2019.5.5
楽曲エッセイ:山岳調3部作
シンフォニア・タプカーラ/伊福部 昭 1954年
交響詩・立山/黛 敏郎 1973年
映画音楽・八墓村/芥川 也寸志 1977年

 今回は伊福部 昭、黛 敏郎、芥川 也寸志の3人の邦人作曲家の管弦楽作品を取り上げようと思う。
この3曲の冒頭の旋律は雰囲気が良く似ている。Fig.1参照
ここではレ=Dを主音として表してみた。


 この雰囲気は自分が子供の頃に見た日本映画音楽の原風景と言えるのだが、いずれもその風景から微塵もはみ出ないのである。 この3人はそれぞれに個性的な作風の持ち主なのだが、どうしてこのように雰囲気が似ているのだろうか? この雰囲気はどこから来るのだろうか? 3人がまるで同じ景色を見たことがあるのでは? その景色とは何処なのか? これが永年の疑問でもあった。
 地理的には、シンフォニア・タプカーラは伊福部の故郷である北海道音更、立山はその名の通り立山連峰、そして八墓村は舞台となった岡山県の山間部である。 すなわち、この3曲に共通するのは山岳なのである。 条件反射のようにこの3曲を聴けば山の景色が眼に浮かんでくるのである。
 あるいは黛、芥川は伊福部の門下生であったというのも気になる。 しかしながら、作曲家としては子弟で雰囲気が似てくるというのはどうなんだろうか? 似ていると言われてあまり良い気分はしないのではないか? この3人は既に鬼籍に入っているので彼岸で苦笑いしているかもしれない。
 音楽的にはこの3曲は同じ旋法と言えるのかもしれない。音楽の友社出版、”伊福部昭の宇宙” の中に、伊福部は自分の作品について ”フリギア旋法はどんなときでも使う” と言うような記述があった。これは意識的にフリギア旋法を使うというよりは無意識のうちに使っていたということではないだろうか? 何かDNAのようなものを感じる。ただ、フリギア旋法そのままではなく、シ=Bに♭が付いた亜種と言ったら良いだろうか。山岳というキーワードだけでは片づけたく無いが、ここでは勝手に山岳旋法?と呼んでみようと思う。
Fig.2にフリギア旋法と山岳旋法を並べてみた。


 そこで、この山岳旋法(調)をヒントに分析を試みた次第である。
Fig,3は階名と周波数の関係を示したグラフである。ここではラ=A=440Hzの平均律としてある。


 オクターブ(周波数比が2)の間を12等分にするのだが、基の階名の周波数に2の12乗根=1.05946...を掛けるとひとつ上の周波数=階名になる。 この掛け算を12回繰り返すと基の周波数の2倍になるということである。 半音ずつ12回上がってゆけばオクターブということになる。
古代より○○音階とか、〇〇旋法と言う言い方をする際には、例えば、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シのように7つの階名で呼ぶが、主音=どの階名からスタートするかで雰囲気が異なる。
Fig.4はレを主音とした山岳調を、Fig.5は比較としてドを主音としたド調について、隣同士の階名間の周波数比を円グラフで示したものである。 周波数比:1.122の場合が全音、1.059の場合が半音という関係になる。



これを見て言えるのは、

・7は割り切れない=素数である。
・円の一周=360度を均等に7分割は出来ないので2つの半音と5つの全音に分割するしかない。
・半音が出てくるのが2つ置き、3つ置きとなっている。
・主音から何番目で半音が出てくるか?という見方をすると、山岳調の場合は2番目、ド調の場合は3番目で登場する。

 これを見る限りは山岳調とド調は半音の登場する位置=角度が異なるだけで幾何学的にはさしたる違いは無いのだが、両者を聴けば雰囲気は全く異なる。これは円グラフではその違いを表しきれていないと言う事だろう。これは角度という見方をしたからで、音楽〜音のゆらぎは時間の流れの上にあるから、時間の流れに対して周波数が変化する順番=タイミングの違いと見ればよいのであろう。階名の上昇と伴に周波数も上昇する様は永遠に続くので螺旋=3次元的な表現が必要に思う。Fig.6参照
旋律とはこの螺旋階段を昇ったり降りたりしているのだろう。恐らく半音が出て来る順番がキーポイントのように思える。
これはやはりDNAの二重螺旋の塩基配列、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)を連想してしまう。 A、T、G、Cの配列=順番によって遺伝する系質が異なる様は旋法とどこか似ていないだろうか?


 次にやってみたのは二重螺旋に倣って、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ♭、ド、レという上昇旋律に対してオクターブ上から、レ、ド、シ♭、ラ、ソ、ファ、ミ、レという下降旋律の対位法を考えてみた。これはミラーリングと呼ばれている。Fig.7参照


重なる音同士の周波数の比を山岳調の場合とド調の場合で比較してみたのがFig.8である。


 山岳調とド調では途中で比率が異なることが判る。 山岳調はド調に比べると折れ方が素直に見えるが、これがこの3曲に共通する雰囲気を醸し出していると言えるのだろうか? こうした性質が音楽を聴いた場合にどんなエモーションを起こすのか?これは音響〜脳・生理学の課題かもしれない。

 ところで、2つ置き、3つ置きに現れる半音で連想したのが一週間の曜日である。 7日間の中でこのように現れるのはゴミ出しの日である。ちなみに自分の居住地では火曜日と金曜日は燃えるゴミである。
例えば7日間の中で仕事の負荷が二日だけ半分になるという勤めがあったとして、何曜日にそれを持ってくるのが嬉しいか?という目で作ってみたのがFig.9〜10である。



 自分は土曜→日曜=週末に半ドンになるのが嬉しいと思った次第である。それはド調である。”C調”というのはこういうことなのだろうか?
山岳調=レ=”D調”は週の途中に半ドンが来るのでどこか緊張感が抜けない感じがするのだが? 山の斜面での小休止を思い出してしまった次第である。

関連エッセイ:
伊福部 昭のこと
神様はこの世にまず音楽を作った?
「タンパク質の音楽」を読んで

エッセイ目次に戻る