2014.11.9
立つべき舞台は此処なのか?

 夕食後の団らん、テレビにフィギアスケートGP、中国杯が写し出されている。ソチオリンピックの感動が蘇る。ハラハラドキドキ、手に汗を握ったり、涙腺が緩みかけたりするので正視していられないほどなのだが、選手の演技を追っているカメラの中に、チラッ、チラッと、なにか異質なものが見える。
最初はそれが何なのか識別できなかったのだが、演技が進むに連れて眼の中に埃が入ったときのようにゴロゴロするようになった。
 それは会場に置かれていた一台の乗用車であった。宣伝広告として置かれてあるのか、優勝者への賞品として置かれてあるのか判らないが、自分には事故にあって凹んでしまった様に見えたのである。 そんなものが置いてある筈はないことは頭では理解できるのだが、氷上を美しく舞う選手の脇に一瞬、写り込むその姿はそう見えてしまったのである。
演技が終わってもう少し長い時間、その乗用車が画面に映っているのを正視すれば凹んでなんかいないことは明白なのだが....
 その乗用車の設計者のことを想像してみた。恐らく、日々、技を磨き、心血を注いで良いモノを作り上げようとする様は、美しくありたいと自身を磨き上げて来た選手に負けず劣らずなのだと思う。しかし、自分には眼にゴロゴロなのである。 美しくありたいと舞う選手はその場に居合わせた殆ど全ての人の琴線を揺さぶったと思うのだが、自分にはその乗用車は琴線に触れるどころでは無かったのである。
この乗用車が居合わせた人の琴線を揺さぶる舞台は此処ではなく、きっと別の処にあるのではないか?と思った次第である。


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