2020.9.13
私が出来ない事

 他人が出来て自分には出来ない事、自分には出来て他人には出来ない事。
仲間内の飲み会のような場面で、”えっ〜そうなの!?”と驚いた経験はないだろうか?
20〜30年というオーダーで、ある程度の年齢になって他人とのコミュニケーションの機会を重ねないと判らないようである。
相手の言っていることが何かおかしい、辻褄が合っていないと感じた時に、方言が原因だったというような事に似ているかもしれない。
”たちまちビール!” と言う声が聴こえたので、"立町ビール" という地ビールがあるのか?と思ったり、"ビールを直ぐ持って来て欲しい" という意味かと思っていたが、広島弁で ”とりあえず” という意味だそうである。
そのような例は楽しく過ごせるものだが、出来る、出来ないという事になると劣等感を抱いたり、なにかと問題が起こるようである。
”こんな事も出来ないの?” と上司や先生に言われたら最近はパワハラである。
言われた事もあったような気もするし、幸いトラウマにはなっていないが、他人には言わないようにしていた。
近年、多様性という言葉を頻繁に耳にするようになったのは救いかもしれない。
そこで、私が出来ない事を公表してみたら、”実は私も!” という、なにかの救いになるかもしれないと思った次第である。

私が出来ない事:
1.食物を噛んでいるときの音にかき消されて周囲の音が聞こえない。
2.周囲の雑音が多い状況で電話の相手の声が聞き取れない。
3.二人だけの会話は問題ないが、三人以上になると話に付いて行けなくなる。

 SNSのご時世、出来ない事が判ってくれば、人間に限らず万物はいかに多様なものかを知り、劣等感や誤解、トラウマが解けてゆくのではないだろうか。

解説:
1.:結婚後、相方から指摘されて判った。以前のESSAY
人体の不思議 を参照ください。
これは、噛んでいるときの振動が頭蓋骨を通して耳の鼓膜に直接伝わることによるもので、私は伝わり易い構造になっているらしい。
2.:周囲の雑音が多い状況の中でも相手と会話が出来たり、選挙演説を聞き取ることが出来るが、ターゲットとする声のみを抽出できる=”カクテルパーティー効果” と呼ばれる耳と脳が連携したフィルタリング機能によるものだそうである。ところが、私は受話器を当てた側の耳と周囲の騒音が入ってくる側の耳の音が分離されてしまうと脳の中で抽出できないらしい。
3.:周囲の会話を一時的に記憶したり、呼び出したりする能力が悪いようである。トランプの神経衰弱も苦手である。

関連エッセイ:
人体の不思議
立つべき舞台は此処なのか?

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