2001.4.14
「タンパク質の音楽」を読んで

深川洋一著、「タンパク質の音楽」を読んだ。
フランスの物理学者、ステルンナイメール博士の唱える「スケール共鳴」なる現象を紹介したものである。
生物の細胞内でタンパク質が合成されるときに量子的な性質の波動を伴うとのこと、その周波数は極めて高いものだが、それを人間の可聴域に次数を落すとタンパク質の種類に固有のアミノ酸配列に従ったピッチの音高列が出来、それが音楽の旋律のような様相を呈する。逆にアミノ酸配列に従ったピッチの音高列を生物に「聴かせる」と共鳴作用によってそのタンパク質の合成が活発になるそうである。
酒蔵でモーツアルトを聴かせたら旨い日本酒が出来たとか、乳牛に聴かせたら乳の出が良くなったという事例を「スケール共鳴」現象で説明したり、実験的にタンパク質固有の音高列を聴かせた場合と、そうでない場合で作物の収穫量への影響を確認した事例を紹介していてたいへん興味深い。
また著者は、なじみ深い楽曲にあらわれる旋律がどのタンパク質に固有な音高列かを分析し、どういう影響が人体に及ぶかといったことについても言及している。
音楽が人体におよぼす影響には精神的な面と、物理/生理的な面があると思われるが、後者における影響の一部がかなり明らかになったことで、物理/生理的に好ましい音高列を用いた音楽の登場が予想される。ただ、そうした他人の企てにはまるのは個人的にはうれしいことでは無いが。
極端な例かもしれないが人体に有害な「音楽」も作り得るわけで、倫理的な自制の必要性についても筆者は警告している。
さて、この本を読んでの疑問だが「作曲」という行為が精神的なものだけではなく、無意識のうちの生理的な欲求の結果と考える事もできるのではないだろうか?つまり、そのときその作曲家の体内で必要としていたタンパク質の合成にかかわる音高列が無意識のうちに頭に浮かぶということがあるのだろうか?
作曲はもちろん脳の活動だが、精神的活動と思われているものも実際はタンパク質のやりとりに帰するところがあるとすれば、どのタンパク質がどういう「旋律」を持っているかを知った者は音楽の神ミューズに音楽の楽園から追放されるかもしれない。
もうひとつ、これはアイデアだが・・・・
かつてこの地球上には数々の民族音楽が発生したたわけだが、もし民族によってタンパク質の多少の偏りというものがあるのなら、タンパク質を切り口に民族音楽を分析することができないだろうか?

参考文献:
深川洋一 「タンパク質の音楽」筑摩書房

関連エッセイ:
楽曲エッセイ:山岳調3部作

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