2013.1.1
年頭所感:宮沢賢治とダ・ビンチ:

 過去の年頭所感を捲っていたら、2009年は、”思い描くことの大切さ” であったが、健康な自分を思い描いていると風邪をひかないと言うようなことを書いていた。
昨年はF1日本グランプリで小林可夢偉が念願の表彰台に登った。彼に限らず、なりたい自分を思い描くようにしているアスリートやアーティストは多いようである。
そこで思い出してみたら、宮沢賢治の”雨ニモマケズ...”が出て来た。彼は、”サウイフモノニワタシハナリタイ”と述べている。 凡人にはナレナイと判っていても心惹かれる言葉ではないか。
子供の頃、親から”お前は将来何になりたいのか?” と問われて、壁に貼ってあったジミー・ヘンドリクスのポスターを指差したというギタリストが居るそうだ。なるほど明快でヨロシイ。
 ところで最近、ダ・ビンチのモナリザを眺めていて思ったことがある。この名画は色々な説が巷を賑わせているようだが、思うにモナリザとはダ・ビンチの理想の表情の習作ではないだろうか?
古今の名画に登場する女性はそれぞれに写真が切り取ったような一瞬のなにがしかの表情を見せているものであるが、モナリザはゼロ点から喜怒哀楽の方向に僅かでもズレていない、極めてニュートラルな表情に見える。心の均衡を保った状態と言うのだろうか?
 ダ・ビンチのライフワークのひとつには、”顔の機能” の探求があったのではないだろうか? 表情筋と言うように、私達は喜怒哀楽にリンクして表情筋が僅かに動いたことで、言葉も無しにテレパシーのように相手の心が読めることを経験的に知っている。これほど素晴らしい機能を持っている顔とはいったい何なのか?何にでも興味を示した彼にとって、ライフワークとするに相応しいテーマだったのではないだろうか?
 彼はどんな性格だったのか?真実は判らないが、彼は自分の顔の表情筋の動きに癖があり、いつも周囲の人から本心と違う人物と思われていたのかもしれない。自分が律したい、”あるべき顔の表情”をこのモナリザに託したのだとしたら? そして、精神(左脳)を伴わない限りモナリザはただの絵図(右脳)でしかないと感じていたのかもしれない。
 心の均衡を保てない時には、いつも雨ニモマケズとモナリザを思い出すようにしたいと思った次第である。

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