NO.40 1986年7月8日


●今号の目次●

1 区教委に要請文提出
2 自主夜間中学の風景 手紙を書きました
3 投稿 仕事の中での経験


区教委に要請文提出

先月号で報告したとおり、2年半ぶりにおこなわれた江東区教委との交渉は、あまりにもひどいものでした。自ら「次回の交渉までに区としての対応を検討する」と約束しながら、しかも私たちが区教委に行くたびに「検討中であり、まだ話せる段階ではない」と一応何かを「検討」しているようないいわけをいいながら、実は何もやっていなかったということをバクロしたようなものでした。
当然、私たちは納得できるものではありません。当日もすぐに継続交渉を申し入れましたが、続けて6月13日、文書で再度「すみやかに話し合いの席を設ける」よう求める『要請文』を江東区教委に対して提出しました。しかしここでも、応対に出た依田学務課長は「逃げ」の姿勢に終始し、交渉の設定を「拒否」する始末でした。
私たちが今回の『要請文』で訴えたのは、夜間中学問題全般では課題が広すぎて議論が深まりそうもないという判断から、次回の交渉では(1)江東区居住の義務教育未修了者に対する区教委の方策、(2)区教委が「検討がすすまない」理由としてあげた「大きな状況の変化がない」ことの具体的内容――の2点にしぼって話し合いを深めたいというものでした。それに対する依田学務課長の対応は――。

まず1点めに関してです。
「義務教育で対応しているでしょう」
どこが答えになっているのでしょうか。区教委の管理職になるような人物がまったく国語能力がないとなると江東区全体の問題になりますから、それはとりあえず考えないことにして、あまりにも人をバカにした答えだといわざるをえません。江東区には多数の義務教育未修了者がおり、他区の夜間中学に通っていること、私たちの自主夜間中学にもすでに70人前後の人が名乗り出ていること。これらのことを依田学務課長はどう考えるのでしょうか。ちなみに依田課長は学務課にくる前に「福祉」関係の部署にいたそうです。彼はそこで何を学んだのでしょうか?

2点めについて。
前回の交渉で区教委があげたのは、(1)幅広いコンセンサスがない、(2)文部省の基準がない――の2つでした。

1つめについての今回の答弁。
「私たちは何か事業をする時、区役所内や議会などのコンセンサスを得てやってきましたが、今回はそれがない」
何を考えているのでしょう。区が何か事業を行うときに周囲のコンセンサスを得るのはあたりませのことです。それをしないで独断でものごとをすすめるのを「専制政治」といい、民主主義社会では許されないことなのです。
夜間中学の問題では、都夜中研をはじめ、江東区教組、江東区労協などがその必要性を強く訴え、周囲のコンセンサスは十分にできています。それをもとに区役所内部や議会にコンセンサスを広げていくことこそが区教委の仕事なのです。自らの仕事をしないで「コンセンサスがない」とは、自分の首をしめるようなものです。

2つめの答えもひどいものでした。
「この前しゃべったのとちがう」
ちょっときついようですが、「それじゃ、もっとやさしくいいます」ということで、私たちは次のようにいい直しました。「本来、区がやるべき義務教育の問題を、江東区の場合は当事者能力がないからできない。いちいち文部省や都教委におうかがいをたてる必要があるが、今のところ文部省は江東区に対して何もいってくれないから、何もできない。それでいいですね」と。
依田課長は否定も肯定もしませんでしたから、たぶんそれでいいんだと思います。まったく、なさけない。これが「特別区の権限拡大」を訴える小松崎区長のおひざもとである区教委の実態なのです。しかも、江東区教委は、文部省や都教委に「おうかがいをたてる」こともしていないのです(したって、「それは江東区の問題だから、自分で解決するように」といわれるに決まっています)。


自主夜間中学の風景
手紙を書きました

檀上啓治

大阪に新しい自主夜間中学“麦豆教室”が開校したというのを聞いて、初級の教室で学ぶオモニたちに「励ましの手紙」を書いてもらいました。
「どういう生徒がいるの?」
「ここ(枝川)と同じで、朝鮮のオモニが多いんだって」
「こんな“ばあさん”ばっかりかい(笑い)。たいへんだねえ」
そんな話をしながら、いちばんに仕上げてくれたのは、李福姫さん
「あんまり書くことが浮かんでこないから、すぐに終わっちゃったよ」

おおさかのみなさんかんばてくたさい 私たちもかんばています 勉強はとてもたのしいてす

短いけれど、あたたかさのある文章ですね。

次にできあがったのは、李玉英さん。私たちの自主夜間中学が始まった当初からの「生徒」です。玉英さんはいつも「先生たちいつもたいへんだねえ」と口ぐせのようにいいますが、その「悪いくせ」が、また手紙の最初に少し出てしまいました。

私たちの 先生方は 昼の 仕事を終って 息をつくひまもなくとんで来て字を おしえています。私は 始めは えんぴつもてなかった。今は字を 書けるようになりました。夜間中学校があるから幸せです。皆さんもかんばましょうね

崔秋子さんは最近いつも自主夜中いちばんのり。勉強が始まる前によく、朝鮮での若い頃の話をしてくれます。
「今はほんとに楽になったよ。今日も温泉行って、ひとさわぎしてきたんだ」

大阪
みなさま
かんばでくたさい
おたんがいくろう
しましょう
手おくれてす
かんばりましょ
先生たちはいいです

「もう私なんか(勉強するのは)手おくれなんだけどね」とかなんとかいいながらも、鉛筆を持つ手は休めませんでした。

家事の都合でいつも30分くらい遅れてくる具粉性さん。この日も同様でした。
「今、何やってるの?」
「大阪のオモニたちに手紙を書いてもらっているんですよ」
「手紙が書けるくらいだったら、ここ(自主夜間中学)に来る必要ないよ」
最初は「しぶしぶ」という感じで書き始めた粉性さん。書き始めるとことばとはうらはらに、「もうひとこと、これも書かなくちゃ」。

大阪かの 夜間中学校の みいなさま おお元気ですか こちは東京都江東区枝川夜間中学校で勉強かんばっています。
先生方もやさいのて かんばりましよう
ことばか ならな(い)です
私も夜間中学校きって2年なりますけと やっと自分の 名前を 書くようになりました
みなさんも かんばりましょうね

結局、時間いっぱいを使って書き上げてくれました。

ワイワイ、ガヤガヤと大阪の話をしながら手紙を書いている中で、ひとり一心不乱に鉛筆を走らせていたのは李愚畢さん

おおさかの、夜間中学の、みなさま けんきてすか、くれくれにもう体たにきよつけてくたさい、私したちもう、夜間中学がありまつのて五十八年から、夜間中学へきて、三年になりますか、先生のを(か)けさまて、やっとひらかなを、おぽいますか(た)、またはっきりをぱいません、これたけても、かる(く)のは先のをかけまてした。おおさかのみな(さ)まけんきて かんぱりましょう 私しもかんばります
おおさかの夜中学のみ(な)さま、いつかお(あ)いをしましよう

愚畢さんのおじいさんは朝鮮で書堂(ソダン=日本の寺子屋)の先生をしていたそうで、「麦豆学級の名前は朝鮮の書堂のいいつたえから来ているそうですよ」といって説明すると、「ウンウン」と昔をなつかしむようにうなずいていました。

口では「むずかしいよ」「こんなの書けないよ」といいながらも、鉛筆を持つと何よりもうれしそうにノートに向かうオモニたち。「今一度、なぜ今になってひらがなから勉強しなくちゃいけないのか、そこを考えて怒りをもってほしい」と思いながらも、うれしそうなオモニの顔を見て複雑な気になる今日このごろです。


投稿 仕事の中での経験
広岡 脩さん

私は刑務所を訪問して被告と面会することを仕事のひとつにしている者です。その中であらためて「文字を書く」ということを考えさせられる機会がときどきあります。
先日のこと、某刑務所で面会申し込みの順番を待っていた私の前に、ひとりの老女が並んでいました。係官が用紙を渡し、本人と被告の名前を記入しろと彼女にいいました。彼女は荷物の中から被告の手紙をとりだしてしどろもどろしています。うしろにはたくさんの人が順番を待っています。
「あのぉ」と彼女。「書いた?」と係官。「……私、字が書けないんです」「そんなら、あとあと。今、忙しいんだから」。彼女は手紙を握ったまま10数人がすむのをすみに立って待っていました。
ようやく呼ばれた彼女は、「このように書いてください」と係官に手紙を渡していました。10人の面会手続きに約1時間かかります。結局彼女は早く来ても、ほかの人より2時間長く待たされました。
『字の書けない人はお申し出ください』
こういうはり紙もあるにはあるのですが、読み書きのできない人にとって、このはり紙に何の意味があるのでしょうか。
面会待合室での会話を聞いていると、「公安」「選挙違反」「暴力団」が3割ずつくらいのようです。その中で私は「暴力団」に関心が向き、彼らも何度も会っていると親しく声をかけてくれます。結局、「暴力団」は社会の中で押し流されてきた人々ではないのか。誰が彼らに自立するための仕事や食を保障しようとしたか。だとすれば、社会が「犯罪」を作っているのではないか。現在の社会がある人々を排除し、貧乏が学を奪い、無学が仕事を奪う。こういう構造があるのだと思います。
何人かの下獄者(実刑が確定して刑に服する人)から「刑務所は外の縮図のようなもので、さまざまないがみあいがあるけど、朝鮮・韓国人はとても親切だった。みな苦労を知っているからだろうなあ」という話を聞きました。ここでもまた、『犯罪』とは何かを考えさせられます。だから、たとえば指紋押捺闘争の中などで「犯罪者でもないのに」という発言を聞くと、やはり若干の抵抗を感じます。
ともあれ私も自分の立場から文字・学問と『犯罪』の関係を今後も考え続けていきたいと思います。