日々是平穏
2002/12

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12月11日 水曜日 授業 1:鍼実技 2:解剖学 3:東洋医学概論

・サウンドレスダイアリー 『待ち』 人身編

 たっぷり8時間寝て、午前2時過ぎに気持ちよく目が覚める。普段の睡眠がどうしてもぶつ切りになってしまう為、平日にこういう睡眠が取れると、体も心も大変爽快になる。頭もすきっと冴えているので、しばらくの間、木曜日の臨床心理学(大学)の討論で使う資料をネットで探した後、横にならず朝の支度を始める。時間に余裕があるので、シャワーを浴びたり、自分で朝食を作ったり、それでも大いに余裕含みで家を出る事が出来た。ほんの少し気持ちを入れ替えて、ほんの少し早くから起きるだけで、これだけ爽快で豊かな朝を手に出来るのか、と新しい発見をした気分である。毎日これを続けるのは大変かも知れないけれども、こういう小さな積み重ねで、少しずつでも乱れがちな生活を修め、一人の鍼灸師として、社会人として、もっともっと精神的に豊かな生活をしていきたいものだ──と、決意を新たにした。心の中でヤマグチさんに感謝しつつ、空いている道に車を走らせた。

 ……駅に着くと、見慣れない特急車輌がホームで停車していた。激しくイヤな予感、急いでホームに降りると、そこで聞こえてきた車内アナウンスは──

車掌:吹上駅と北鴻巣駅の間で人身事故が発生した為、運転を見合わせております。

尚、復旧の見通しは全く立っておりません」

ホームに停まっていた車輌は1時間は前に通過しているはずの車輌だった。そのまま40分以上、寒風吹き荒ぶホームでひたすらに路線の復旧を待たされるハメに。爽やかな朝台無し
 埼京線との折り合いが付かなかった湘南線は運休になってしまったので、1時間遅れでホームに入ってきた上野行きに乗る。シートのはじっこに何とかシートを確保できたまでは良かったが、各駅で1時間以上待たされた乗客がわらわらと乗り込んできて、昨日以上に鮨詰めにされる。身動きはおろか居眠りすらロクに出来ない。酸欠気味の車内は居心地が悪く、人一人隔てて私のそばに立っていてドアに押しつけられていたおねえちゃんが、いかにも気分の悪げな声を上げていた。いつ降ってくるやらとはらはらしながら過ごす羽目に陥る……余りにぴっちぴちに鮨詰めで、座席を譲ることすら出来ず、渋谷へ向かおうにも大宮・赤羽で降りることも叶わず、結局たっぷり130分車内に閉じこめられて、上野駅まで運搬されてしまった。山手線で大回りをして学校に着いたのは1コマ目が半分から終わってからであった。朝から激しくグロッギー。「あの朝の爽やかな決意はどこに行ったのだ」と言わんばかりの勢いで一日だらだらと過ごす──
寧ろやりなれない事をしたからなのか。そうなのか。
 帰りの湘南線まで別の人身事故で遅延する始末。げんなり。

 帰宅後位はゆっくり休みたかったが、臨床心理学の資料が、明日の朝ぎりぎりで刷るには不安な程の量になってしまったので、片っ端からプリントアウト。200枚にも及ぶプリントを封筒に詰めた所で燃え尽きて沈没。

……原稿〆切まで11
進捗:そこはかとなく危険なかほりが。


12月10日 火曜日 授業 1:経絡経穴概論 2:生理学

・サウンドレスダイアリー 『待ち』 停電編

 朝起きると、余り風邪は良くなっていなかった。昨日の疲れもあるので、まったりと遅い時間の湘南線で登校することにする。余裕を持って駅に着き、座席を確保し、渋谷を乗り過ごさない程度の時間にアラームを掛けて、しばしの眠りに就いた。

 ……息苦しくて、目が覚める。目を開くと、目の前はクリーム色であった──前に立っている人の鞄で。車内は「どうやってこんなに詰めたんだよ」と聞きたくなるほど人で溢れていて、しかも停車していた。身じろぎすら難しい上、人いきれで真っ白に曇った窓の外は殆ど見えなかったが、外の田舎ぶりからして、大宮にすら着いていないようだ。何が何だかサッパリ分からず数分を過ごした後に、ようやく聞こえてきた車内アナウンスは──

車掌:停電事故が発生した為に、高崎線全線が運行を見合わせております」

──それは見合わせているんじゃなくて単純に出来ないのと違うのかと問い詰めてみたくなる内容であった。本日の遅延、たっぷり60分。鮨詰めの車内に140分も詰め込まれていたことになる。

車掌:本日は停電事故が発生しました為に、60分列車に遅れが出ましてお客様には大変ご迷惑(以下略)」

「程」じゃないだろう。
 学校に着いたときには、1コマ目の授業は半分から終わっていた。休み時間、今日の経緯を皆に説明していると、ヤマグチさんに

ヤマグチさん:君ね、最近一寸弛んでるでしょう。君と家族が風邪引いてるとか理由はあるにしろ、いつもの電車で出てきていればこんな事にはならなかったでしょ? ゆっくり出てもいいや、って甘えみたいなモノがこういう結果に繋がってるんだよね。ぼやいてばかりいないで、そういう部分も反省しなきゃ駄目だよ?」

と諭される。至極仰る通りで、しゅんとなって聞く。確かに最近、色々言い訳をしては学業に対する取り組みがいい加減になっている。深く反省。明日は少しでも真面目に授業を受けられるようにするべく、まっすぐ帰宅、地元の医者に行って風邪を診て貰った後、昼食と薬を摂って、さっさと寝た。

……原稿〆切まで後12日
進捗:安静。


12月9日 月曜日 授業 1:運動学 2:マッサージ実技 3:灸実技

・サウンドレスダイアリー 『待ち』 降雪編

 午前3時、眠れずに窓を開けて外を見ると、一面の雪景色が広がっていた。乾いた冬を過ごす平野の民にとって、雪はある種のイベントであり、どこか心が躍る……お陰で「この雪の中、どうやって学校に行くんだよ」という深刻な問題に思い至るまで、やや時間が掛かったのだが。昨夜の予報ではそれほど酷く降らないと言っていた以上、相当の乱れが起きることは想像に難くないし、出発が遅くなれば遅くなる程、交通機関が乱れていくことは目に見えている。眠くないのを幸いに、そのまま学校に行く支度を始めた。

 降り止む様子は全くなく、寧ろ強くなる雪の中、家を出た。未だサマータイヤのままのカムリでは余りに危険なので、4駆のカリブを借りる。思ったよりも路面の積雪が酷い上、カムリに乗ったつもりで運転をしたモノだから、加速したり曲がったりする度にぎゅりぎゅりと音を立てて滑る。思いっきりはみ出してくる対向車や、なかなか止まらない後続車に肝を冷やしながら、何とか無事に籠原駅に到着、0615籠原始発の湘南新宿ライン(湘南線始発)に乗ることが出来た。案の定、順調に(?)ダイヤは遅れ、上尾を前にして「上野駅が雪で麻痺しているので先がつかえてます」とのアナウンスで、おちおち居眠りもできない。身動きすらままならぬぎゅうぎゅう詰めのまま、徐行と停止を繰り返す車内は蒸し風呂のようであった。……座っている私でこれだけ疲れるのだから、立っている人の疲労たるや如何ばかりであったろうか。しかも、いい感じで茹で上がった所、池袋駅でドアを開け放ったまま15分ほど放置プレイされて芯まで冷やされて風邪が悪化する。

 1時間弱遅れ、0840に到着した教室には誰一人いなかった。9時の正規の始業時に教室にいたのは、たったの9人であった……30分繰り下げて始業となる。学生も先生も、学校に着くだけで皆へとへとになっていて、至極まったりとした授業進行で午前は終了。朝の予報では「午後から夜にかけてもう一度どさっと降る」ということであった。車の少なかった朝ですらあれだけ危なかったのだから、更に雪が積もったラッシュ時に帰るのは余り嬉しくない。時代屋でチャーシューメンを食らった後、3コマ目を回避。湘南線が運休の為、上野周りで東京を後にした……が、籠原で降りると、雪は全く降っていなかった。早引け損。路面に残った雪に注意しながらそろそろと帰る。ぶり返した風邪で熱っぽいので、さっさと着替えてだらだらと寝て過ごす。

……原稿〆切まで後13日
進捗:無理に進めると風邪に響くので……


12月8日 日曜日

 体が休養を欲しているのか、目が覚めると15時であった。
 15時であるにもかかわらず、部屋が随分寒い。布団もはだけ気味だったので大分鼻が重い。これだけ寒いと、弟からかっさらったセラミックファンヒーターでは力不足なので、ざっと部屋を片づけて灯油ファンヒーターをクロゼットから引っ張り出す。部屋を暖かくして、お湯で溶いた生姜&蜂蜜を飲み、厚着をして大人しく過ごす。本を読んだり、カタログのチェックをしたり……カタログに自サークルを確認して一寸やる気が出たので、やる気が出た分相当、一寸だけ原稿を書く。

……原稿〆切まで後14日
進捗:本当にちょっとだけ。


12月7日 土曜日 授業 1:衛生学 2:臨床医学総論

 昨日しっかり休んだお陰か、風邪も大分収まったようだ。暖かく身支度をし、朝食を摂って、風邪薬が回って眠くなる前に家を出た。渋谷で降りるなり雨……こんな日に限って折り畳み傘をカムリの中に置き忘れるワナ。それほど強い降りではないものの、折からの寒さと相まって冷える。
 土曜日だからか、教室にはいつも以上に空席が目立っていた。非常にまったりと進む衛生学の時間に、プロットの肉付けを進めたり、全体の構成を立て直したり。大分全体の雰囲気は掴めてきたので、後はびしっと書くだけである……いつ書き始めるのだろうか>他人事ですか 

 授業を終えて外に出ると、一応雨は止んでいたが、雲はまだ低く、空気はひんやりと冷え切っていた。そんな中、冬のチケットをお渡しする為に龍さんと待ち合わせ。学校近くのラーメン屋時代屋で煮干しラーメンに舌鼓を打った後、例によって秋葉原へ。龍さんのお買い物につきあいつつ、あちこちのショップを覗いて回ったり、ルノワールで休憩しつつチケットの受け渡しをしたり、冬のカタログを購入したりして楽しく過ごす。……ただ、出来るだけ濡れないように気を遣ったモノの、傘がないまま小雨の中歩き回って若干体が冷え、風邪の具合がイマイチに。帰ってからは大人しく過ごす。

……原稿〆切まで後15日
進捗:更に肉付け&文章構成。ある意味、後は書くだけ。


12月6日 金曜日 授業 1:東洋医学臨床論(鍼灸編) 2:病理学 (全休)

 昨日にも増して、頸と肩が痛い。大きく息を吸うと肋間がきりきり痛いし、ろくすっぽ眠れないで意識も朦朧としている。こんな状態で学校に行ってもみんなに迷惑を掛けるだけだし(口実)、いい加減うんざりしてきたので(本音)、今日は休業とし、とりあえず一休みしてから先生の所に行って治療して貰うことにする。3時間くらいうとうととして、運転できる程度に眠気を払ってから移動。
 私の背中をざっと診た先生は「風邪だから痛いんじゃないかなー?(註)」と仰った。筋肉の緊張を取り、体を温めるような手技を一通りして頂いた後、首筋(「風邪」が進入し易い所)に温湿布を貼って暖めて貰って治療は終わり。鍼灸院のHPの更新を済ませて帰宅。

註:鍼灸の世界では、風邪(「かぜ」ではなく「ふうじゃ」と読む。実質は同じだと思って頂いて結構だが)は「肝」を痛めつけ、「肝」と「筋」は繋がっていると考えられている。

 実際、風邪の症状が和らいでくるのと並行して、肋間の痛みも大分取れてきた。この調子で風邪の方を本格的に何とかすべく、部屋を暖めたり、厚着をしたり、蜂蜜と生姜をお湯で溶かして呑んだり、ビタミン類をぐわーっと補給したり、以前に風邪の時に処方された薬の内、症状に合いそうなものをネットで検索して選んで服用しだり。以降、まったり一日を過ごす。

……原稿〆切まで後16日
進捗:昨日と変わらず。


12月5日 木曜日 授業 1:あん摩実技 2:臨床医学各論

 怠いだけならまだしも、頸と肩が攣るように痛い。肋間やら胸鎖乳突筋にまでぴりぴりと痛みが伸びている。「休んで先生の所に行こうかなぁ」とも思ったが、大学の方がさぼり気味で結構ヤバいはずである。何とか頑張って出てみることにする……大学まで出ると相当遅くなるので、先生の所は明日以降へ先送り。

 車内でうとうとしたり痛みで目が覚めたりしつつ学校着。1コマ目のあん摩実技で揉んで貰えたお陰で2コマ目の座学は耐えられたモノの、大学に着いた頃は相当痛みがぶり返していた。大学後期ひとコマ目の宇宙科学では疲れからうたた寝。この授業は(所謂一般教養)は出席数不問のテスト一発勝負なのでまだ良かったモノの、臨床心理学のコマ数は(予想通り)絶望的に不足していることが判明。が、「残る授業の全てとなる班別の資料集め・討論&発表の場において、恥ずかしがってなかなか進まない1年生君達を引っ張って進めくれれば」ご温情を頂ける、というぼんやりとした確約のようなモノ(>それは本当に確約なのか)を頂いて帰る。

 帰宅後、中学以来の友人ヒラノにつきあって、カムリで深谷市のレンタルビデオ屋巡り……町内に2軒あったビデオ屋の内、まだ使えた方のTSUTAYAが閉店してしまった為、我らの観たいような作品がなかなか手に入らなくなったからである。久々に会えた嬉しさか、普段趣味の話をする相手が近くにいない所為か、店を回るさなかも、我が家に戻ってからも、ヲタクトークやプロ野球ネタで遅くまで盛り上がり続ける。日付が変わっていたことにも気づかないほどであったが、25時前辺りから、頸や胸の痛みが増して辛くなったのでお開きとなった。眠気は増してくるのでうとうとと居眠りは出来るものの、横になっても眠れず、座っていても眠れず、夜明け近くまでふらふらとして過ごす。しかもどことなく寒気や熱感が……もしかしたら風邪なのか。

……原稿〆切まで後17日
進捗:昨日と変わらず。


12月4日 水曜日 授業 1:鍼実技 2:解剖学 3:東洋医学概論

 何やら朝から激しく怠い。学校に行く気を絞り出すのも一苦労だったが、お父んのお遣いで県庁に行かなきゃならなかったり、ナガイ先生の授業があったりするので頑張って支度をする。県庁から大荷物を背負って帰ってくることになりそうなので、折り畳み式のカートを鞄に入れて、遅い電車で都内へ向かった。数年ぶりの浦和市街、折角だから途中で何か食べるなり、本屋によるなりしたいなぁ、等と計画を立てていた所、渋谷に着いた所でお母んから連絡が入った。

橘母:ああ、県庁だけど、丁度出張の人が居て頼めたらしいから行かなくて良いわよ」

……無駄な荷物を背負って一日を過ごす羽目に陥る。余分な仕事が減ったのは有り難いのだが、どうして最初にソッチの線を当たらなかったのか問い詰めてみたいものである。

 時間ぎりぎりで教室に滑り込むことには成功したが、怠さは相変わらず。何とか1コマ目の実技だけは気張って受けたが、無いモノをひねり出した反動は大きく、ロクに授業を受ける気にもならず、座学は2時間ほぼ丸々居眠り。結構鼾も掻いていたようで、真剣に授業を受けているおねーさま方からの視線が大変冷たかった。いつも冷たい気もするが。
 帰りしなにサークルの後輩に定期テストの過去問に関して色々要求されてまた凹む……何から何まで私に振るのは勘弁して頂きたい。もうじき会長じゃなくなるんだし、私が頑張ったってどうにもならないことばかりなので。

 追い打ちが掛かってべろっべろになった為、帰りの電車では3分と目覚めることなく籠原着。帰ってから少し甥っ子の相手をした後、夕飯まで仮眠を録ることにする……目が覚めたら2230だったが。甥っ子を迎えに来た弟が何度も起こそうとトライしたらしいが、結局目を開けることすらなかったそうな。ぐっすり寝たお陰で怠さや気鬱は良くなったような気はする。まったりと晩飯を食らい、まったりとネットに上がり、まったりと日記を書いてからまったりと横になって寝た。

……原稿〆切まで後18日
進捗:進む訳もなく。


12月3日 火曜日 授業 1:経絡経穴概論 2:生理学

 若干寝坊。WHITESTONE生理学を綺麗な黒板で迎え撃つべく、早い電車で学校に向かうのにばたばたと準備をしたり、経穴の授業を真面目に受けてみたり、WHITESTONE生理学が結構押した為に、クラスメイトと談笑する間もなく駅まで走ったり、修理が上がったビデオカメラをヤマダ電機に引き取りに行ったり、カウンセリングでじっくり話し込んだり、先生に頼まれてマウスを買いにまたヤマダ電機に行ったり、HPの内容の打ち合わせをしたり、打ち合わせに沿って編集を進めたり、姉貴に施術したり。割と忙しない一日であった。忙しなかったので、逆にこれといって書く事なし。勿論、原稿は全然進まなかった>威張れない

……原稿〆切まで後19日
進捗:昨日と変わらず。


12月2日 月曜日 授業 1:運動学 2:マッサージ実技 3:灸実技

 結局、何となく眠れないまま朝になっていた>だったら原稿やりゃいいのに
 甥っ子が泊まっているのでお母んも姉貴も起きてこないようだし、折角目が覚めているので、早めに朝飯を作って食べて、悠々と家を出る。まだまだ日の出まで時間もあり、空はようやく薄暗くなったばかり。走り出した高崎線の中でうとうとし始めた頃に、ようやく日が差し込んで来た……これからもっと暗い中、学校に行くんだなぁ、と思いつつ眠りについた。
 新宿駅で山手線の扉の窓から外を見ると、どこかで見慣れたあの電車が併走していた。……昨日からダイヤ改正で相互乗り入れになったのを忘れていた。夏冬の祭において、上大崎の前線基地がとても便利になるので大変喜ばしい。
 最近すっかりお得意さまになってしまった中華泰康飯店で昼食を取りつつ、内職で少し原稿を進めたりしながら3コマをまったり過ごして帰宅。家に着く頃には既に日は落ち、薄暗くなっていた。遅上がりの日は地元で太陽を見ることも叶わないらしい……しかも、帰って見ると誰もいないばかりか、洗濯物から何からほったらかしであった。片づけられる家事を片っ端から片づけて一息ついていると、頃合いを見計らったようにぞろぞろとみんな帰ってきたり。
 お昼寝タイムを取れなかった為だろうか、24時を回った所で激しい眠気に襲われた。こんな時間に寝るのも珍しいが、折角眠くなったのでそのまま寝てしまう。HP作成を少しずつ進めはしたものの、原稿に関してはほぼ為す所無く終わり。

……原稿〆切まで後20日
進捗:プロットに多少肉付け。


12月1日 日曜日

 唐突ではあるけれど、キリが良いので12月1日を以て日記を復活させてみました……お待ち下さった奇特な皆様、本当にお久しぶりです。おまちどうさまでした。

 夏の原稿修羅場の最中、豪快に体調を崩しはじめた辺りからばたっと止まってしまった日記の復活が、これまた冬の原稿修羅場のスタートからというのも、年がら年中原稿修羅場の様で非常に宜しくないのですが、このまま復活させないと、冬の祭典の様子を記録することが出来ないのと、書く事が更に溜まっていって、その負債の多さに、唯でさえ無い復活する気を無くしてしまうことが明白なのと、そろそろ「物を書くリハビリ」するべきなのとで、びしっとキリを付けて復活の運びとなった訳です……そういえば、「リハビリ」云々は夏の直前にも云っていたような気がしないでも(遠い目)>7/1日記参照
 ちなみに、7/25〜11/31までの間にあった様々なことは、コレを書く事をしばし断念するものとさせて頂きます……それに手を付けようとすれば、冬の原稿はおろか、次夏の原稿(一応次回も継続して参加の予定)すら書ける自信がないので。所謂、債務不履行宣言というやつです>威張って言う事じゃない

□◆□◆□

 早いものでもう12月になってしまった。当然の如く、原稿は一切と言っていいほど進んでいない。「折角の残り少ない日曜だから少しは原稿なり、先生に頼まれているHP作成の仕事なり進めようか」等と思った日に限って目が覚めたら16時。冬至まで最早3週を残すのみとなった今、既に表は薄暗くなり始めていた>いい加減このパターンに飽きませんか
「昨日25時を過ぎてから、終電を逃した姉貴を熊谷駅まで迎えに行ったのが響いたのだ」と責任転嫁しつつ、もそもそと起き上がり、PCに向かう。時間もやる気も余り無いので、原稿はさておき、差し当たってそろそろ雛型を見せなければならないHP作成(地元鍼灸師会のHP)に取りかかる。出来合いの材料(と言うか、以前に自分で作った先生のHPのソース)を弄くり回したり、彩りを添えるためのフリー壁紙を探したり。3時間ほど悪戦苦闘、やる気ゲージが0になったところで中断する。
 晩飯を食らうべく階下に降りると、義妹が実家にいてアパートにに晩飯が無いという弟と、甥っ子1号が炬燵でぬくぬくしていた。先週、義妹の家のおばあさんが亡くなった為、あちらのご実家がまだ色々と忙しないから義妹もそちらに詰めっぱなしなのだそうな。微妙にいつもより豪華なおかずを囲みながら、6人でもさもさと飯を食らう。食後は弟と、北海道から送られてきた「水曜どうでしょう」とその再放送のビデオを見たり、無駄話をしたり。

 夜、ICQに藤原が上がってきたので、今後の日程について協議する。大変心温まるやりとりの結果、原稿締め切りが22日、印刷(と出来れば製本まで)が23日と相成った。明確に期日も切られて、流石に後が無くなった訳だが、それでもまだ3週も残っている。「今度こそは余裕を持って原稿に取り組んで、良い内容に仕上げつつ、誤字脱字も減らすぞ」と決意を新たにするのであった……それでも、今日も結局原稿は進まなかったのだが。

……原稿〆切まで後21日。
進捗:……プロットのみ。

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