2013.5.1
流線型に淀む:

 STREAM LINE=流線型。
4月の末、このレトロな響きが、代官山界隈を自転車で抜けていてふっとペダルを漕ぐ足を止まらせた。
最近、地下に潜ってしまった東横線際の通りにある小さなカフェの名前なのだが、薄緑色に塗られた入り口のドアの下5分の1は真鍮板が鋲留めされてあり、ガラスにはレトロな字体に赤でトリミングされた黄金色でSTREAM LINEと書かれている。そして、スケッチブックの切れ端が貼ってあり、それには今から半世紀ほど前に東横線を疾駆していたデハ3498とデハ5050のイラストが色鉛筆で丹念に描かれていた。僅か10秒たらずだったろうか、子供の頃のご贔屓だったその電車の想い出と、店構えが電光石火のように繋がり、カフェのご主人の思いが伝わってきたのであった。
更に、通りのカフェの向かい側には象牙色の1941年型のキャデラックのコンバーティブルが停まっている。これは偶然にしては出来過ぎている。何か縁のなせる技であろうか? カフェのご主人とキャデラックの主の正体を知りたいという思いが湧いて来た。 カフェのドアが僅かに開いていたので、ちょっと覗いてみようかと思ったが、その日は先の予定があったので、後日、訪れることにして再びペダルを漕ぎ始めたのであった。その日はなにかとても得をした気分であった。 帰還後、早速ネットで営業日と時間を確認。翌日、再訪する計画を立てた。
そして再訪。カウンターを挟んでカフェのご主人と数人の客が言葉を交わす様は戦前の映画のワンカットのように思えた。 流線型にまつわるセピア色の話題が弾む。そんな佳き夜であった。

 流線型とは、第二次大戦前の1935〜40年代、昭和10年代頃、飛行機や船などの空気や水の抵抗を減らす目的で研究された学問的成果が、それらとは全く次元が異なる身近な日常品の形にまで意匠として取り入れられた世界的な社会現象だそうである。猫も杓子も流線型というような世相だったのかもしれないが、当時、モノ造りに関わっていた人々のモチベーションを想像してみると羨ましい気持ちになる。
ところで、更に遡ればレオナルド・ダ・ビンチは水の渦のスケッチを残している。大水でも流されないような橋の橋脚の形状を思案している過程で残したそうだが、橋脚にまとわりつく渦がどのように出来るのかが判れば、水の抵抗が少ない形状に辿り着くのだろう。彼の没後、約400年後に流線型として学問的に確かめられたわけだが、彼が1930年代の流線型に輝くトースターやライターを見たら苦笑いしただろうか?

 流線型とは淀みが無いということなのだが、一日の仕事が終わって流線型の電車に乗り、淀みなく帰宅するのではどこかツマラナイ。人の流れを巧みに淀ませる。そんな代官山のカフェで淀んでみるのはヨイモノダ。
きっとダ・ビンチも誘ったら喜んで来るに違いない。

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