2000年1月4・5週分(1/17〜1/28)
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1月28日
今日も事もなく、昼頃起きて先生の所に。今日もパソコンに取りかかろうとしたら、
「○○ってファイル、とっといてある?もの凄い大切なんだけど……」
「橘屋:え?…………ここにないのは一通り消えてますが……(汗)」
一度ご本人に確認はしたような気がするのですけど、今となっては詮無し。
バックアップが別にあるらしいのが救いではありましたが………………
エライ凹みました。今日の教訓、「お出かけは一声掛けて鍵掛けて」。南無。
1月27日
今日も事もなく、昼頃起きて先生の所に。
私が再インストールした後パソコンの調子が悪く、昨日詳しい方に来て貰って診て貰ったそうなのですが
その人曰く、何やら「消す前より悪くなってない?」だそうで。
エライ凹みました。今日の教訓、「生兵法は怪我の元」。南無。
1月26日
寒波襲来、朝方からえらい寒いです。寒いので布団に潜っていると、布団をお母んにはぎ取られてしまいました。
心身共に寒いので、厚着をして洗濯物を干すべく表に出てみると、雨水を溜めておく桶やらドラム缶やらの水も
がちんがちんに凍っていました。厚さにしてざっと3センチはあったでしょうか。
言われてみりゃ、昨夜トイレに行こうと部屋を出た時もエライ寒かったなぁ……。
寒い屋外から帰ってきた後は、昨夜もほとんど眠れなかった分の睡眠を取り返すべく
鍼灸院にも行かず、ぐっすり寝てました。
そろそろ、間隔を開けながら通院することも考えていかないとなぁ、などとも思ってはいるのですが
如何せん体がついてこないのが何とも……ちょっと休むと、その日の鍼がエライ効きます。
先生に言わせても「やっぱり間が空くとすぐに堅くなるねぇ」とのこと。
目が覚めたら既に夕方。のそのそと起き出して風呂の準備。
今日も大鉈(サイズ的には斧と言っても差し支えない)を研いで、快適に仕事できるようにしたいなぁ、と思って
バケツの中に浸けて置いた砥石を引っ張り出そう……と思っていたら
日陰にあったバケツの氷は昼間も溶けず、依然2センチ以上の厚さ。
斧を研いで切れるようにしようというのに、斧で氷を割る羽目に陥りました。
しかも、そのさっきまで凍っていた水で研ぎをせざるを得ないワナ。
めちゃくちゃ冷たかったです。
さて、家事労働も終わり、晩飯も終わり、洋画小僧の父親と一緒に観ていた「オリエント急行殺人事件」も終わったので
部屋に戻って、いつものようにネットに上る準備。
「今日は時間もあるし、ウィルススキャンでも掛けてみるかぁ」と、ノートンさんにお出まし願いました。
「橘屋:まぁ、こないだ完全に駆除したんだし、残ってるはずが………………は?」
「感染ファイル」の欄に燦然と「1」と書かれていたワナ。しかもちぇるにぃ。
「橘屋:ちょっと待て…………今日26日<註>じゃんかぁ!!!(滝汗)」
慌ててファイルの所在フォルダに飛び、感染しているファイルの容量を確認。
「橘屋:………………568000KBってなんなんだよ……(涙)」
ひとつだけ生き残っていたウィルスが発症していて、しかも500MBまで膨れ上がっていたワナ。
ウィルスが1個だけだったから助かりましたが、これが複数個残っていたとしたらどうか、と考えると背筋がぞっとします。
そりゃ、HDが吹っ飛んじゃおうってモンです。
消したらすっきり、システムのHDが1GBも空いてしまいました。いやぁ、軽い軽い……って当たり前か。
お陰で、今日のネットは大変快適に感じられたことでした。
幸い、私の周囲で、私以外にこういう状態に陥った人はいなかったようです。
<註>26日
先述の通り、チェルノブイリウィルスは、チェルノブイリ原発事故の起きた4月26日に因み26日に発症する。迷惑千万。
1月25日
何やら寒波が近づいて来ているらしく、朝から余り暖かくありません。
こういう日はウチの中でごろごろしているに限ります。今日は鍼も見合わせました。
いつものように家事労働をして、事もなく夜。
深夜以降、マシンが昨夜よりも重くなったような気が。どうにも重くて、リソースも危険水域ぎりぎりです。
システムドライブを観ると、南斗びっくり、残りが100MB位しか残されていません。
何とかフリーズだけは免れましたが、明日以降のことを考え、ネットから降りた後、
差し当たって必要ない一太郎と花子(ATOKは要る)を丸々削除して、システムドライブを軽くしてみました。
「橘屋:なんで急にこんなに重くなったんだろ……?」と疑問を抱きつつも
さほど深く考えずに床に着きました。
1月24日
週明けですので眠い目を擦りながらカローラを運転し、鍼灸院へ。
相変わらず日が開くと、たちまち鍼が身にしみます。こんなんで大丈夫なのかなぁ、とちょっと不安。
帰ってからはいつもの如く。
夜になっていつもの通りマシンを起動し、ネットへ接続。
しかし、今日に限って妙に重い……(涙)
とりあえず、バックアップの万全なVBさんには一旦消えてもらうことにしました。
似たようなプログラムを競合させておく謂れもありませんしね……
1月23日
と言う訳で、朝になって寝入る前にノートンを仕込んでから惰眠を貪る事に。
今度は昨夜のような事のないように、すべての常駐をカットした上でチャレンジです。
……昼頃目が覚めました。「そろそろBドライブの整理くらいはやってくれてるだろ……」
と思ったらまだまだAドライブのスワップの整理をやっていたワナ。
近頃得物の大鉈(両手持ち。サイズ的には斧と言ってしかるべきか)の切れ味が悪くなってきています。
よく見てみると、刃毀れはいっぱい在るわ、刃自体も丸みを帯びちゃってるわで、これで切れたら不思議って位です。
そういえば、大分前に切れ味が悪くなっていたときにお母んに相談したら
「お祖父ちゃんにグラインダーで研いで貰おうか?」とか言っていたのに、
それがそのままほったらかしになっていた様な気がします。
真っ直ぐ打ち下ろしてもすっきり割れなくなってきているので、これ以上放っとく訳にも行かないようです。
風呂焚きと並行して、完封吹き荒ぶ薄暗闇の中、頼りない蛍光灯の明かりだけを頼みに、
農作業用の小さな砥石でごりごりと削っていきます。
寒い思いをしながら削ったお陰でか、割と満足のいく研ぎ上がりとなりました。
とても嬉しかったです……って、こんな喜びに浸ってる大学生って全国にどれくらいいるんだろう……(爆)
1月22日
今日も一日事も無し。起きたのが昼以降だったので鍼に行かなかったことくらい。
夕方、姉貴のパソコンの指導に叔父が来てくれました。
(私なんかより数段詳しくて、赴任先の学校はおろか、周辺校のパソコンも陰に日向にお世話してるそうです)
で、その作業の合間、叔父上からノートンを入れることを薦められましたので
「まぁ、タダであるんならいいかぁ」と安易にインストールをぶちかましてしまいました。
で、叔父上がお帰りになってから。ノートンさんの売りである
「スワップなどの配置まで含めたHDの整理」を試してみることにしました。
お姉のPCで試したことがあるので、この作業がやたら時間がかかることだけはわかります。
3時間置いて戻ってくると…………依然同じような作業を繰り返しています。
スクリーンセイバーやらの常駐ソフトを落としてなかった事に気付くワナ。
一旦今日は引き続きの整理を諦めて、そのままネットに上がって行ったのでした。
1月21日
これと言って何もない一日。昼頃起きて、鍼行って、帰ってきた後は家事労働。
夕方、弟がお父んの頭を刈りにやって来ました。今日は弟一人、義妹も甥っ子もいません。
聞けば、義妹が熱を出しちゃって甥っ子の世話がおぼつかないとのこと。
あちらのご実家に任せっぱなしってのもどうかと思ったので、
「じゃ、夜帰るまでの間、ウチで世話見ればいいじゃんか」と言うことになり、
床屋の道具を取りに行きがてら、私と二人で甥っ子を連れてくることになりました。
あちらのお宅についてすぐ、弟が甥っ子をだっこして降りてきました。
本当なら、私が弟から甥っ子を受け取って、奴が運転して帰る訳なのですが、
「橘屋:ええやん、せっかく落ち着いてるんだから、お前そのまま、だっこしていけ。俺が運転する」
と言うことで、弟夫婦が乗っているAT車を私が運転して帰ることにしました。
で。義妹の実家から道に出ようとして。
「橘弟:兄ちゃん気を付けて、ここ、案外狭……」
「がきょん」
「橘屋:あう……(涙)」
「橘弟:頼むよ兄ちゃん……」
リアのバンパーが軽く(?)ガードレールに当たってしまうワナ。
狭い道で、他の車も近づいてきているので、取り敢えずウチに帰ってから確認することにし、
邪魔にならないようにちゃっちゃとウチに向かうことにしました。暫く事もなく進みます。
見ると、遠くで信号が赤に変わりつつあります。ギアを抜くべく、いつものようにクラッチを踏みました。
「んきゅきゅきゅきゅきゅきゅ」
「橘屋:あうぅ………………(号泣)」
「橘弟:…………バカ兄貴ぃ……(涙)」
急制動が掛かり、ベルトもロックしてしまいました。よく見ると、左足でブレーキペダルを踏んでいるワナ。
そりゃそうだ、ATなんだから…………暫くオートマには乗りたくないなぁ、と思いました。
取り敢えず、周りに他の車がいなくてよかったなぁ、と。甥っ子載せて事故ったら洒落にならんよ…………
1月20日
橘屋も本日未明付けで6000ヒットを記録いたしました。
これも不甲斐ない店主&店員を応援してくださる皆様のおかげです。
どうぞ今後とも宜しくお願い致します。
結局朝まで寝ずにネットにおりましたので、朝飯を両親と一緒にかっ喰らった後
2階自室へとんぼ返りしてじっくりと睡眠をとりました。
ちゃんと目が覚めたのは昼ちょい過ぎ。確かテレビで「ごきげんよう」をやっていたような……<寝ぼけていて記憶あやふや
今日はちょっと外に出るのが億劫だったのと、明日精神科に行かなきゃならないのと、
一日休んだら体の具合がどうなるんだか試してみたいってのがあったのとで
起きてからも鍼灸院には行きませんでした。
(私にしては)そう散らかっていない部屋を片づけたり、日記の更新をしてみたり、
水面下で進んでいる某計画(こういうのに限って公表されずにポシャっちゃう物なんですが)の準備をしたり、
6000ヒット記念向けの企画に頭を悩ませたり。
夕方日が沈み掛ける頃から風呂&晩飯の準備。
手頃な大きさの薪がなかったので、ぴゅーぴゅーとクソ寒い風が吹き荒ぶ中、片っ端からばきばきと薪を割りました。
寒いし面倒だし疲れるのでイヤだなぁ、と思いながら始めたのですが、こういう作業の常、
やっている内に何だか楽しくなってきてしまい、気がつけば3日分くらいの薪を割っていたのでした。
流石に背筋は疲れましたが……
風呂を焚くのと並行して、パスタを茹でる準備をしたり、刃毀れの目立つ大鉈(斧とも言う)を研いでみたり。
風呂の準備が全て終わった頃、漸く大鍋の湯が沸騰してきたので、
パスタ奉行として美味しくパスタを茹でるべく奮闘。アルデンティーノからややアルデンテ気味に茹で上がり、
個人的にはかなり納得するも、お母んに「ちょっと堅くない?」とか言われて凹むのでした。
これが正しい喰い方なんだってさぁ…………
1月19日
いつもの時間に起きだして、いつもの時間に鍼灸院へ。
無闇に昼前に行ったりしてしまうと、先生に昼飯のことを気遣わせてしまうから、って言う理由は表向きで
結局は眠くてなかなか起きられないからだったりします。
今日は接続周辺の設定を昨日に引き続きいじります。
どの設定を間違っているのか、接続を始めるまでに無闇に時間がかかります。
接続を始めてしまえば転送速度に以前と何ら変化があるわけでもないので
速度設定の問題じゃないし、プロバイダをDTIに変えてやってみても同じだから
サーバー由来の問題じゃないし……治療を挟んで5時近くまで粘り続けるも
やっぱりいまいち分からなかったので諦めて撤退。接続自体は出来るので問題無いっちゃ無いんですが。
1月18日
今日は、先生のとこのパソコンを再インストールする予定なので、いつもより早めに起きました……と言うより
寝ませんでした。7時過ぎに朝飯を済ませ、あとは着替えて出かけるだけ、という状況まで持っていったのですが
累積した眠気には勝てず、気がつけばベッドの中で横になっている始末。
お母んに叩き起こされて、着替えてウチを出たのは10時近くなってからでした。結局大して普段と変わらず。
10時ちょっと過ぎに着いてからは、昨日分別して置いたデータを片っ端からFDにインストールする作業。
絶対量が40MBに至らないとは言え、アクセス速度がめちゃ遅いFDで、
さらに1枚1枚容量を考えながらの保存だったのでむやみに疲れました。
センセに余裕があったら後でMOかRか買って貰おうと心に決めたのでした。
コマンドプロンプトからフォーマットを掛け、終了を待ちながら昼飯をごちそうに。
食後、インストールを仕掛けた後に、休憩を兼ねて治療を受けてリフレッシュ。
ちょうどシステムのインストールも一段落したようで、叔父上から借りっぱなしのソフトをちまちまとインストール。
システムインストールの段階から余計な物を極力入れないようにしていたのでHDもシステム周りも軽く、
非常に快適な動作を得ることが出来ました。やっぱ時々入れ替えなきゃ駄目だなぁ、と思うのでした。
ただ、接続周りの設定が上手くいかず、結局明日以降に回す頃になってしまったのが残念でした。
1月17日
いつものように朝方ネットから上がり、二度寝をかまして昼頃起きて、鍼灸院へ。
いつまでもこんなだらだらしていて良いわけはないと思うんですが、
未だに感情の起伏が激しくなるとたちまち体調が悪くなるような感じで
「ホントにこれ治るんかいな?」と不安にならないと言ったら嘘になるような状態です。
鍼に行き続けて効果の出ている内は良いのですが…………
今日も先生の所のマシンの調子を見ます。やはりいまいちです。
アウトルックやらエクセルやらが死んでいたり(普通はなかなか死なない)、
上書きして復活させようとしても全然上手くいかなかったり。問題山積です。
どうにも、これは本格的に再インストールをしなければならない模様。
ただ、外付けの記憶装置の類が一切無いので、必要そうなデータをどのように保存するかで悩みました。
調べてみたら必要なデータの総領が思ったより少なかったこともあったので、
FDサイズにデータを振り分けて、根性でFDにデータを映すことにしました。
ただ、先生の所にそんないっぱいFDが置いてあるなんて事はなかったので、帰りがけにヤマ電で購入。
さらに婆ちゃんちによって叔父上にソフトの束を変換してきました。
帰ってからはいつもの通りの家事労働。3学期が始まって、ただでさえ当てにならなかった姉ちゃんが
今まで以上に役立たずなので半分主夫のような状況です。
…………誰か専業主夫かハウスキーパー(敢えてメイドとは言うまい)として雇ってくれないかなぁ、などと
思ってしまうのでした。