2007.5.2
打ち上げ

 奥多摩物語の制作過程はMaking Of OKUTAMA STORYでも紹介しているが、絵画や多色刷りの版画の制作に良く似ている。 アトリエならぬ一室にこもって作曲から始まって、編曲、演奏、録音、ミキシング、マスタリングまで自分自身で行う。 子供の頃、画家の叔母が一緒に住んでいたので、いつも絵画の制作過程を身近に見てきたこともあり、最初から最後まで一人でする作業というものが自然に思えていた。音楽に興味を持ち始めてからも、作曲家、演奏家と独立して考えるより、作曲から録音までひっくるめて考えたかった。
小学校の頃は、毎年秋になると上野の美術館に叔母の絵を見に行ったが、高校生ぐらいになって叔母の個展の際に初日のオープニングパーティーに連れていかれた事があった。画家の仲間がたくさん集まっていて小さな画廊の中で酒を飲んだり料理を食べたり・・・大人の会話がとても刺激的で自分もちょっぴり大人になったような気がしたものだ。成人してからも友人の個展などに顔をだすようになって、個展のオープニングパーティーが画家にとっての打ち上げなのだということが判った。個展は大方一週間程度で、最終日は画廊から作品を撤収、搬出しなければならないので仲間と連れ立ってそのまま飲みに行き難いという事情もあるようだ。個展の案内状に必ずと言ってよいほど書かれている「初日はささやかなオープニングパーティーを開きます。ぜひご参加ください」を見ても判るように、初日が画家にとってのハレの日ということらしい。
叔母を見ていると、個展の日を迎えるまで毎日、作品とにらめっこし、黙々と筆を加え、お陽さまが登って沈んだことも気がつかない。それは7年間を地中で過ごし、地上に出てわずか一週間の祭りを謳い上げる蝉にどことなく似ている。
さて、音楽と関わるようになってから、演奏会やライブの楽しみは打ち上げに決まっている。自分が裏方として参加したり、聴きに行った会は都合がつけば極力、参加させて頂いている。自分にとって打ち上げの楽しみは演奏者やスタッフの趣味(音楽以外も含めて)や、演奏家ならではのものの考え方に触れることだろうか。ゆっくり酒を舐めながら自分はいつも"聞き役"に回る。たまに自分と同じように演奏者やスタッフの知り合いが同席していたりして、初対面なのに妙なところで意気投合するのも楽しい。打ち上げの輪に加わり、演奏家がすべての緊張から解き放たれて飲んでしゃべっているのを見ていると、いつも、「ああ、演奏家っていいなあ・・・」と思う。
さて、自分の場合は時が経つのを忘れて気力の在る限り、延々と続いたミキシングとマスタリングの末、「これでいいか・・・」と背伸びするのは自宅の"スタジオ"という名の納戸である。レコーダーやミキサーは「お疲れさまでした」とは言わず、パイロットランプが消えて行くのみである。静かな事この上ない。一応、満足の出来であれば「ちょっと一杯」とひとりで焼酎かウイスキーを開けようか。
残る作業は、ホームページにリリースのお知らせを載せ、パソコンでCDジャケットと宣伝用のダイレクトメールをデザインし、プレスと印刷を注文に出す。最後に、ダイレクトメールに自分の近況を一筆書いてポストに投函する。 画家の個展の案内状と同じ具合である。オープニングパーティーは無いが、充足感満ちる時である。

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