NO.39 1986年5月27日


●今号の目次●

1 2年ぶり、区教委と交渉
2 自主夜間中学の風景 飲めやうたえやの合同花見
3 会員の声 中込和美


2年ぶり、区教委と交渉

前号でもお知らせした区教育委員会との2年ぶりの交渉が、やっと4月28日にもたれました。
2年前の約束――対象者に対する区としての対応を検討する――についてです。
交渉の前から「新しいことは何もない」とのことでしたが、「検討中」と会うことすら拒否してきた姿勢に比べ、場を設定してくれたことに少しは理解を示してくれるかと期待もありました。
しかし、交渉はわずか30分。区教委から出席した新教育次長と新学務課長(作る会は7人)の、「具体的検討」については「大きな状況の変化がないのですすまない」ということばにガックリ。
そして、その「状況の変化」とは、(1)幅広い周囲のコンセンサス、(2)文部省の設置基準――だというのです。「区としての具体的な検討」という約束はいったいどうなってしまったのでしょう。
またまた責任転嫁というこれまでくりかえしてきた得意技(その不当性は区教委自身がわかっていることを、今までの交渉で確認してきたはずなのに)で、次長らは退席してしまいました。

「法律」無視は区教委!

区教委の主張のおかしさは、今さらいうまでもありませんが、夜間中学を必要とする人が現にいるという現実をみていないことです。そして住民の教育権を保障する義務が区教委にあるという「法律」もついでに無視しているということです。あくまでも区教委が責任主体――この大原則の認識がまるでありません。おどろくべきことですが。

だれも「反対」していないのに

そもそも区教委がやるべきこと、動くべきことに対して、だれがおせっかいをして口を出すでしょう。自らやるべきことを他におしつけてしまう教育委員会もあるぐらいなのに。しかも文部省や周囲があえてそれをやるとすれば、この場合、「圧力」「干渉」になります。それは、この国では「不当」とされています。
国の設置基準線―法律を云々するのなら、大前提として、そもそも法律が守られていれば、夜間中学を必要とする人なんかいない、ということも考えてほしい。それに、他区の夜間中学や自主夜間中学で学ぶ区民がたくさんいて、その人たちの教育を保障するのはほんとうは区教委なのに、それを他区や「ボランティア」におしつけていることこそ、「法律」違反だということをちゃんと認識してほしいのです。
もちろん、現実には、文部省や周囲の反対があればたいへんでしょう。しかし……だれも「反対」していないのです。そればかりか、たとえば文部省は「夜間中学(夜間学級)は学校教育法施行令35条の二部授業に拠って、各自治体の判断で設置できる」ことを明言しています。
それなのに……だれの「反対」もなく、夜間中学を渇望する人達の声があるのに動かない――。
江東区教委は、法律に関係なく文部省の下請け機関で、「命令」がなければ何もやらないのでしょうか。それとも、単に私たちの要求をみくびり、「放っときゃいいさ」と(まさか、そんなことないですよね)、教育を必要とする人達の権利をふみにじっているだけなのでしょうか。

最後に責任をとるのは区教委

いずれにせよ、今回の交渉は2年ぶりなのに、短すぎました。私たちは、ただちに継続交渉を申し入れました。責任を転嫁せず、主体性を区教委にもってもらわねば「検討」もなにもあったものではありません。「逃げ」るだけが行政ではありますまい。2年間の空白の責任は区教委がとらねばならないのです。


自主夜間中学の風景
飲めやうたえやの合同花見

大田康弘

前日のぐずついた天気がうそのように、これほど花見にてきした日はないというほどのおだやかな日でした。埼玉、松戸、法政大、江東と、日頃自主夜間中学でがんばっている仲間が、お互いの親睦とあしたからのエネルギーをたくわえるために何かやろうというのが、この合同花見のきっかけでした。
場所は、浅草にある墨田公園。「埼玉、松戸、江東に夜間中学を作ろう」「すべての人に完全な義務教育を」と書いたボール紙を柵がわりのビニールにはりつけた一画で、総勢70人ものわれらが仲間があつまりました。
それぞれがもちよった食べ物や酒をくみかわしながら、各地の運動の近況報告のあと、もちまわりで芸を披露することになったのですが、これがまた通りがかりに人々の足をとめるというおもしろさだったのです。
法政大の学生は、今はやりの若者らしく、陽気に「わが母校」などをふりつけのおまけつきで歌いました。松戸は、童謡を主体としたほのぼのとしたやわらかさがありました。埼玉もまた、童謡を一応主体としていることはいるのですが、まともにうたえないというそのアンバランスなこっけいさがみんなの笑いを誘いました。
そして、わが江東。アリランのうたをうたいはじめると、みんなにのせられて踊るオモニやぼくら。このことを予期していたのか、ちゃんとチョゴリを持参していたハルモニもいました。まさに身体全体で表現する、今はやりのパフォーマンスでした。
ある労組の集まりでやっぱり花見にきていた通りがかりの人が、「夜間中学! 知ってるよ、がんばれよ」とお酒のカンパ。また、ある人は、ぼくらの様子をずっと写真にとり続けていました。そして、この人にわれらが仲間は、夜間中学のオルグをしはじめるということさえやってのけたのです。
最後は、輪になってお互いのエールの交換。「フレー、フレー、夜間中学」で締めて終わりました。
後日、オモニたちにこの日の感想を書いてもらいましたので、のせておきます。
また、当日朝早くから場所とりにきてくれた松戸自主夜間中学の若いみなさん、ご苦労様でした。

昨日は 天気が よかったし 風がふかなかったし いつも 先生方は 苦労しています あんなをもいものをもうて 来っていました 私たちの めんどうを見てもうしあけありません
若者ものたちがすばらしいかった 花は いっぱい咲いていました こないことを母親に見せてあけたかった
昔の人は 食べるものかなかったから 仕事もなかったから 花見を持ちもなった 夜間中学校があるから心のやさしい若者もに 出会いたこと うれしく思っています
(李玉英)

先日は ほんとうに たのしでした 私は あちこち けんぶつしました わあ、すごい 風か 吹くと 花がどんどん散って きれいでした 本当 雪みたい
花も 多いけど、人も多いでした 日本人は 花を 見ながら 飮んだり 食べたり するんですね ほら あそこでは 踊って いますよ 天気も いいし、花もきれいだし、気持ちが いいでした 私は たくさん写真をとりました
(鄭洋子)

先生たちとうもこごるさまです
私たじうれしいがったのです
すばらしいてした
花もきれいきれいてした
わかい人はすばらしいてした
先生たちのをかげさんまでした
すみたこうえんところで
上からみたことわあったけと
先生をかけてしだありかとこさいます。
(崔秋子)

先生かた花みすれて いったとき 先生かたきこころやさしので かぜもふかすに とっても花もきれいてしだ いろいろ めんどうおみてくたさって ありかとう こざいました ないねもう 花なみおおねいかいします かきたいことは やまほとありますけれとう またじをはっきり わかりませんのでおわります
(李愚畢)


会員の声
中込和美

私が夜間中学に通って半年、サークルで在日朝鮮人問題に関わり始めて1年がたちました。夜中に通う以前に在日の問題にかんでいたという意味では、オモニたちとのつきあいはある種の実践といえるのかもしれません。
しかしそういった意識でオモニたちとのつきあいが始まったわけではなく、むしろ最初は先生と呼ばれるのがはがゆかったです。なかには私と同い年の孫がいるなんてオモニがいます。孫ほどに若い娘が先生と呼ばれる現状に対する困惑とわりきれなさ。またそれゆえにオモニたちとのつきあいにとまどいが生じたように思えます。
ずいぶん前になりますが、ウピルさん宅へお邪魔させてもらいました。だんなさんもまじえてたくさんごちそうになり、授業以外のウピルさんの姿をかいまみさせてもらいました。
その次の授業の時、ウピルさんがとある拍子に私を指名してきたことがありました。
オモニたちと関係らしい関係をきづいていない頃でしたから、訪問がその指名につながったことに、新鮮な驚きを感じたものでした。
思いおこせば、子どもの「すぐ来なくなるよ」ということばがこれまで通い続けさせてきたのです。なにはともあれ、通い続けること。半年前も現在もそれにつきるものの、貫徹しきれない未熟さが多少バクロされたものでした。
「身体の調子が悪い日以外は休まないよ」というオモニの言葉に、常にその時々自分自身がためされていく気がします。