日々是平穏
2002/04 前半

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4月15日 月曜日 授業 1:臨床医学総論 2:指圧実技 3:灸実技

 まったり午後まで授業を受けた後、入院中のナガイ先生をお見舞いする為、両クラスの代表で新横浜へ。城南〜横浜辺りは非常に不案内なので、代理担任ミゾグチ先生の後にくっついて移動。重い荷物を背負ってえっちらおっちら歩いて回き、ご入院先の横浜労災病院に到着した。
 昨年末、義理のお父さんを亡くされて忙しく動き回ってらっしゃった上に、3年生の実技試験で負傷され、疲労が蓄積しきっていつも以上に肝臓に負担が掛かった為の検査入院(らしい)という事で、お酒好きのナガイ先生だけに心配していたが、想像していたよりも具合は良さそうだった。顏色が柔らかい肌色で、「どこかがとても悪い」といった雰囲気ではなかったので一安心。ここしばらくの入院生活中、食事もごく軽い物に制限されていたとのことなので、いい感じでアルコールが抜けたのではないかと思われる。検査が終わったばかりで今後の予定は未定とのことだが、今はゆっくり休んで頂いて、より良い状態で復帰して頂きたいなぁ、と思う。病室を辞し、駅近くの喫茶店にてアイスカフェラテをご馳走になった後、解散となった。
 同じ方向にお帰りになるシミズさんと一緒に横浜を目指して移動。東神奈川で間違って逆方向行きの京浜東北線に乗ってしまって(「南浦和」なんて書いてあるから反射的に……)、横浜1751の湘南新宿ラインに乗り損ねそうになったり。都内にお住まいのシミズさんは池袋で降りられて、以降一人、うとうとしながら籠原まで。100分から在来線の堅いシートに座り続けた為、へとへとになる。ビデオ返却の為にレンタルビデオ屋に寄ったりしながらの帰宅で、結局家に着いたのは21時前だった。以後爆睡。


4月10日〜4月14日

突発性文章記述不全症候群(通称:筆無症)の為お休み


4月9日 火曜日 授業 1:経絡経穴概論 2:生理学

 今日も一本早い電車で学校へ行く。夜間部の連絡黒板まで綺麗にした上で、黒板周りを水拭きしたり、モップを掛けたり、チョークを整えたり。精進の甲斐あって、シライシ先生にはいたくお喜び頂けたようで、ご機嫌で講義をされていた模様……黒板を綺麗にしておくことは、清潔な教室で気持ちがいいとか、教えて下さる先生への礼儀を表すとか、色々な効用があるのだろうが、私は、その他にも「教師を『のせる』ことで、授業の質を高める事に繋がる」と信じている。如何に高い授業料を払っているとはいえ、先生にばかり「良い授業」をすることを求めるのは不公平ではないだろうか、と元塾講師の教師崩れは思うのである。……私の(黒板消しの)場合は、既にそのための目的と手段の判別が難しいとも、目的と手段が逆転しているとも云うが。

 学校が捌けた後、高崎線ではなく埼京線に乗り、南与野へ。大学で、講義概要その他を出来るだけ早い内に受け取る為である。 新入生のオリエンテーションの為に授業は行われておらず、新入生の群れていないところは非常に静かだった。まずは国語科の事務室で概要その他を確保した後、休学前にお世話になっていた先生方に挨拶回り。どの先生にも本当に暖かいお言葉を掛けて頂き、「頑張って卒業しようね」と励ましていただいた。履修科目の確認に行った学務でも、実に親身に相談に応じて貰えて、本当に嬉しかった……大分状況は改善されたものの、正直まだ、大学に来ること自体が精神的に負担であるからだ。残りの単位数もはっきりして目標も明確になったし、今までよりももっと、抵抗を感じないで大学に来ることが出来そうだ……後は、自分の意志次第だろう。
 学校を発つ前に購買に寄り、気になった本(講談社ブルーバックス)を2冊程買い込んでから、雨中帰宅。流石に渋谷と浦和(未だ「さいたま市」はしっくり来ない……)をはしごすると疲れる。そのまま着替えて横になり、目が覚めたら晩飯で……と、いつものパターン。


4月8日 月曜日 始業式・HR

 きっかり学校時間に目が覚める。普通のレトルトカレーを掻き込み、いつもより一本早い電車で学校へ……毎日、こういう調子で行ってくれると助かるのだが。
 若干体育会系よりのミゾグチ先生のお気に召すよう……という訳でもなく、いつも通り黒板を綺麗にしたり、教卓周りを整頓したりする内に、講堂に集合の連絡。いつも通りの校長先生の長いスピーチを拝聴して始業式は終了し、教室に帰ってホームルームとなった。早速配られた今期の時間割によると、明日の授業初日からWHITESTONE生理学がある模様でややげんなりするが、去年お世話になった先生方も多く残られるようで安心。配布物をざっと済ませた後、クラス役員決め。昨年後期のメンバーがほぼ全員そのまま留任して速攻で決まる……つまり、今期もB組委員長な訳で。後期委員長人事のとばっちりで無理を言って副委員長をしてもらっていたヤマグチさんの代わりに、キタムラさんが率先して手を挙げて下さったのが有難かった。出来るだけ負担を掛けないで済むようにしたいものである。
 普通なら紛糾するであろうクラス委員決めが即決したお陰で、予想よりも早く、11時には学校を出ることが出来た。折角の好機を活かさんと秋葉原に寄り、買いそびれていた漫画や同人誌などを買い込んで散財してから、とんふみで豚カツを食べて帰宅。程良く脹らんだ腹が導き出す眠さには勝てず、スーツを脱いで、そのまま横になる。

 目が覚めると、既に晩飯の時間だった。若干控え目に晩飯を食ったり、お父んと姉貴に施術をしたり、風呂に入ったり、溜まった日記を書いたりしている内に一日が終わる……やることが多いと、あっという間に一日は過ぎていくもののようだ。


4月7日 日曜日 春休み

 10時過ぎ起き出すと、甥っ子が居た。朝「ばーちゃんのおうち、いくー」と言いだして聞かなかったので、やむなく弟が連れてきたのだそうな。その後も帰らせようとするとむずがったり、弟のアパートの前まで連れて行っても戻りたがらなかったり。爺婆が甥っ子を追い返せる筈もなく、そのまま居座る。
 朝飯兼昼飯を掻き込んで、腰が辛いと云うお父んに施灸をした後、2階に戻ってのろのろと部屋の片付け。ある程度の大物を一旦廊下に持ち出して、空いたスペースに机の上の物を移して、空いた机の上に(繰り返し)……リアル倉庫番。昨年度限りの教科書を纏めて仕舞い、少しでも要らないと思った物は思い切ってばさばさとゴミ袋に放り込む。適当にばさばさ物を詰め込んでいた為に機能しなくなっていた、無駄に広いクロゼット(>藤原の部屋と同じ位の広さ。山手線方面から呪いのオーラを感じます)も、中の堆積物を整理して、仕舞えなかった大物を運び込んだり。夕方近くまで格闘して、漸く数畳分、床面積を回復することが出来た。心地よい疲れと共に爽快感を覚える……とはいえ、2階には物置化してしまっている部屋が後2つもあるのだが>うち一つは元の自分の部屋 いつかは時間を取って片付けねばなるまい。流石に疲れたので、1時間程横になる。

 19時前、目が覚めた。我が校は体育会系なので、式典には極力スーツを着ていくことになっている。今まともに着られる唯一のスーツ(紳士服の○山で買ったデブ対応スーツ)がクリーニング屋に預けっぱなしになっているそうなので、起き抜けに急いで回収してくる。戻ってきたら……甥っ子はまだ居た。一日ずっと甥っ子の相手をしていたのと、お父んが知り合いの呑みに連行されてしまったのと、ちょっと風邪っぽいのとで、お母んが晩飯を作りたくないと云うので、弟が甥っ子を回収しに帰ってくるのを待って、5人で鐘庵へ。「んぉいしー、んぉいしー」を連発する甥っ子に、店主夫妻もにこにことしていた。満腹の腹を抱えて、弟共を送り届けながら帰宅。

 遂に明日、激動の第2学年のスタートである。正直、大学と専門学校とのダブルスクールをどこまでこなせるかは未知数で、不安がないと言ったら大嘘になるのだが、それでも、喜びと期待を抱いて第一歩を踏み出したい──まだ見ぬ状況に怯えて進まないのは勿体ない、やってみれば案外何とかなるし、色々と楽しいこともある──それに気付くことが出来たのがこの一年だったのだから。……出たとこ勝負である点に関しては全く変わらないのだから、怯えているだけ損だからとも云うが。
 スーツとYシャツを整え、明日の支度をして、若干早めに就寝。


4月6日 土曜日 春休み

 今日は、新学期に向けての健康診断である。5時半に起き、レトルトカレーを掻き込……辛さ20倍カレーは起き抜けに食べるものではないらしい。こんな物を買ってくる姉貴を恨みつつ、もたれる胃袋を抱えて学校へ>面白がって食べる人もどうかと思います
 9時半からの検査開始まで時間があるので、新しい教室の黒板周りを掃除したり、足りないチョークを補充したり、環境整備。前年度の2年生が適当に(と言うか、普通のレベルで)黒板を消していたと思われ、あちこちチョークの粉(炭酸カルシウム)の残りが石灰化を起こしている……まぁ、元々石灰そのものなのだが。これを濡れ雑巾で拭くと却って結晶化が進んでしまうので、これから暫く、根気よく黒板消しで擦って少しずつ削っていくしかなさそうである。この辺が黒板消し道の奥の深いところで(以下略)
 時間になってやってきたのは担任のナガイ先生ではなく、マッサージのミゾグチ先生であった。ナガイ先生は肝臓の具合が悪いので検査入院、今月末以降の復帰の見込みとのこと。道理で終業式前から姿を見ないと思ったら……ご快癒をお祈りしております。学期が始まったらクラス代表でのお見舞いを検討せねば。暫くはミゾグチ先生が担任代理をして下さるらしい。
 そのミゾグチ先生をサポートして、配布物の回収やら何やらクラスの事務を一手に引き受ける羽目に陥り、てんやわんやに。肝心の自分の検診が後回しになってしまう。クラスの半分位が帰り始めた頃、3年生と一緒のグループで受ける。身長体重・血圧と血液検査に胸部レントゲンと全てを受け終わったのが11時半……みんなひどいや。更に、

医者:最高血圧は体重にしては低くて良いと思いますが、最低血圧が去年より高いですね。
体重減らしましょう

と宣告を受ける。がっくり。
 学校近くの写真屋にてインスタント写真を撮り、学生証を作成してから学校を後にした。

 昼過ぎ、池袋駅いけふくろう前にて神田と待ち合わせ。30日に封切られた「WXIII」(機動警察パトレイバー劇場版第三作目)を観る為である。割引セールをやっている吉野屋でこれでもかと云う程牛丼をかっ喰らった後、迷いつつ東武メトロポリタン内の映画館に。大分時間が余ってたので、旭屋書店に立ち寄って二人で散財をかましていたら、危うく立見になるところであった。徹底した押井ギャグの併映「ミニパト」の後、本編。ネタバレになるので内容については触れないでおくが、私個人としては割と楽しめた。心情描写がしっかりしていたのには好感が持てる。……ただ、色々な意味で猛烈に救いがないので凹んでる人は見に行かないことをお奨めする……同行のカンダはめためたに凹んでいた。余りに凹みッぷりが激しいので、カンダは先に帰して、池袋とらのあなで若干の買い物をした後帰宅。

 一旦帰宅し、晩飯をささっと掻き込んでから、カムリを駆って先生のお宅へ。新学年でまた際限なく散らかっていくことを考えると、最後の日曜位は部屋の片づけをしておかないといけない>散らかさない努力は出来ないんですか つまり、明日以降は時間が取れない訳で、メールのあったトラブルは今日中に片付けておかないと、後で色々と大変なことになってしまうからである。
 基本的には前回の症状と同じで、ノートンのメール保護の切り離しを確認してからメーラーのアカウントとパスを書き直したらあっさりと完治。今回違ったのは、前回の私の対処法を参考にして、先生が自ら修正されるべく努力をしたこと。……が、治療院の自作機の設定を一生懸命メモに書き写して、その設定をノートパソコンに写されたようで、ノートンの保護下にある自作機の設定をそのまま書き写した為に、「メーラーをノートンから切り離しているのに、一生懸命ノートンとのコンタクトを取りに行っている」という状態になっていた……そりゃ、メールが来る訳もなく。「色々チャレンジしてみたらそれが却って徒になり、訳が分からなくなる」悪循環に陥っていたのだが、「色々チャレンジ出来る、する気になる」という時点で、ある程度Windowsに対する経験値が高まっていることの現れである訳で。これも、少しずつ先生が成長していることの証明であろう……よく考えれば、ウチのお母んと大して歳の変わらない人が、これだけパソコンに順応し続けていくというのは希有なのではなかろうか。

 作業は21時前に終わったのでさっさと帰ろうとも思ったのだが、「世界!ふしぎ発見」にて、我らの東洋医学にも通ずるところの多いインドの伝統医学「アーユルヴェーダ」についてやっていたので、そのまま残って、先生とあれやこれや東洋医学と比較しながら楽しく観る。お陰で帰宅は22時半を回ってしまったが、家でごろごろしているよりはずっと有意義に時間を過ごすことが出来たと言えよう。



4月5日 金曜日 春休み

 15時過ぎ起き出す。そろそろ春休みも終わる、と思うとやる気もうなぎくだり(>日本語がおかしいです)で、夜までのんべんだらりと何をするでもなく過ごしていると、携帯に先生からのメールが入っていた……昨夜のタイムスタンプ付きで。のんべんだらりが過ぎて、携帯のメールチェックもしていなかった……携帯のメールアドレスの意味が皆無である。
 肝心のメールはと言うと、「今度はノートパソコンの方でメールの受信が出来なくなっている、いろいろやってみたけどどうにも巧くいかない」旨の内容であった。またですかノートンさん。

 明日は朝から学校で健康診断を受けなければならない&カンダと映画を見てくる事になっているので、通常の学校時間に家を出るべく、早めに寝る。我ながら「今更遅いよ」とツッコミを入れたくなるが、そろそろ体を学校時間に戻していかないと、学期開け早々から居眠り大会になりかねない。


4月4日 木曜日 春休み

 13時過ぎ、目を覚ます。31日に髭剃りを伊勢の国の風呂屋に忘れてきてしまった為、無精髭がいい感じに伸びてしまっているので床屋に行く。前回の反省からか、弟はじっくり時間を掛けて丁寧に頭を刈っていったが、やっぱりあちこち修正されて凹んでる模様。まぁ、前回よりはマシだったんじゃないかなぁ、と兄貴的には思ったのだが。
 旅で疲れ切った体を癒しつつ、先生へのご報告とおみやげ持参を兼ねて、先生の所へ。16時過ぎに着いたのだが、あれやこれや任されて色々インストールしたり、CDのラベルを作ったり、施術をお手伝いしたりしている内に遅くなり、施術を受けて帰る頃には21時を過ぎていた。流石に疲れて、晩飯を食らったら眠くて仕方無い。沈没するように寝込む。


4月3日 水曜日 春休み

 朝からだるいので、そのまま寝直すことにする……疲れが一日措いて出た、ということであろう。年齢を感じてがっくり。がっくりしたまま寝ていようと思ったが、甥っ子が起こしに来たのでもそもそと起きる。そういえば、今日は爺婆が孫を愛でるデーだったか。
 下に降りていくと、お母んが「姉貴の雛人形を蔵から引っ張り出してきて飾れ」(我が家の方は田舎なので一月遅れで雛祭をします)と宣ったので、ぽかぽか陽気の下、蔵から雛壇やら雛人形やらを引っ張り出してきて、お母んと甥っ子の3人で作業開始。25年も前の雛飾りセットで色々と手間が掛かるのと、じゃれ回る甥っ子が危なっかしいのとでなかなか進まなかったが、30分ほどで完了。



アンパンマンすきすきの甥っ子に掛かるとおひな様もこうなるらしい(ドキンちゃんの隣がバイキンマンじゃないのは、我が家にバイキンマンの人形がないから)。ちなみに、主役のお二人は……



……一気に最下層に没落。>ちゃんと後で元に戻しました

 作業の後、どうにも背中の張りがとれないので部屋でしばし寝ていると、買い物に行ってきたお母んが写真を現像から引き取ってきた。ちょうど昼飯だったので、例によってお父んが買ってきた油っぽい焼きそばを平らげた後、受け取る……ざっと、150枚ほどあるだろうか。一人でやることが他になかったとはいえ、本当にたくさん撮ったものである。まぁ、撮るには撮ったのだが、納得出来るものや、日記のネタに使えそうな写真の少ないこと。特に、風景写真で満足のいかない物が多く、「広角レンズか望遠レンズが欲しいなぁ」と切に思う……幾らレンズが良くても、使う人間の腕が着いてこないようでは何の意味もないのだろうが。

 夕方、「写真が上がってきたので、少しは旅行記を書こうかな」と漸く思い立つ。が、参考に過去の旅行記を見ようとローカルに保管してあるhtmlを開くと、リンクのアドレスがめちゃめちゃで、一々ブラウザにつっこんで読まざるを得ない状態。 貧弱なコンテンツを多少なりとも補うべく 弟からのリクエストもあったので、今回の旅行記掲載に伴い再掲載を目論んでいるのだが、とてもそのままアップ出来る状態ではない。一応編集を始めてみたが、htmlファイルを1つ修正し終わった時点で、残りの未修整ファイルの数から修正すべき箇所の数が垣間見え、途端にやる気が失せ、放棄。晩飯後、気を取り直して編集を始めようと思ったが、遅々として進まず。しかも、唐突に横山光輝「項羽と劉邦」を読みたくなり、全21巻を通読する。それだけでは物足りなくなり、司馬遼太郎「項羽と劉邦」にまで手を染めてしまう。結局進まず。


4月2日 火曜日 春休み

 紀州への一人旅から無事に戻って参りました。旅行中のことについては、学期が始まるまでには何とか旅行記として纏めようと思っておりますので、気長にお待ち下さいませ>こうやって自分の退路を断たないとはじめられないようでは困ります

 15時過ぎ、何とか帰宅……生ものの土産を祖父母の家に持っていったら、爺様から「あん摩してくれオーラ」が漂っていたのを1時間ほど施術してきたので、実質14時には帰宅出来ていた、ということにはなるが。
 ただでさえ疲れて帰ってきたのに、あん摩までしてきて相当だるい。さっさと着替えて昼寝……と行きたいところなのだが、無理を言って旅行してきただけに、「疲れた疲れた」でだらだらしてる訳にもいかない。「せめて家族が帰ってくる前に一通り片付けておこう」と一念発起する。お世話になったカリブを労う為、ホースで水を掛けてざっと水洗いをしたり、油膜やら小虫の死骸やらがこびりついたフロントガラスやナンバープレートを台所用洗剤でごしごし擦ったり、山のように載せてあった荷物を降ろしたり、カムリに載せ替えてあったチャイルドシートをカリブに積み替えたり。

 流石にこれ以上頑張る気にもなれなかったが、これだけ疲れていると、眠気があっても不思議と寝付けないようだ。仕方無いので、3日間チェック出来ていなかった行きつけのサイトやメールをチェックしたり、会計報告をお母んに提出したり、姉貴にあん摩したり、以降まったりと過ごす。


3月30日〜4月2日

旅行中につきお休み


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