2008.11.9
ドイツ兵捕虜オーケストラ

 先日の新聞でこんな記事が出ていた。
第一次大戦中、日本軍が当時ドイツの植民地であった中国・青島を攻略した際に、ドイツ、オーストリア、ハンガリー兵士ら約4700人を捕虜にし、千葉県習志野市の収容所に約1000人の捕虜が暮らしていた。収容所内の生活は比較的自由で、音楽家であったハンス・ミリエス氏が収容所内で捕虜オーケストラを結成し、地元住民とも交流があった。その証として終戦から90年の節目に碑が建立されるとのこと。
いい話だなあと思ったのだが、新聞に掲載されている碑に埋め込まれる予定の1918年当時の写真を見ていて、次々と疑問が湧いてきたのである。
指揮をするハンス・ミリエス氏を前に35人ほどの”楽団員”が楽器を持って構えているのだが、管楽器が見えない。弦楽器は見えるにしても、異国の捕虜収容所であるから、楽器をどうやって手に入れたのだろうか?
1000人の中の35人であるから単純計算で楽器演奏経験者は3.5%いることになる。これは多いのか少ないのかは全く判断できないが、今の日本の社会の中で、例えば企業の社員のなかでオーケストラが成立するような楽器演奏経験者はいったいいくら居るのであろうか?なんとなく、3.5%という数字は多いような気がする。
作曲家のラベルや長沢勝俊のように従軍した音楽家は結構いたと思われるが、戦場へ楽器持参で赴いたとも考えにくい。戦意高揚や慰問のための楽団が戦地を回っていたという話は聞いたことがあるが、たまたま慰問に回っていた楽団が一緒に捕虜としてやってきたのであろうか? 色々、想像してると時間が経つのを忘れてしまう。
いずれにしても、捕虜当人だけでなく、当時の日本側の関係者の心意気に心を打たれる。
自分も学生オケに所属していたことがあるのだが、オーケストラが成立するための教育システムとして見ると学生オケや企業オケというのは驚くべきものがあると思う。 楽器演奏経験の全くない1年生が結構居るのである。入学式のあとのオリエンテーションは部員獲得の重要な場である。先輩達の学生オケの生演奏を身近で聴いて感動し、入部を決めてしまうケースが多いようだ。 4月に入学した未経験者でも、その年の秋の定期演奏会には皆、弾けるようになって出演しているのである。先輩が手取り足取りで教えてくれるし、時間は豊富にある。自費でカルチャーセンターへ習いに行くのに比べたらこれは有利である。
それにしても最も重要なのはモチベーションではないだろうか? 憧れの先輩に教えてもらって上手くならない訳はない。不運にも憧れの先輩が見当たらなくとも、クラブ活動としての楽しさはある。
それにしても、ドイツ兵捕虜オーケストラのモチベーションとはなんだったのだろうか? 考えだすと今夜も眠れない。

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