2006.3.26
伊福部 昭のこと

 2006年2月8日、敬愛する作曲家、伊福部 昭が亡くなった。 1914年生まれの91歳であった。
散歩で、何度か木立に囲まれてひっそりとしたご自宅の前を通り過ぎる度に、玄関の植木の根元で小さなゴジラの複製がこちらを伺っているのが見えた。

 わたしが初めて伊福部作品の洗礼を受けたのは1962年の映画「キングコング対ゴジラ」の音楽である。 次の日もまた次の日も、学校に行く時も、授業中も、遊んでいる時も、下校する時も、幾度となく頭の中で反芻される程に強烈なものであった。 長じてCDや、著書を通じて氏の音楽的ルーツが東北地方や北海道の土着の音楽であることを知るに至ったのは洗礼を受けてからおよそ30年後のことであった。
生まれ育った地域の土着の音楽が自身の音楽的ルーツであったという例は、もはや我々と同世代の仲間では殆どあり得ないことである。
始めて登場したインスタントラーメンに舌鼓を打ち、カップヌードルで育った我々の世代の音楽的ルーツというのは多種多様で大変に恵まれていると言えるし、誰がなんと言おうと好きな物は好きであると言える音楽ばかりである。
でも、伊福部 昭の場合は好むと好まざるとにかかわらず、氏が生まれ育った時代には土着の音楽が全てであり、選択の余地が殆ど無かったと想像される。 それは赤子が言葉を修得してゆくのと同じである。 氏は全く自然に自分の言語で語る作曲家だったと思う。 自分の言語で語ることができた「最後の作曲家」だったと言えるかもしれない。

 さて、伊福部 昭の音楽は私にとってルーツのひとつに違い無いのだが、その味は誰がなんと言おうと絶対好きというのとは少し違う。 しかし快感なのであり、やみつきになる味なのである。 それは完成された一つの料理と言うよりは、料理には無くてはならない「だし」「旨味」「スパイス」のようなものかもしれない。 そういうものは言語のように時代を超越して引き継がれて行くものだろう。

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