2015.1.1
年頭所感:フィギアスケートロイド ”ユズル”


 娘の机の前に貼ってある紙片にこう書かれている。

出来なかったら、出来るまでやる。
出来るようになったら、完璧に出来るまでやる。
完璧に出来るようになったら、何度でも完璧に出来るまでやる。
羽生結弦

 2013年の暮れから我が家には彼に関するグッズが氾濫状態にある。
彼のこの人生訓を読んでなるほどと頷くのだが、自分が彼に関して感じていたのは美しくありたいという姿である。彼自身も感じていることだと思うが、完璧に出来るというのは完璧な美しさという意味も含んでいるのだろう。
家族がテレビに録画しているので、夕食の度に彼の演技反省会に付き合わされるのだが、こんなことを考えた。
スケートリンクを真っ暗にして彼の頭と4本の手足の先に青色LEDを付けて滑ってもらい、それをビデオ記録すれば、きっとホタルの乱舞のように美しい光の軌跡を見る事ができるのではないか?その軌跡を分析すれば美しさの理由が解るのではないか?
そして、何度でも完璧に出来るものがあるとすれば、それはロボットしか居ない?

 人形(ひとがた)ロボットをヒューマノイドと呼ぶそうだが、今やHRP-4Cと呼ばれる、唱って踊れるボーカロイドに人間は恋をし、ファンになる時代だそうだ。
ならば、唱って、踊って、氷上を舞うフィギアスケートロイド、”ユヅル”を開発してみたい。
自転車を漕ぐロボット、”ムラタセイサク君”はおなじみだが、セイサク君を開発した村田製作所や、アシモを開発したホンダ技研のエンジニアもおなじ事を考えているかもしれない。
原理的には氷上で演技をするロボットはプログラミングを通して可能であろう。
しかしながら問題はその美しさである。羽生選手の青色LEDの軌跡を目標にすれば、彼の舞をそっくり再現することはできそうである。目標の軌跡から逆に辿っていけば、ロボットをどのような構造にし、各部の重量配分や柔軟性などが決まってゆくであろう。
昨年の暮れから夜明け前に目が覚めてしまうと、アイデアが次々と湧いてきて眼が冴えてしまうことが2、3回あったのだが、ふと気になってきたことがある。
”何度でも完璧に出来る”というフレーズである。
そう、何度でも完璧に出来たら、それは "ロボットでしかない" ということである。羽生選手が言っているのはそういうことでは無いのでは?
ちょっと考え直してみると、彼が言っているのは、”どんな状況に置かれても完璧に出来る” ということではないか?
そうだ、フィギアスケートロイド ”ユヅル”もそうでなければならない。
どんなスケートリンクのどんな氷の状態でも、向かい風だろうが、追い風だろうが、横風だろうが、台風が来ても地震が来ても完璧に美しくなければ、羽生選手に対して失礼ではないか?
これで目標は決まった。
20XX年、フィギアスケートロイド・グランプリ制覇!!

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