜間中学』の意義と役割を明らかにする」。生徒の参加も多く、180席用意されたという会場のイスはいっぱいで、補助イスも用意されるほどでした。

初日は午前中、開会行事に続いて「日本の教育の現状と夜間中学への期待」と題した内山一雄・天理大教授の記念講演。内山教授は、「日本の教育の現状を夜間中学そのものが教えてくれている。夜間中学は本来あってはならないものであり、やっかいなものかもしれないが、けっしてなくしてはならない」と指摘しました。
続いて、午後は(1)教育内容・授業、(2)生徒指導・学校行事・特別活動、(3)引揚・帰国者教育、(4)外国人教育、(5)夜間中学関係者交流会――の5分科会に分かれての討論です。
このうち、増設運動関係は第5分科会です。この分科会には夜間中学の生徒も含めて100人近くが参加しました。

九州にも夜間中学がほしい

第5分科会は増設運動の現状や各夜間中学の生徒会活動のようすなどを中心に意見が交わされましたが、考えさせられたのは、大阪の夜間中学で学ぶために福岡県から出てきているという老婦人の訴えでした。「子どもにたよるわけにはいかないので、家を借りて住んでいる。だが、もうじき事情で九州に帰らなければならない。九州には夜間中学はないが、どうすれば作ることができるのか」というのがその内容です。
当然、私たち増設運動関係者の発言は、この婦人の訴えに即したかたちでの現状報告ということになりましたが、運動を知らせ、広めていくことの発言はできても、運動のない、しかも遠く離れたところに新しい運動を作ることについては、残念ながら有効な手だてを発見することはできませんでした。
私たちの運動は、一方で地域に根を張って個別夜間中学をそこに作らせると同時に、これを特定地域の運動に終わらせるのではなく、さらに全国のほとんどを占める夜間中学のない地域に夜間中学の必要性を訴え、運動に発展させていくような、そんな広い視野で考えていく必要があることを、あらためて考えさせられました。

2日めは「過激派」による同時多発ゲリラで国電が全面ストップというハプニングがあり、開始時間が約1時間遅れましたが、議事は予定通りに行われました。前日の分科会報告に続いてもたれたのが、今回が初めてというパネルディスカッションです。パネラーは東京、大阪の夜間中学の教師、生徒、OBなど。

関西でも若年生徒が増加

これまで、関東と関西の夜間中学はその生徒の構成に大きなちがいがあることがいわれてきました。たとえば、関西では被差別部落の生徒や在日朝鮮人のオモニが多く、関東では引揚者や登校拒否の若い生徒が多いことです。
しかし、今大会では、両者のちがいがほとんどなくなってきていることが明らかになってきました。
たとえば関西の場合、引揚者生徒は、数の上からすると東京の夜間中学よりはるかに多いのです、しかしながら、東京の4校にある日本語学級は関西にはなく、一部の学校で教員定数内でやりくりしてクラスを作っているのが現状です。
また、これまで関西では学齢生徒を受け入れない方針をとり、昼間の学校に対して強いはたらきかけをしてきましたが、最近では夜間中学へ入学を希望する若年生徒(18歳以下)が急増しており、なんらかの対応が迫られていると報告されました。
パネルディスカッションの中ではまた、一部の学校で生徒と教師の信頼関係がくずれてしまっていることが卒業生によって報告され、教師が生徒と正面から向き合うことの大切さが、反省を込めて語られました。

大会は最後に、増設運動を行っている江東をはじめ松戸、埼玉などに一刻もはやく公立の夜間中学を設置するよう求めるなど、関係機関への要望書を採択して閉会しました。


自主夜間中学の風景(番外編)
本名で名乗るオモニたちに応える

岩田 忠

私の親とオモニたち

私たちの自主夜間中学には、在日朝鮮人のオモニが多い。

「私は二二年ぶりに弟にあいってみましたが、しっとりとなみだが出てきました」(朝鮮に22年ぶりに里帰りして)

オモニたちがつかみかけた文字にまず重ねるのは、これまでの虐げられた辛さでもなければ抽象的な民族差別でもなく、ひとりひとりの心の中の深い望郷の思い、家族への思いであった。そして、何の構えもなく、それが最初で最後であるかのように次々と綴り続ける営みは、自らの「生」の確認といえるかもしれない。
私は、このオモニたちの背負ってきた歴史への恨みを家族への深い思いで象徴されるような人としてのあたたかさ、やさしさで包みこもうとしている姿に、人間が人間であることの幹の部分が浮き彫りにされているように思うようになった。
生きることに正面に向き合っているこんなオモニたちに、つきあげられ、引きこまれるかたちで、私の中の“負い目”として思い込み、ひたすら自分の中に押し込めてきた「親」(生活の貧しさ、酒におぼれる父、夫婦げんかの絶えない毎日だった云々)の話をオモニたちにした。
私の話のあと、オモニたちは今まで語ることのなかった深い生活の部分を返してくれた。
私は、このとき、人はみなひとりひとり「生活」「生きている」という宝物を持っている、そして、その宝物が初めて人と人とをつないでいくんだということを教えられた。
しかし、それは、私の親をみつめ直すスタートでしかないのに、オモニたちの前で自分の親のことを語れて、オモニたちが返してくれたことに醉ってしまって、さらに、それを深めていく踏み込みを遅らせてしまっていた。結果的に自分の中の人としての冷たさを呼び戻していっていることに気づかずにいた。こんな中途半端な自分の位置が、オモニたちとのかかわりを平板なものにしか作れずにさせていた。

引きずってきた課題―本名―

私は、自主夜間中学を始めたとき、本名を呼びかけたが、「そんなこと、どうだっていいの」とそっけなくつっぱねられ、そのときに踏んばれなかった苦い経験があった。
3年半たつなかで、オモニたちの生活に近づけば近づくほど、その引きずってきた課題が息苦しいものとして浮かび上がってきた。しかし、在日何十年のオモニに本名を求めることには、私たちがたいへんな作業に足を踏み入れることと思い、どうしてもためらいが先に立った。
わたしは、ためらいながらも、おそるおそる本名の話に触れてみた。すると、あるオモニは、父の名を綴り終わって涙をためていった。また、別のオモニは親の名の文字を家に帰って聞き、「忘れないうちに早く書かせて」とせかしてきた。今までほとんど授業のときは無口で表情も固くひたすら文字の向かっていたオモニは、「孫におばあちゃんといわれるより、ハルモニと呼ばれたほうがうれしいんだ」と、これまでにないやさしいほほえみを浮かべて語った。
本名がオモニたちの本音の反応のきっかけになり、本名の重さをあらためて知らされた。

オモニたちの生活の中に

枝川の町にビラ入れをしたとき、あるオモニの家に立ち寄った。そこで、ゴミの埋め立ての上に作られた枝川の町の歴史、空襲のとき、焼け出された日本人がたくさんこの枝川の町に逃げ込んできて、炊き出しや仮の麩米の面倒をいっしょうけんめいしたという話を聞かされた。
私は、この枝川に接する町で生活してきた親、近所の人たちも、もしかしたらこの炊き出しに何人も救われたのではと思わずにいられなかった。
私たちがオモニたちに本名を求めたとき、「私たちは、周りは朝鮮人、みんな知っている人なんてことありませんよ。でも、仕事場所ではどうしても日本の名前使わなくてはならないの」とオモニたちは答えた。
私は、オモニたち枝川の朝鮮人の町の世界と、そこを出た世界と、どちらに位置しているのか考えないわけにはいかなかった。
学校の中だけでなく、また頭の中だけでなく、オモニたちのほんとうの生活の実相にかかわる肝腎な視点を忘れてしまっていたのである。
遠回りしながらも、オモニたちに本名を求めることで、オモニたちのふところの入り口に立たされた。
私は、このほんとうのスタートラインの位置からもう一度、父、母をていねいに見直していこうと思う。
そしてさらに、自分の親にもオモニたちの生活の中の宝物に触れることをとおして、自らの生活の歴史をオモニたちに重ねてほしいと思っている。
朝鮮人差別を口にしながらも、朝鮮人にとなり合って生活してきた親、従軍し、たくさんの朝鮮人と接点をもってきた父、。私はそんな親の生活史を掘り起こして、オモニたちのあの炊き出しの世界といくつも結んでいければと思う。
オモニたちの生きざまに私の親をとけ込ますことができたとき、私のほんとうの第一歩であり、本名で名乗るオモニに応えることかもしれない。
(第37回全国同和教育研究大会での発表)


夜間中学マメ知識
2 最近の国の考え方は

最近の、国の夜間中学に対する姿勢についておしえてください。中曽根首相は、彼にしてはめずらしく、夜間中学について前向きな答弁をおこなっているそうですが、それは本当なのでしょうか……?

本当です。これは吉川春子参院議員の質問に対して1985年1月22日付けで答弁したもので、義務教育未修了者の数について初めて公式に答えるなど、従来に比べて極めて積極的なものとなっています(今までがひどすぎた?)。
吉川議員の質問項目は、大きく分けて(1)義務教育未修了者・未就学者の実態の把握について、(2)学齢を過ぎている国民に対する義務教育の場の保障について、(3)夜間中学校の充実・拡大について――の3点。答弁は、次のとおりです。

(1)について

学校教育法により9年間の義務教育を受けるべき者のうち、義務教育を修了していない者の数を把握することは極めて困難であるが、学校基本調査、国勢調査報告等を基に推計してみると、約70万人程度と考えられる。ただし、これには病弱等の事由により就学義務の猶予・免除を受けた者が相当数含まれている。
国勢調査による未就学者は、昭和45年の57万2979人に対し、昭和55年には、30万8415人と半減している。
未就学の原因については、調査対象とされていない。
学校基本調査によれば、昭和50年度から昭和57年度までの各年度に、通算50日以上欠席した長期欠席児童生徒数の累計は、小学生のべ19万3730人、中学生のべ23万26人、計のべ42万3756人となっており、病気を理由とする者がその過半数を占めている。
なお、右の累計には、同一人が重複して算定されている場合があり、長期欠席児童生徒の実数は把握できない。
長期欠席児童生徒のうち、義務教育未修了のまま学齢を超過した者の人数及びその長期欠席児童生徒数に対する比率は把握していない。また、義務教育未修了者の実態を把握することは困難である。

(2)について

義務教育未修了のまま学齢を超過した者については、市町村は、その設置する小・中学校に受け入れなければならないものではないが、これらの者についても、学習意欲のある限りは、これを尊重して学習の機会について配慮がされるべきであると考えており、現在、学校の収容能力や施設、設備等の状況が許す範囲内において、小・中学校に受け入れているところである。
ただ、これらの義務教育未修了者は年齢や職業等により、学習の目的や必要とする教育の内容等が様々であるので、それぞれの実態に即し、幅広く教育の機会が得られるようにすべきであると考えている。

(3)について

中学校夜間学級(いわゆる夜間中学)は、発足当初は、生活困窮などの理由から、昼間に就労又は家事手伝い等を余儀なくされた学齢生徒等を対象として、夜間において義務教育の機会を提供するため、中学校に設けられた特別の学級であり、その果たしてきた役割は評価されなければならないと考えている。現在、中学校夜間学級には義務教育未修了のまま学齢を超過した者が多く在籍しているが、現実に義務教育を修了しておらず、しかも勉学の意思を有する者がいる以上、これらの者に対し何らかの学習の機会を提供することは必要なことと考えている。この点については、今後とも生涯教育の観点から配慮する必要があるが、当面、中学校夜間学級がこれらの者に対する教育の場として有する意義を無視することはできない。
中学校夜間学級は、市町村教育委員会が地域や学校の実態等諸般の実情を勘案の上、その必要があると判断した場合に設置し、その周知を図るものと考える。
夜間学級を置く中学校については、公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律により算定した学級数等に基づき教職員定数を措置し、教職員給与費等を義務教育費国庫負担法により、また、これらの学級数に應じて建物建築費を義務教育諸学校施設費国庫負担法により、それぞれ国庫負担している。
なお、中学校夜間学級調査比については、今後とも厳しい国の財政事情等をも踏まえて適切に対処してまいりたい。


こらむ・えだがわから…

18 区 報

枝川区民館にはいると、最初に目にとまるのは、傘立ての横においてある区報。「ご自由にお取りください」と書いてある。また、私の家には、新聞の折り込みになってくばられてくる。
区報は、保健所や税金のことなど生活に必要なことについてのおしらせや、さまざまなスポーツ、文化教室、講習会などの催し物の案内で埋められている。ことに文化教室やスポーツ教室の案内は、昨今のカルチャーセンターブームにならって盛りだくさんだが、この区民の文化と健康を向上させるたくさんの企画も、限られた人々にしか知らされていないのだ。区報を読むことができない人にとって、中に書かれていることは何の役にも立たないのだから。
私は、区報の中に「区報が配布されていない家庭は、ご連絡ください」という一文を見つけたとき、このような気配りがふと不思議に思えた。区報を発行すること、配布が行き届くことも大事だが、区民のすべてが区報を読めるようになることが、まず大切なのではなかろうか。
もうかなり前のことになったが、「どく入りきけん」とシールを貼った毒入りのお菓子がスーパーマーケットに置かれる事件があった。あのとき、事件そのものへの怒りはともかく、「“きけん”と書いてあるからいいじゃないか」という声も少なくなかったという。“きけん”の文字をすべての人が読めるのなら、笑い話にもなるのだろうが……。