2012.7.22
急性低音障害型感音難聴:

 2ヶ月程前に、ヘッドフォーンで音楽を聴いていたら、”あれ、ベースが聴こえない!!” その曲は”THE BYRDS”の1967年の曲で”Change Is Now”という曲なのだが、ベースは左、ドラムスは右にパンが振り分けられているので、ヘッドフォンを左右逆にしてみると、左耳で聴こえなかったベースが右耳では聴こえている。
 次に、ミキシングでベースとバスドラムをセンターに定位する事が一般的になった1970年代以降のポピュラー音楽で試してみたら、センターで聴こえていたベースとバスドラムが若干右寄りに聴こえることが判った。
 早速、パソコンのシステム環境設定でサウンドの左耳だけ聴こえるようにバランスを左100%にしてみたら、やはりベースが聴こえない。中高音楽器は聴こえているので、耳の低音の感度が落ちていることが確認できた次第である。
 しかしこれは困った事である。これではミキシング作業が出来ない。視覚に置き換えるなら左眼だけ赤系統の色が見えないという状態である。右眼右耳があるからなんとかカバーできそうだが、私は音楽制作はヘッドフォンでやるので致命的である。普段の生活ではほとんど違和感が無く気が付かなかったが、ヘッドフォンを使っているおかげで自覚症状となったので良かったとしよう。
 その後、定期的にサウンドバランス左100%でチェックしていると、直っていることもあるし、再発していることもあることが判った。相方に説明すると、”このあいだ難聴で耳鼻科へ行ったら、切り干し大根のような巨大な耳垢が取れた” から、耳鼻科に行きなさいと勧められた。
 そうこうしているうちに、日本音響学会誌の7月号に、”難聴になった”というエッセイが載っていたのである。読めば、全く自分の症状と合致しているので思わず手を叩いてしまった。その名の通り、”急性低音障害型感音難聴” とのこと。早速ネットで検索してみると、引き金は精神的ストレスで内耳がリンパ液でむくんだ状態になっているとのこと。恐らく、低音域の減衰が甚だしくなっているものと思われる。
 ストレスと聞いてこれも手を叩いてしまった。身に覚えがあったからである。今年の1月頃からC言語のプログラミングをやらねばならなくなったのだが、この歳では集中力はあっても短期記憶力が衰え、数百行に渡るプログラム内のどこに何を仕込んだのか思い出すのが難儀である。トランプの神経衰弱のストレスが掛っている状態なのである。そんな最中に人から声をかけられると、とてもびっくりする始末である。なんとかメドが付きかけてきた昨今は症状が少し改善されてきたようである。
 何でもそうだが根を詰め過ぎると身体の方が警告を発するようである。経験的に仕事の相間には外の景色を眺めるとか、身体を動かすと良いと判っていたので、休日はなるべく自転車で外に出てゆらぎ浴を欠かさないように心がけていた。多摩川の河原に出て風になびく草木を眺めるだけでも本当にリラックスするものである。しかしながらこのところ、所用と週末の雨で家にこもりがちになっていたのもいけなかったようだ。
 人体には必須アミノ酸ではないが、必須ゆらぎと呼ぶべきものがあると確信した次第である。

関連エッセイ:
奇跡のゆらぎ方

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