2018.12.8
楽曲エッセイ:Daylight Again/Crosby, Stills & Nash 父がどのように死んだのか?

 1982年にリリースされたCrosby, Stills & Nashとしての3rdアルバム、"Daylight Again"*1 の中のタイトル曲である。
1969年のデビューアルバムの才気溢れたな音造りから1977年の2ndアルバムを経てAORに変って行ったが、バッファロー・スプリングフィールド時代に作ったのでは?と思わせる
スティブン・スティルス作のこの曲はアルバムのラストトラックである。前曲までのAORな雰囲気から一転目が覚める感じがしたものである。
歌詞に出て来る ”100年前” や ”父がどのように死んだのか?” というフレーズで、これは南北戦争の事では?と思わせる。
 南北戦争は1861〜1865年のことだがフレーズが進むにつれてそれが徐々に明らかになり、はたと思い当ったのがCrosby, Stills, Nash & Youngとしての1stアルバム、"Deja Vu"*2 のジャケットである。 セピア色の古い写真の中でスティブンは南軍の軍服を着た士官の姿で座っているのである。
 スティブンの幼少時は父が軍人であったことから米国本土や中米の基地を転々としたと聞いていたので、彼がこの曲を発想した原点を垣間見たような気がしたものである。歌詞に出て来る父とは彼の曾曾祖父あたりであろう。
 "Daylight Again" がリリースされる数年前、自分は叔父から米国のお土産として南北戦争ハンドブックなる小冊子を頂いたのだが、歌詞に出て来る ”骨に埋め尽くされた谷”、まさにそういう写真が載っていたのであった。南北戦争は別名、Civil Warと言われるように義勇兵として市民も自分の意志で参戦したということをそのハンドブックを通して知ったのだが、眼を背けたくなるような写真も載っており、アメリカという国の歴史の残し方を感じたものである。恐らくスティブンが彼の父や学校から学んだそうした歴史の事実は彼の作品の重いリソースになっていたのであろう。

 さて、この曲のエンディングではAORとは真逆のマウンテンミュージックを思わせるクロウハマー奏法のバンジョーが鳴るのだが、続いて出て来るのはCSN&Yが1970年にシングルリリースした "Ohio" のB面だったスティブン作の "Find The Cost Of Freedom" である。
ニール・ヤング作の "Ohio" は同年5月に起きた州立大学のデモで学生が州兵に撃たれて4人が亡くなった事件に抗議すべく緊急リリースされた曲だが、当時B面はそれを受けた内容と思っていた。
しかしながら、この "Daylight Again" に続いて "Find The Cost Of Freedom" が唱和されると南北戦争を思った鎮魂曲としてまったく違和感が無いのである。
スティブンの頭に浮かんだダブル・イメージだったのであろう。

Daylight Again

天明が再び
我がベッドに忍び寄る
100年前を思ってみる
父がどのように死んだのか?

青白く、骨に埋め尽くされた谷を見た
もはや歳を重ねることのない勇敢な兵士達が問うている

この世の終末から沸き起こる
いにしえ人の声を聞け
どうすれば決心できるのか?
誰もが語っていたのに、それを聞いた者は居ない

土に埋められた
自由の代償を確かめよ
母なる大地が汝を飲み込む
身を横たえ給え

written by Stephen Stills
from "Daylight Again"

*1
*2

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