2023.1.18追記
 本日、81歳で永眠。
地球を包み込むような感性を有難う。
安らかに眠ってください。R.I.P.

2015.10.24
人物エッセイ その4 David Crosby考

 デイビッド・クロスビー 1941年8月14日、北米はカリフォルニア州ロス・アンジェルス生まれ。
Byrds、CS&N、およびソロ活動で知られるシンガーソングライターである。

 1988年に自伝 “Long Time Gone" が出版されているので、それを基に考察してみたい。
 アカデミー受賞歴のあるフィルムカメラマンの父、フランス系の母、ジャズ好きの兄の4人家族。サンタバーバラ・シティカレッジを中退し、フォークシンガーとして活動を始めたとのこと。デイビッドについてはCS&Nでの成功により様々な人物像が語られているが、ヒッピー、天真爛漫、自由奔放、バイク好きな男という評が一般的なようである。次男にありがち...と言ったら世の次男の方から、”いっしょにしないでくれ” と怒られるかもしれない。
 一方、大衆紙にとってはいつもネタを提供してくれる有難い男の一面があるようである。Byrds時代にはトラブルメーカーと呼ばれ、薬物依存症、ピストル不法所持で1985年には逮捕・収監され、肝臓も病んでしまったどうしようもない人間である。しかしながら、彼のスピリッツは彷徨う宇宙船地球号には無くてはならない、こんな人間でも立ち直らせたいと願う人も居り、デイビッドはそうした周囲の人々に支えられて人生を歩んできた希有な存在らしい。
 CS&NのNこと、グラハム・ナッシュとデイビッドはお互いに自分には備わっていない特別なパーソナリティに惹かれ、尊敬の念を抱いている間柄であることを公言している。 それは2人のデュオアルバムにも滲み出ている。グラハムはこのままではデイビッドが廃人と化してしまうと察して更生施設行きを辛抱強く説得したそうだが、デイビッドの方は施設を勝手に抜け出したり、まじめにリハビリに取り組まない事に対してグラハムから厳しく叱責された様子が自伝で語られている。
 そんなデイビッドでも見捨てられず、他人から手を差し伸べられた理由、それはやはり彼の生み出した音楽に滲み出ているように思う。独特な世界観の歌詞、多重録音を駆使したハーモニーボーカル、スキャット、変則チューニングを施したアコースティックギターワーク等々。それは表面的なものだろうが、そのルーツは何処ら来るのか?、自分でも不思議でならない。

 世の中、必要な人間は救済されるように出来ているのだろうか? 友人達に支えられながら施設でリハビリに務め、肝臓移植も行った結果、精神も身体も正常に戻って社会復帰を果たしたとのこと。
 1989年に仕事で北米に出張した際に、フリーウェイの脇に建つ大きな看板に、デイビッドの笑顔と ”Yes I Can" という文字が掲げられていて、”おっ!新しいソロアルバムの宣伝か?” と嬉しくなったのだが、滞在中に観たテレビ番組で、薬物依存症克服のキャンペーンと知った時には、びっくりすると同時に安堵したものである。そして現地のタワー・レコードに寄ってみると、看板と同じ写真がジャケットになった "Oh Yes I Can" という新譜が並んでいたのであった。
 このアルバムではジャクソン・ブラウンが共作、参加している。ジャクソンはデイビッドより7歳年下だが、弟のようにデイビッドの更生と社会復帰を支援し続けていたとのこと。こうした友人の中には、ジェファーソン・エアプレインのグレース・スリックやポール・カントナーの名前が伝記の中に見られる。そして、このアルバムのラスト、”My Country 'Tis Of Thee” ではマイケル・ヘッジスがギターを弾いている。マイケル曰く、CSN&Yを聴いて育ったし、自分のギターワークのルーツだったので、デイビッドと共演できるのは光栄とのコメントが寄せられている。なるほど、マイケルはデイビッドより12歳若く、次の世代のアーティストがしっかりこの地球になくてはならないスピリットを受け継いでいるようだ。
 このアルバムのデイビッドの作品の版権は ”go straight music” となっているのも頷ける。”誠実に生きる、(服役後)更生する、まっとうになる” という意味だそうで、彼を支援してくれた人々に向けてのデイビッドの誓いなのであろう。 ただ、気になるのはメタボである。標準的なアメリカのロックミュージシャンのレベルを越えている。 イギリス生まれのグラハムは高カロリーなアメリカの食文化を意識的に回避して健康維持に努めているのとは対照的である。

 デイビッドの作品を歌詞の内容から分類してみると、人間関係、環境・自然、反戦・反核、夢、心理に関するものが多い。恐らくそれまでの人生で心が傷ついたり、傷付けてしまった経験から来るものではないだろうか?
 Byrds時代にボツになった ”Triad” は三角関係を謳ったものだが、その後グラハムとジョニ・ミッチェルを巡ってそうした関係になったとことはよく知られている。この三人は恋愛関係と認識されていたようだが、ジョニを発掘したのはデイビッドであり、ジョニの才能に惚れ込んでアルバムをプロデュースしているように、3人はCN&Mというトリオを組んでもおかしくなさそうである。
 一方、CS&Nのファーストアルバムの中の ”Guinnevere” のモデルとなった恋人を交通事故で亡くしたり、相手とトラブルになり、そのときは内心 ”こいつ死んでしまえ” と思っていたら、翌日、相手が自分とは無関係の事故で亡くなってしまったという経験を自伝の中で語っている。
 デイビッドの交友関係は広く、Byrds結成前からボブ・ディランやByrdsをプロモーションしたジム・ディクスン、俳優、ピーター・フォンダと親交があったとのこと。ピーター・フォンダも父、ヘンリー・フォンダとの確執のように家族関係で悩んでいた時期があり、お互いの傷を察知しあっていたのではないだろうか? 映画、イージーライダーの冒頭でもコカインの粉末を鼻から吸引したり、マリファナを吸うシーンが度々登場するが、それはデイビッドの日常だったようだ。
 異色と思われるのは、ファーストソロアルバム ”If I could Only Remember My name” の中の ”Traction In The Rain” である。雨の日はスリップしないように操ることの難しさについて謳ったもので、バイク好きならにやりとする内容であろう。
 1988年社会復帰後のCSN&Yのアルバム ”American Dream” の中に収められた ”compass” は廃人への道を彷徨う不安と失望のどん底で微かに見えた羅針盤の存在を謳ったもので、デイビッドの私生活を知らないで聴いたとしても、ちょと鳥肌が立つような作品である。

 演奏の面から観てみると、アコースティックギターの妙技に加え、エレキギターによる鋭いリズムカッティングがトレードマークだが、アカペラ、スキャットのアイデアと完成度には驚嘆させられたものである。
 ”If I could Only Remember My name” の中の ”I'd Sweare There Was Somebady Here” はマルチトラックに即興的にスキャットを重ねていったもので、ミックスダウンを経て重厚なアカペラ作品になっている。これに近しい音楽を他に聴いたことが無い。
 一方、C&Nの2ndアルバム ”Wind on the Water” の ”To the Last Whale...” で聴かれるアカペラ ”Critical Mass" はデイビッドとグラハムの2人がパートを分担してあらかじめ練習を積み、マルチトラックを重ねる造りをしている。

 かけがえの無い存在のミュージシャンは夭折してしまうことが多いようだ。そうした意味ではデイビッドはやはり希有な存在かもしれない。今年74歳を迎え、ロックミュージシャンとしては長命な部類である。若い頃に無茶をしたつけが廻ってくることを周囲は心配しているようだが、どっこい生きている。社会復帰を果たしてからは人間が変ったのであろうか。最近のライブでの美声はデビュー当時から全く衰えていないことも驚きである。日々トレーニングに励むような性格にはとても思えない男なのだが.... 彼の国には人間国宝はあるだろうか?。

"If I could Only Remember My name"
by David Crosby 1971

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