2012.4.10
アール・スクラッグスのこと:

 2012年3月28日、5弦バンジョー奏者のアール・スクラッグスが亡くなった。1924年生まれの88歳であった。
 殆どの人が5弦バンジョーを弾きたいと思うきっかけは、ころころと鈴が軽快に鳴るようなスクラッグス・スタイルの演奏を耳にした事にあると思う。自分にとっては祭り囃子のようなもので、この音が聞こえてくるとそわそわし始めるのである。
 実は自分が初めてこの音を意識して聞いたのは彼の演奏ではない。ザ・バーズに在籍していたジーン・パーソンズの演奏がそうであった。バードマニアというアルバムのライナー・ノーツに、彼がスクラッグスを崇拝していると書かれてあったのである。それが呼び水となって、カントリー・ジェントルメンのビル・エマソンやN.G.D.Bのジョン・マッキューエンといった奏者に出会ったのであった。それらのどのレコードのライナー・ノーツを見ても、スクラッグスを師と仰いでいる旨が書かれてあったので、きっと重要な人物に違いないと思ったものである。
 兎に角、鈴を転がすような音色を手に入れたいと思い、まずは街の楽器屋さんに教則本を買いに走った。恐らく同世代の人なら誰もが持っていたのではないだろうか、東理夫著の教則本である。そこで初めて若き日のスクラッグスのポートレートと対面したのは高校2年の頃であった。ほどなく同学年に5弦バンジョーを持っている輩が居るという噂を聞き、早速訪ねていった。譲っても良いというので6000円で手にいれたのであった。日本のピアレスというメーカーのエントリーモデルで、ケースの中には先に買ったのと同じ教則本が入っていた。スクラッグスが二人居てもしょうがないので、1冊は古本屋行きとなった。
 しかしながら教則本というものはどうにもじれったく、早く "フォギーマウンテンブレークダウン" が弾きたいという思いばかりが先走り、レコードの同じところをひたすら針を上げ下げすることになる。そして一音一音、正確に聞き取るべくレコードプレーヤーの電源を入れず、手でゆっくり廻すことを覚える。後から知ったのだが、それが世界共通の練習法であったようだ。
 スクラッグスのレコードを探すのももどかしく、自分の師匠は1972年のカントリー・ジェントルメン来日公園ライブ版のビル・エマソンであった。後年、スクラッグス本人の演奏を聴いたら、ビル・エマソンは彼のロールを忠実に守っていたと知って、ちょっと感動したものである。
 彼が亡くなった今、恐らくこのような回顧録は日本や世界各地で書かれているであろう。これほどひとつの楽器と奏法が弟子が弟子を産み、子孫繁栄した例は珍しいのではないかと思う。そして60年代から70年代にかけて、日本の大学の軽音楽部が果たした役割も大きかったと思う。先輩から後輩に驚くべき効率で伝承され、5弦バンジョー小僧は果てしなく増殖していったようである。あらためて心から彼のご冥福をお祈りしたい。


5弦バンジョー教則本の中にあったポートレート

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