2016.5.21
理科工作クラブに見る双対の関係

 小学校の5年生になるとクラブ活動が始まる。自分の時代は1966年だが、現在はどうなんだろうか?
思い出すに、ひとしきり担任のK先生からどんなクラブがあるかの紹介があり、自分が入りたいクラブを決めなさいとのことであった。
 我が母校には理科工作クラブというものがあったのだが、なんの迷いも無く決めた記憶がある。1960年代と言えば、それまでの木工模型に替わってプラモデルが猛烈な勢いで繁殖した時代である。タミヤ、ニチモ、イマイ、と言った懐かしい響きは郷愁を掻き立てる。
 クラブを決めてから最初の部活の日、6時限目だっただろうか? 顧問のM先生から説明があった。
”過去の理科工作クラブで先輩達はこんなものを作っていました。で、プラモデルはいけません”。
 その説明にガッカリはせず、素直に納得できたものである。子供ながらにプラモデルに熱中していることは自覚していたし、学校の前にある文房具屋ではプラモデルの他に、教材の性格を持った工作用の多様なパーツを売っていたからである。例えば、電動の自動車を作りたければ、シャシとなる製材済みの板や角材、”マブチモーター”、電池ケース、スイッチにリード線、ギヤボックス、ゴム製タイヤ等である。
 ボディーは工作用のボール紙を切り抜いて切り貼りすればよく、そうしたノウハウを教えてくれる ”模型と工作” という雑誌もあった。
小学生のお小遣いで賄える世界(市場)であり、今思えば、”健善” なものであったように思う。

 ところで、選択肢として "理科クラブ" というのは別にあったのだが、 "工作クラブ" ではなく、 "理科工作クラブ" だったのである。今思うに、もし工作クラブという名称だったらどうだったか? 工作クラブと理科工作クラブでは集まり具合が違っただろうか?
 教師側としては、”ただの工作クラブだとプラモデルクラブになりかねない、理科を付ければどことなく具合がヨロシイ” ということだったのだろうか? 今となってはそのヨロシサ加減が興味深い。プラモデル業界に押し出されそうな教材業界とタッグを組んだ加減だったのだろうか?

 こんなことを考えた。
工作というのは、”こういうモノを作りたい” というセンス=感性から出発するが、それを具現化するには知識、理論、ノウハウが必要である。それは理性的な部分である。要は右脳と左脳が補完し合わないとつくりたいモノは完成しないということである。そういう意味で工作と理科というのは教科の名称であるのだが、お互い必須の双対関係になるのではないか?と思った次第である。
 そうした意味で、"理科音楽クラブ" や "理科美術クラブ" というのはどうだろうか?

 当時の理科工作クラブの同期の顔が浮かんで来る。
バルサ材の工作が得意だったS君は歯科技工士になった。電子オルガンを作ったA君は工学系大学付属中学に進んだ。版画家になったN君は最近おもしろいことを言っている。 ”版画というより工作だね”

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