日々是平穏
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7月14日 日曜日

  孫を愛でるデー 日曜日で預けられている甥っ子に呼び起こされ(正確にはお母んと姉貴が甥っ子を使って起こすのだが)目が覚めると、部屋は既にサウナのようになっていた。時計を見ると午前8時である。「明日までで一応通常授業が終わるとは云え、もう少し休ませてもらいたいなぁ」と思いつつ階下に降りていくと、居間に畳がなかった。思わず寝惚け眼をごしごしと擦ってしまった。築10年になろうという我が家、新築時には青々としていた畳もそろそろいい感じで黄色くなってしまっていて、人の行き来の激しい部分などは毛羽も目立つので、カーペットや家具の下になっていて余り傷んでいない部分と差し替えようということらしい。「んな事を突拍子もなく思いついて、しかも実行しようとするのはお父ん以外にはいねぇだろう」と思ってお母んに聞いたら案の定そうだった。この唐突さと妙な実行力(とその行動の労力に対する利益の少なさ)がウチの父の大きな特徴の一つである。「この親にしてこの子あり」とはよく云ったものである。
 さっさと畳を差し替えて卓を元に戻してから朝食。妙に眠いので、そそくさと2階に戻って扇風機で涼を取りつつ再び眠りに落ちた。

 夕方までの一番暑い時間を寝て過ごした後は、お母んが新しい携帯を引き取ってきたので、その扱い方についてレクチャー。先述の通り、私の携帯と同系統なので、機能は殆ど把握しているし、説明自体は苦労しないのだが、なかなか理解して貰えず苦労する。女性に機械の操作を教える難しさを改めて感じ、割と覚えのいいウチの師匠が寧ろ貴重な存在であることを痛感する。
 以降、晩飯にうどんをたらふく食ったり、ジャガイモを掘って足腰が張ると云うお母んをマッサージしたり、夜の涼しい風の中日記を書いたり、原稿の準備をしたり……準備はしているものの、一向に進まないのが問題なのだが。本当に書き上がるのか>だから他人事では 一応、明日で平常授業が終わりであるから、休みに入ったらそれこそ全力を尽くさねばなるまい。


7月13日 土曜日 授業 1:東洋医学概論 2:鍼灸理論

 台風が去った後、蒸し暑い日が続いているて、今朝も蒸し暑い。しかも、長かった学期も終わり近く、更には土曜日なので、朝からやる気最低潮である>大人は変な造語をしません
 が、こんな日に限って埼京線・大崎駅のポイント工事の影響で、全ての埼京線・湘南新宿ラインは池袋で折り返し運転であり、その影響で土曜日だというのに山手線がやたら混んでいた。更にやる気が低減したが、何とか黒板だけは綺麗にして、まったりと一日を過ごす。ナガイ先生の復帰の関係で、今日が最後の授業になるかも知れないイワタ先生に黒板をお褒め頂けたのはとても嬉しかった。

 全ての授業が捌け、時計を見ると1210を回っていた。普段であれば湘南新宿ラインに乗るべくダッシュを駆けるところだが、前述の工事の所為でそれすらも出来ず「山手線で池袋、池袋から埼京線で赤羽、赤羽から高崎線」と2度手間を強いられる。しかも、今日が夏のカタログの発売日である。のんびりしているととんふみの営業時間に間に合わない可能性すらある。学校そばのアニメイトでカタログを購入した後、渋谷駅へ。が、山手線は丁度ホームを滑り出したところだった。幸い、埼京線の乗り換えは理想的に巧くいったので、赤羽駅に着くや、埼京線ホームをダッシュで駆け下りた。横目にちらっと発着表示を見ると、既に下りの高崎線は入線しつつあるようだ。それでも諦めず、降りてくる人でごった返す高崎線ホームの階段を何とか掻き分け掻き分け登ると、ホームにはまだ電車が停まっていた──間に合った。鳴り響くベルの中、車内へと駆け込むと、蒸し暑い中を駆けて火照った体に冷房が心地かった。シートに腰を掛けると、ごとんと云う音を立てて列車は走り出した──反対方向に向かって。間違えて上り線に乗っていたワナ。急ぐ余り、行き先表示もロクに見なかったのが敗因であった。やはりあの時点で下り線は発車していたのである(大勢の乗客がいた時点でそれに気付かないのがそもそも迂闊)。尾久駅で折り返しの(本来であれば赤羽で待っていたであろう)電車に乗り、一応事なきを得る。
「そういえば埼京線なのに大崎駅の工事とは何事だろう?」と思って車内を見回してみると、「埼京線、りんかい線への直通運転!平成14年12月1日開通予定!」という広告が──これを見た途端、全てを許せる気になったのは余りにも現金というものだろうか。夏冬の大祭の折々に、不便で遠回りの新木場周りを強いられていた我々にとっては大いなる福音である。帰りも渋谷駅から湘南新宿ラインで籠原直行。JR東日本万歳。
 色々と無駄な手間を掛けたものの、とんふみの営業時間にも無事間に合い、美味しい豚カツを食って昨日のリベンジを果たす。時間もあったし、来週以降の時間のなさを考えて、そのまま床屋へ。特に連絡もしていなかったので、弟は他のお客さんに掛かっていた為、顔剃り以外の殆どをチーフさんにやってもらう。チーフさんの手際の良さは流石だったが、その速さ故か、時たま鋏に頭皮を引っ張られるような感じがした。ゆっくり進む弟の方が自分には合うようである。「弟もこれで丁寧さが増せば、『手は遅いけど仕上がりが丁寧な床屋』で食っていけるんじゃないか」と思うのは贔屓目、なのだろうか。


7月12日 金曜日 授業 1:東洋医学臨床論(鍼灸) 2:病理学

 いよいよ残り授業がカウントダウン状態になってきた。周囲も自分も集中力の低下が著しい。1コマ目の東洋医学臨床論は半分以上睡眠学習に費やしてしまった。そのくせ病理学は最初から最後まで楽しく聴くことが出来ているのは、やる気のあるなし(往々にして担当教諭との相性)が授業の受け方に直結していることの現れであろう。中高生でもないのだし、そろそろ……とも思うのだが。出来るだけ早い内にオリエント鍼灸院に行きたかったので、小冊子印刷の業者との打ち合わせをスズキさん達に任せ、研究会も欠席して、1221の湘南新宿ラインに乗り込み、かっちり睡眠を取りながら籠原へ戻った。寝てばかりではあったが、流石にお腹が空いたので、籠原駅前の中華料理屋で昼飯。中華丼のキャベツが妙に歯ごたえがあったり大きかったり、やや量が物足りなかったりで、ややハズレ度高し。今日の無念は明日のとんふみで晴らすことにする……今までのように「イヤ、今すぐ食うぞ、多少食い過ぎでも食うぞ」とならないのはお灸の成果か。
 食後、天然サウナと化しているカムリを駆って鍼灸院へ。来週、先生が研修で鍼灸院を空けられる間、電話番その他を一日仰せつかることになっているので、その辺の打ち合わせの為。ついでなのでホームページを少し修正したり、これまたお願いされている熊谷市の鍼灸師会のホームページの構想を練ったり、お疲れの先生の肩を揉んだり。

 帰宅後、携帯の機種変更をしたいと云うお母んのお供で熊谷市内の携帯ショップへ。機種選定を一任されたので、京セラのA1012Kを勧める。京セラらしいシンプルかつ一寸癖のあるデザインとか、無駄な機能が少なくて操作性がよい製品を出す思想とか、そのくせセールスが一寸ヘタなところとかが私の好みにかっちり合うからであり、そんな訳で我が家のau携帯は全て京セラだったりする。既に夕方だった為、引き渡しは明日以降とのこと。
 夜は、オールスターをぼんやり眺めつつ、スーパーのパック寿司で晩飯。筆が進まないので冬の原稿の手直しをしたり、遊びに来ていた弟としばし無駄話に興じたり、日記を書いたり。


7月11日 木曜日 授業 1:あん摩実技 2:臨床医学各論 (全休)

 目が覚めた、らしい。朝御飯を食べた、らしい。歯を磨いて支度をしていた、らしい。で、

目が覚めたら既に10時>絶対学校には間に合いません

 私の場合、中途半端に眠いと、脳味噌が殆ど眠った状態のまま日常生活を送ろうとするらしい>そして気が付くとまた寝てる 実際、かすかな記憶はあるのだが……。このまま一日寝て過ごそうかとも思ったが、大学の方が既にギリギリまでサボり済みなので、最低限の単位を取得すべく、台風一過で夏以上に夏の日差しの中、大学に向かった。

 大宮駅で埼京線に乗り換えようとすると、入れ違いで発車し終えたところであった。のんびり家を出た報いか、次の各駅停車(南与野は各駅停車しか停まらない)が来るまで待っていると学校に遅れる可能性が大きかったので、一本前の快速に乗って与野本町(南与野一駅前)で降り、ペットボトルを片手に埼大通りまで歩く。さいたま市は相変わらず暑かったが、台風に向かって吹く風のお陰で、風通しのいい場所にいる分にはさほど辛さを感じなかった……歩いていると流石に暑く、汗まみれになったが、お陰で授業にはちゃんと間に合った。体を動かした爽快感と満足感とに浸っていたのだが、こんな日に限って2コマともビデオ鑑賞が入り、窓もカーテンも閉めた状態で過ごす羽目に陥る。更に汗まみれ。


7月10日 水曜日 授業 1:解剖学 2:鍼実技 3:関係法規

 台風の影響で朝から雨。学校から帰る頃にはもっとすごいことになっているだろう。「新調したばかりの靴をびしょびしょに濡らすこともないなぁ」と思い、幾ら濡れても問題ないようにホットパンツとサンダルに履き替えて家を出た。雨もそれほど激しくならず、また心配されていたJRのダイヤも別段乱れておらず、スムーズに学校まで移動出来たのは良かったのだが、途上、小道具やら筆ペンやら印鑑やらを入れていたポーチを落としてしまう。鞄のジッパーの締まりが悪くなっていたところからこぼれてしまったようだ。印鑑とセットでカードや通帳が入っていた訳でないのでさほどダメージがでかい訳ではないのだけれど……どこで落としたかもはっきりしない為、授業の後など、あちこちの駅や交番に電話したり聞いて回ったりする羽目に陥る。流石に凹む。

 さて、着実に(?)時間内に登校してくる人が少ない中、授業が始まった。集中力が切れてしまっているのは私だけではないようで、ずっと授業中はどことなく騒がしかった。私は私で夏の原稿のブレーンストーミングをしたり、いつも通り寝たり>いつもじゃないように努力しなさい
 折からの荒天もあって「今日の午後は早く学校が終わったりしないか」「明日の学校はどうなるのか」といった話で持ちきりであったが、結局何の音沙汰もないまま全コマをきっちり受けての帰宅となった(夜間部は台風による交通機関の乱れを警戒して休校になったそうだ)。台風の進度が遅く、明日の朝の交通に影響がある場合のみ、連絡が来るとのこと……まぁ、いずれにせよ、大学の授業はもう1コマもさぼれない徳俵に乗ってしまっているので、台風が来ようが何だろうが家を出なければならないことに代わりはないのだが。真緒さんやみちケンさんから頂いた携帯メールに返信したり、居眠りしたりしながら帰宅。強い風雨に閉じられた雨戸の内側で、扇風機を抱えるようにして浴びながら、水曜どうでしょうWeb配信を観たり、日記や原稿を書いたりして過ごす。


7月9日 火曜日 授業 1:経絡経穴概論 2:生理学

 晴れていない分極端な暑さはないが、朝からじとっとした空気にまとわりつかれて、肌がべたべたして気持ち悪い。シャワーを浴びた後、久々にちゃんとご飯を食べて家を出る。
 流石に7月まで授業を受けてきて、相当集中力が途切れてきてしまって「後何日で授業が終わりますねえ」「そうですねぇ。もう一寸頑張りましょ」というのがクラスの中での挨拶と化している。そこに来てこの蒸し暑さだから、集中力を期待する事自体が見込み違いではないかと思う──興味のある2教科とは云え、最後まで至極真っ当に授業を受けきることが出来たのはある意味奇跡である>大人はこんな事で威張りません
 昼飯は渋谷駅高架下の豚カツ屋で豚カツ定食。帰り道にある店なので、前から一度行ってみようと思っていたのだが、肉は厚かったものの、衣が今一つの上、店内が狭かったり汚かったりでちょっと残念。暫くは駅前のコンビニで飲むヨーグルトを買って帰る日が続きそうである。もっさりと湘南新宿ラインに乗って、まったりと帰宅。時々降る雨の為、窓を大きく開け放つ訳にも行かず、かといって甥っ子が遊びに来ているので、クーラーの利いている居間でゆっくり昼寝をする訳にも行かず。生暖かく湿った空気に包まれて、やる気も起こらずぼーっと過ごすウチに一日が終わった。こんなんで後1週間持つのだろうか心配である。
 台風が上陸の可能性を高めつつある。明日明後日、ちゃんと電車が動くのだろうか……。


7月8日 月曜日 授業 1:臨床医学総論 2:指圧実技 3:灸実技

 暑さにうなされて目が覚めた。扇風機もタイマー切れで停まっていて、涼風を取り込むべく全開の窓から差し込む朝日が、じりじりと室温を押し上げていく>無論クーラーはない訳で 汗を拭きながら台所に降りていくと、またしてもおかずが何もない。何か作る元気も、カレーを食べる元気もなかったので、今日も鉢に大盛りのヨーグルトが朝食と相成る。酸味が少ないお陰で甘味料も少な目。
 1コマ目の臨床医学総論はビデオ鑑賞。免疫機構に関するビデオと、先生がご自分で取材された寺院で行われる灸についてのビデオ。夏の本に使えそうなネタを幾つも仕入れることが出来たのは大変有難かったが、ミツザワ先生お得意の「手ぶれまくりビデオ」を最前列で凝視していた所為で悪酔いしてグロッギーに。以降へろへろと過ごす。灸実技に至っては、施術が余りに気持ちよくてそのまま寝転けて、気が付けば授業終了直前だったり。

 クーラーの利いた学校から一歩外に出ると、むわっとした熱気がまとわりついてきた。風も多少は吹いているものの、ヒートアイランド東京ではその風すら生温さを増強する働きしかしない。途中、本屋とコンビニに退避して涼気を補給しながら駅へ。電車の中もクーラーがとても良く利いていて気持ちよかったが、ドアが開閉する度に流れ込んでくる瘴気が眠りを妨げ、うとうとすることしか出来なかった。籠原着は17時前であったが、熱気は依然として全ての中に留まり続けていて、露天にほったらかしのmyカムリはサウナ以上の暑さであった。ハンドルは熱くて持てないし、シートの中に溜まった熱気で背中は汗だくになるし、点け始めのクーラーからは熱気しか出てこないし。それでもクーラーが利いてくれば一応は幸せな涼しさが車内を満たしてくれるのだが、その頃には家路の殆どを消化していた。漸く涼しくなってきた車から降りれば、また灼熱地獄が待っている。せめて、我が家で唯一クーラーのある居間で、少しは涼しくなるだろう晩飯時までのんびりしていよう……と思って帰宅すると、玄関にお母んが立っていた。

橘母:下の甥っ子が来てて、やっと寝たから。静かにして。とっとと上に行きなさい」

 泣く泣く熱気籠もる我が部屋へ。窓を開けたらそこそこ風が吹いていたのが不幸中の幸いであったが、椅子もベッドも熱気を存分にはらんでいた。接地面から汗をだくだくと吹き出しながら横になっている内に意識が朦朧となり、目が覚めたらいつも通り23時であった。晩飯兼夜食にヨーグルトを掻き込みつつニュースを見れば、本日の熊谷の最高気温は35.8度と報じられていた。そりゃ 暑い 熱い訳である。遂に熊谷が本領を発揮し始めた気がする。そろそろ梅雨明けも近いのだろうか。
 接続してメールをチェックすると、高校時代からのお友達の栄養士、真緒(まお)女史からのメールが入っていた。日記を御覧になり、朝から晩までヨーグルト三昧の、近頃の私の食生活をご心配して下さっていた。ご心配、ごもっともでございマス。気を付けます……あ、よく考えれば今日も三食ヨーグルトだったな(爆) 「せめて明日は、少なくともまともに朝飯を食って出掛けよう」と心に誓う橘 柾樹26歳まで後18日の夜であった。

私信:真緒さん、メール、本当に有難うございました。筆無精という概念に手足が生えたような筆無精で、折角頂いたメールにもなかなか返信しないぐうたらな旧友を見捨てずに心配してくれる優しさに感激しております(笑) 今度こそ、早い内に返信をしたいと思います。差し当たり、此方でご挨拶を。


7月7日 日曜日

 今日は日曜だが、珍しくも家でのんべんだらりと過ごすことはせず、秋葉原へ。行きつけのカラオケパセラから「お誕生日プレゼント進呈」との葉書が来ていたので、最近精神的にも肉体的にもお疲れの龍さんを労いつつ、久々にカラオケで歌い、尚且プレゼントを回収して、更に本やらCDやら買い損ねがあったら回収してこよう、と色々と都合よく目論んでの事である。
 11時過ぎに電気街某所にて集合して、一寸した買い物を済ませてから、炎天下をひーひー言いながら歩いて、昭和通口側にあるパセラ秋葉原店へ。店の都合やら、オーダーが出てくるのが遅かったのやらで、歌えたのは実質90分程度だった為、正直まだまだ歌い足りなかったが、多少なりとも龍さんの気晴らしにはなったようで幸いであった。因みに、お誕生日プレゼントは名物のハニートースト。とても甘かった。

 秋葉原を後にした我々はそのまま籠原に戻り、約束の地馬車道が新たにリリースした居酒屋徳樹庵へ、視察を兼ねた遅い昼飯(兼夕飯)を食べに向かった。籠原駅から歩いていける程の場所に、かなり広めの駐車場を取って新築された店は、板塀の奥に「見るからに和食の料理屋」といった風情で建っていた。
 店内も、旧家を思わせる太い梁や、使い込まれた感じのする引戸、調度品などがあちこちに用いられ、落ち着いた雰囲気に纏められていた。よくある「和風居酒屋」とは一線を画していたように思う。改築でない新築の為、スペースにも余裕があったし、衝立やら障子などである程度仕切を変えられるようになっていて、グループで訪れやすい感じになっていたと思う──洋風に慣れると「これじゃ狭い」「もっとしっかり他の人たちと分けてくれ」と思うところなのだろうが、こういう感じが寧ろ本来の和風の寸であり、区分けであるような感じがする。また、二階にも席があるようだが、二人だけなので案内されることもなかった。恐らく宴会場になるような広間でもあるのだろう。
 入り口近くの広間の片隅に案内された我々は、涼を取りつつ夏の本のネタ出しを行った(主に挿絵について)。落ち着いた雰囲気のお陰で、リラックスして色々とアイディアを出し合い、練ることが出来た。程なくして料理が出てくる。料理に関しては、馬車道グループの一翼だけあって、そつないレベルのモノが出てきていたように思う。基本的には呑み屋なので、一品料理を中心にメニューが充実していた(ランチメニューもあり、それで昼食)。日本酒などにもそれなりにバリエーションがあって、ゆっくり落ち着いた雰囲気の中で呑むにはとても良いのではないかと思えた……車なので呑めなかったが。店員の練度がまだ十分でなかったような気もするが、その辺は追々解決されていくことであろう。
 最後に、一部方面の皆様の大いなる関心が寄せられるであろう制服は──夏だからか、

女給さんは全員浴衣であった。頭には姐さん被りの手拭い。

 It's a perfect world. いざ来たれ籠原へ。


 徳樹庵から東松山駅までのおよそ1時間、二人して延々と漫画論を語り合いつつ、龍さんをお見送りして、1815帰宅。仮眠を取ったり、弟をあん摩で悶絶させたり、ヨーグルトを作ったり食べたりしている内に夜。


7月6日 土曜日 授業 1:東洋医学概論 2:鍼灸理論

 今日は土曜日でいつもの電車(0642池袋行き)がなく一本遅く出掛けるので、のんびり起きて台所に降りていくと、まともに食えそうなおかずも、おかずの元になる食材もない。何か作るのも面倒臭かったのもあり、昨日仕込んだヨーグルトを大きめの鉢に盛りつけて朝食にする。臭みなく、非常に美味しかった。昨日若干黴臭かったのは、やはり雑菌由来だった模様……お家から持ってきて、放課後まで置いておいてだから無理もない話だが。沢山食べたお陰で、登校後、効果がはっきりと出た。腸が賦活されまくってうにうにと動き、ガスがばんばん生成される……寧ろ効果出過ぎ。休憩時間はトイレに行ってガスを放出しないとやっていられなくなる。一度に食べる量を制限しないといけないかも知れない。
 余りお腹も空かなかったので、飲むヨーグルトで昼飯にしつつ帰宅すると、近くの靴屋で半額を金券で返還セールをやっているとのことなので、お母んと姉貴と3人で出掛ける。1年以上毎日履いて、これ以上ない位にへたっている革靴の代わりやら、夏向けのサンダルやらを購入。今日もまだ眠くて堪らないので、買い物から帰るなり横になり、目が覚めるとやはり23時近くなっていた。昨日来られなかった分の施術を受けに来た弟は、今日も諦めて帰ったらしい。済まぬ弟よ>反省の跡が見られません
 眠気を覚ますべく風呂に入る前に、体重を量ったら8xkgまで落ちていた(ピーク時よりも10kg近く落ちている、とのみ記しておく)。ヨーグルト万歳である……が、晩飯兼夜食に「普通の」明治ブルガリアヨーグルトを食した瞬間、ほぼ丸二日、ヨーグルト以外のモノを口にしていないことに気付く。施灸効果と相俟って、お腹が余り空かないのも寄与しているのだろうとは思うが……そりゃ痩せるわ。 一応、ビタミン類は別に補給しているから極端に不健康でもない、筈だが。


7月5日 金曜日 授業 1:東洋医学臨床論(鍼灸) 2:病理学

 結局、改訂作業は徹夜になってしまった。一寸でも横になってしまうと学校に行けなくなる自信があったので、そのままシャワーを浴びてから朝食を作り、いつも以上に眠い目を擦りながら登校。電車に乗るや否や意識が落ち、気がつけば既に池袋だった。電車の中でがっちり寝たのが功を奏したか、比較的はっきりした意識の中で集中して授業は受けられたので幸い。やはり、睡眠は単純な時間に左右されるモノではない、という事か。

 放課後は漢方研究会に出席して、改訂した原稿を見て貰いながら、小冊子の印刷についての打ち合わせ。改訂稿にはOKが出て、昨年も印刷を担当した先輩に月曜には印刷所との連絡を取って貰う方向で決着。この調子だと研究会内での製本は間に合わないが、印刷さえ上がっていれば後は我が家で製本することも出来よう。
 話し合いが終わって、他の班が作業をしているのを眺めていると、別の先輩が「カスピ海ヨーグルト」なる自家醗酵のヨーグルトを振る舞ってくれた。いつも食べている市販のヨーグルトに比べると、酸味が少なくて、かつ圧倒的に粘性が強い。一寸黴臭い気がするのは、恐らく雑菌の所為だろう。粘性が高いが為に、折角入れたブルーベリージャムが全体に行き渡らず、最後はプレーンのままで食べる羽目に陥ったが、酸味が少ないお陰でイヤな感覚は口に残らず、なかなか美味しかった。すぐさま、「これを巧く増やす→家計への負担を軽くしたうえに幾らでもヨーグルトが食える→(゚Д゚)ウマー」という至極単純な方程式が脳内に立ったので、種を分けて貰って帰宅した。
 帰宅後すぐ、眠くて堪らないのを我慢しながら、冷蔵庫の牛乳パックを一本開き、その中に種を大さじ2杯ほど投入して仕込み(と言っても、空気が通るように入れ物の口を覆った後、常温で12時間前後放置するだけの話なのだが)。流石に疲れがどっと出て、帰るなりベッドに直行。そのまま21時過ぎまで寝転けてしまった。晩飯兼夜食に普通のヨーグルトを食って腹ごしらえをした後、明日から採用試験を受けに北海道に帰られるみちケンさんにエールを送りつつ、例によって例の如し。0230頃には寝る。


7月4日 木曜日 授業 1:あん摩実技 2:臨床医学各論

 今日もいまいち寝不足。寝惚け眼を擦りつつオムレツを作って朝食を摂り、登校。
 1コマ目のあん摩実技が、夏休み前の残り授業が少ない為、実技試験となる。今回は先生に直接手技を行う形式で、「当たりは多少重いものの、手は非常によく動いている。後はもう少し柔らかく」との評価を頂く。一応は日頃の練習の成果が出ているようで何よりである。
 実技試験が終わって気が抜けたか、はたまた単なる寝不足か、2コマ目は頭から激しい眠気に襲われる。何とか眠気を覚ますべく、骨格くんの顔を角度を変えてスケッチしてみたが、どうにも眠気に抗し得ず結局轟沈>お話になりません 授業が終わった気配がしたのでおもむろに起きて、号令を掛けると、既に先生は居なかった。「号令係が眠ってるからいいや。解散」と言い残して去って行かれたそうな。二日続けてクラスの笑い者になる。要らん所で大恥。

 此方の学校が捌けた後は埼京線に乗り、大学へ移動。かなり早く着いたので、学生会館のロビーで一人優雅に昼飯(コンビニで買ったヨーグルト)を喰らっていると、見知らぬおばはんが会釈をしてこっちに向かってくる。「こんな人知り合いに居ったかなぁ」と思っているとコリアン系キリスト教の勧誘だったワナ。時間に余裕があるし、折角なので10分程神の子たるキリストについて語って頂く。一応聖書は読んであるモノの、読み物として以上の読み込みをしていないので、「生っぽい」キリスト教徒の物の見方の根っこにあるモノを多少なりとも感じられたのはなかなか面白かったように思う(無論「興味深い」という意味で)。こんな事を言っている内は間違いなく、彼女の説いた神の救いなるモノは私の上には降りてこないであろうが。以後、生協で文具類を仕入れたり、至極真面目に授業を受けたりして帰宅。

 久々に覗いた太陽の所為でべたべたする汗をシャワーで流し、部屋でくつろぎ始めると、仕事を終えた弟が昨日出来なかった分の灸を受けに来た。悶絶具合が一昨日と余り変わらないところを見ると、まだまだ気長に施術を続ける必要がありそうだ。ついでなのでお母んと姉貴にも施術。
 施術の後、仮眠と入浴を済ませてから、昨年の冬コミで委託頒布をして非常に好評だった「経絡経穴概論」(01年12月後半の日記を参照のこと)の改訂作業。改訂と言ってもさほど大げさなモノではなく、見つかった誤字を修正したり、「品がない」と評判の図版を適切に修正したりするだけなのだが。Wordとメンディングテープとコピックのライナーとトーンナイフを駆使して修正。漫画絡みで身に付いたスキルが鍼灸学校の方で役に立つとは思わなかった。


7月3日 水曜日 授業 1:解剖学 2:鍼実技 3:関係法規

 眠い目を擦って登校。日記を書いたり何だりで十分な睡眠が取れなかったので、一日まったり過ごす。まったりは仕方無いにしろ、せめて寝ないで過ごそうと、私の席の前に立っているクラスのアイドル、骨格くんの横顔を頑張ってスケッチしてみる>頑張り方を間違えています
 関係法規の授業の冒頭、授業前にナガイ先生から届いたお見舞いのお礼の品を渡されたので、ポケットからアーミーナイフを出してちゃきちゃき包みを開いていくと、ミゾグチ先生から

ミゾグチ先生:ホントに橘君からは色々出てくるねぇ。眠り薬とかも出てくるんじゃないの?

という有難いお言葉が。クラス全体が爆笑した辺りに、どのような見方をされているかがはっきり現れていると思った。反論の余地無し。

 秋葉原に寄って雑誌などを買い込んでから帰宅。疲れ果ててベッドに倒れ込んで、気がつけば既に23時であった……どんなに疲れていても一応23時過ぎには目が覚める辺り非常にどうかとも思った。聞けば、お灸をされるべく弟が来たので何度も呼びに来たらしいのだが、返事はすれども一向に起きる気配がなく、「じゃあ明日でいいや」と帰ったんだそうな。済まぬ弟よ。
 ずっと寝ていた為に風呂も晩飯もまだだったが、折角起きたので取り敢えず回線に繋いでしばし談笑した後入浴。さっさと上がって、冷蔵庫を漁る。お灸の効果で──思い込みかも知れないのだが、それはそれで効果を呼んでいるのだから良しとする──お腹も余り空いていないし、夜も遅いので、ヨーグルトを1カップだけ食べて晩飯とする。


7月2日 火曜日 授業 1:経絡経穴概論 2:生理学

 いつも通り登校して、いつも通り黒板消しをしようとすると、夜間部の授業だか授業後のイタズラだかで、黒板がえらい傷だらけになっている。汚れているだけならすぐにでも綺麗に出来るのだが……地道に黒板を拭いて、少しずつ表面を均していくほかに手はが無し。ある程度こなれさせるまでに一月弱は掛かりそうで朝から意気消沈。この他、「座席の前に座っている人の所為で黒板が見えないから何とかしてくれ」などと妙なクレームが持ち込まれたり。給料貰ってクラスの世話をしてるんなら幾らでも要望を聞きますが……一体私は学校に何をしに来てると思われてるのか、と思うと再び意気消沈>居眠りを減らせば少しは観られ方も変わるのでは
 そんな疲労の所為か、WHITESTONE生理学で所々うとうとしてしまい、がっちりシライシ先生に目を付けられる。幸い、黒板の方で覚えはめでたいので、今のところは授業中の小ネタ扱いで済んでいる模様……勿論、余り頻繁に居眠りしない様、注意はしなければならないが。

 帰ってからは、本日よりADSLが導入されたお友達のみちケンさんと、ICQとIRCでおしゃべりしながら各種設定の調整をお手伝いしたり、夕方過ぎからだらだらと仮眠したり、父親が出張中なのをいい事に鐘庵で晩飯を食ったり。帰宅してから、腰痛の弟に施術。体内の水分調節が巧くいっていないが為に、代謝が不十分で腰の筋に力がなくなっているようなので、抜本的体質改善を狙い、何とか説得して施灸する(今まで「お灸は勘弁して」と逃げられていた)。一月前までは同じような状態だった私がそうだったのだが、この状態だとお灸が滅茶苦茶に熱い。時折怪鳥音を挙げながら悶えているのを見るのは正直ちょっと楽しかったりする……「弟歴」23年の弟にはこの辺の本質を見抜かれているからこそ、今までなかなかお灸をさせて貰えなかったのではなかろうか。勿論、自分にとっても大切な実技訓練なので、施術自体は至極真面目にやっている。面白がって意味もなく大きいお灸とかは据えていない。念の為。


7月1日 月曜日 授業 1:臨床医学概論 2:マッサージ実技 3:灸実技

 全然文章量は増えませんでした>寧ろ激しく停滞

 サッカー観戦の経験も余りなかった私が、ワールドカップの楽しさに目覚めて熱中している内に、我がファイターズが札幌移転を決めてみたり、いつの間にか4位に落ちてみたり、一ヶ月前のお灸の授業の後からずっと続けてるお灸のお陰で体重が8kg落ちたり。気がつけばワールドカップが終わるまで色々手つかずで、日記も全力で放置(>日本語がおかしいです)となってしまった。イヤ、日記の停滞もさることながら、夏の原稿が殆どと云っていい程進んでいないのが痛い。本格的にせっぱ詰まる前に、モノを書くリハビリも兼ねて、日記の更新を再開しようと思う……ついでなので、日記に限らず、その都度思いついたことなども書くようにしてみる。決して、日記にするネタがないときのための予防線ではないし、実際に今日はネタがなかったということでもない。ないんですったら。

・「思ふこと言わぬは腹ふくるるわざなれば」(徒然草 第十九段)

 日本と、日本を破ったトルコと、グループリーグからずっと応援してきたドイツが破れて、私のワールドカップは幕を閉じた。一ヶ月もの間楽しませて貰ったワールドカップだが、「残念ながら、お世辞にも『成功』とは言い難い」と、素人なりに感じる。楽しかった試合に水を差す出来事の数々で、折角の盛り上がった気持ちの中にやり場のない黒いわだかまりが渦巻いて、幾つかの試合は純粋に楽しむことが出来なかった。
 幾つもある不満(誤審問題とか、偏向報道とか)の中で、どうしても我慢ならなかったモノを一つだけ挙げるとしたら、メディアが「共催国なんだから韓国を応援しなきゃね」「韓国を応援しなかったりけなしたりするなんておかしいよ」という押し付けがましいムード作りを率先して行い続けたことである。国同士の戦いであると同時に、世界最高峰のサッカーの祭典であるワールドカップである。自分の好きなスタイルの中でも最高級のサッカーを見せてくれるチームを応援して何が悪いのか。何故、大会の中で思った事、感じた事について考察や主張をする事が憚られるのか。この国の「信条の自由」とは、そんなに情けなく頼りないモノなのか。

(荒々しくはあったけれども、韓国代表は本当にタフで、目的意識が明確なサッカーを最後までやり通したと思う。正直、いくらかの嫉妬は禁じ得ない程である。けれどもぶっちゃけた話、サッカーの祭典だというのに海外の素晴らしい選手達に何の敬意も払わなかったり、日本の対戦国が点を入れる度に大声援を上げたり、日本が負けたと聞くやプレスセンターのボランティアが大喜びをしたり、様々な疑惑に対してろくに報道もせず、場合によってはそれは日本人の所為だと決めつけたり、そんな国の応援をしてやらなきゃならん理由は今の私にはない──両国の間にある歴史的なわだかまりを差し引いても。こんな言い方をすると「お前ただ単に韓国嫌いなだけなんとちゃうか」と云われそうだが、事実、極々正直に、誤解を恐れずに云えば、今回のワールドカップを通して「ちょっと嫌いかな」にベクトルが傾いている──勿論、どこかで頭を冷やして、このベクトルは修正するべきだとは思うけれども。)

 個人に長所と短所があるように、個人の集まりである集団にも長所と短所がある。今回、私がこういう感情を抱いたのは、韓国人という集団の(私から見て)好ましくないと思われる部分が幾つも目に飛び込んできたからだろう。私はまだまだ修行が足りないから、こういったどろどろした好悪の感情を今一つ消化しきれない。だが、だからこそ、無理矢理「嫌い」を「好き」に差し替えて取り繕ってみる事がどれだけ意味がないことか、承知しているつもりだ。非常に悲観的な見方だが、「嫌いなモノは嫌い」で仕方無いではないか。大事なのは、自分の「嫌い」を他の人に押しつけないことであり、その「嫌い」な相手に対しても、「嫌い」を理由に陰で攻撃することなく、大人として節度あるつきあいをすることだろう。それが、国際社会に影響力を持ちうる国同士のことなら、尚更の筈だ。
 お互いが「こいつ等は違う物の見方をする」という前提で、相手のことを知ろうと努力して、お互いの妥協点を見出してはじめて、本当の意味での友好を築き上げる事が出来るのではないかと私は思う。本来「ない」ものを「ある」と、「ある」ものを「ない」と言い繕うことで物事の本質から目を逸らして何になるのだろう。「同じ考えを持った人たちだから仲良くなれるに違いない」と思いこんで近づいてみて、そこで初めて相手のイヤな所がこれでもかと見えてくれば、後に残るのは幻滅でしかない。「嘘も百回吐けば真」とも云うが、それを云ったと伝えられるナチス宣伝相のゲッベルスがどういう事をした人物だったかを思い出してみるといい。毛沢東って説もあり。どっちも大差ないとか云っちゃ駄目?(爆)
 それでもこれが「真の友好」と信じてやまない人が居るならば、どこかの無人島を買い上げて「なかよし共和国」でも作って楽しく過ごして頂きたい。ただし、日本との国交は無しの方向で。


 最後のドイツ戦を観戦し終わった後、こんな事をぶつくさ言っている私に、
「じゃあ兄ちゃんさぁ、その辺の不満はともかくとしてさ。今回のワールドカップを見終わって、感想はどうよ?」
と、サッカー観戦大好き小僧の弟が問うてきた。
「そうだな……サッカーって、案外見ていて楽しい競技なんだな。俺がずっと野球少年だったからなのかも知らなかっただけなのかも知れないけど、その事に気づけただけ収穫だな」
と云ったら、弟は本当に嬉しそうな顔をして笑った。「心からサッカーが楽しいと思えて、こんな笑顔を見ることが出来ただけで、私のワールドカップには十分意味があったのだな」と気がついた。少しだけ、胸のつかえが取れたような気がした。


6月3日 月曜日 授業 1:臨床医学概論 2:マッサージ実技 3:灸実技

 取り敢えず復活。漸く毎日日記を書ける位に元気になってきましたので、リハビリを兼ねつつ、少しずつ文章量を増やしていこうかと思っております……まぁ、すぐに原稿の余波でまた減るとは思いますが(爆)

 ワールドカップボケの初期症状で眠い頭に冷水をぶっかけて目を覚まし、いつも通りにカレーとヨーグルトを掻き込んで出発。こんな状態だけに、実技が2コマなのは正直救いである……居眠りに耐える時間が1コマで済むから。陽も出ていないのに蒸し暑い教室に辟易しながら黒板周りを綺麗にして、臨床医学概論に臨む。最後、多少うとうととしたものの何とか堪え、話も聴き通すことが出来た。最後まで授業を聞かないことには理解の深さを云々出来るわけもないのだから、何はともあれ、どうにかスタートラインには立てただけ前進、としておこう>そんな誇らしげに書くことでは
 何とか座学が終わって、以降実技。自分が施術する間以外はのんびり過ごせていいなー、等と思っていたら、3コマ目の実技で据えられた灸が拷問のような熱さ、イヤ拷問そのもので居眠りどころではなかった。冴えた意識は帰りの車内でも居眠りを許さなかった……脳味噌の8割位は眠い眠いとぼやいていたが。お陰で、うつらうつらしながら車を運転する羽目に陥り、所々で肝を冷やしながら帰る。

 そんなグロッギーな状態で帰った私を待っていたのは、昨日午後を丸々ぶっ潰した原因になった姉貴のパソコンの再セットアップ作業の続き>半日潰しても終わっていなかった訳で
 昨日散々試行錯誤した甲斐もあり、もう一度システムを再インストールして、失敗したドライバ類のインストールし直すところまでこぎ着けていたのだが、システムINST→サウンドなどのドライバINST→OFFICEやら一太郎やらノートンさんやらIE6やらINST→インターネット環境の再構築と課題山積の上、ワールドカップの観戦やら父親への施灸やらと並行して進めた(しかも眠くて堪らない訳で)ので、結局23時過ぎまで作業を続ける羽目に陥る。が、それでも作業は完全には終わらなかったワナ>メール環境の構築に失敗
 また明日もか……。
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○○●●●○●○○○○○●●●>この15試合

もう一寸メリハリをなくして下さい。
>白丸続くのは有難いのですが……

この辺の安定感のなさが優勝できない一番の理由のような。


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