8月第1週分(8/2〜8/8)
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8月8日
今日は異常に眠いです。
朝起きて、朝飯喰った後2度寝を決め込んでいるウチに昼になり、
昼飯も食わずに再び昼寝を決め込んでいるウチに夕方になり、
流石にそろそろ起きなきゃと思っているウチに意識がなくなってしまって目が覚めると夜。 
姉貴は旅行に行ってしまったので、私とお母んと二人しか家にいません。
昼前から病院に行っていたお母んがいい感じで疲れていたので、
弟夫婦を呼んで、4人でラーメンを食べに行きました。
そんなこんなで、結局殆ど何もできないまま一日が終わってしまいました。
試験まで日がないってのに…………
やむなくアンケートを片づけつつ、ネットに繋いでいるウチに夜が更けていきました。

8月7日 そんなわけで、お父んの見舞を兼ねて、不足している品を病院に持っていきました。 案の定、お父んは割と元気そうにしていましたが、 点滴を受けていたり、腹部をエコーで検査するとかで飯を抜いていたりで、流石に大人しくしていました。 テレビのセッティングをしたり、話し相手にあったりしていると、ばあちゃんじいちゃんが見舞に来てくれたり。 近々職場の方もお見舞に来て下さるであろうことは確実なので、 飲み物や着替えやらを買うために昼過ぎにウチに戻りました。 帰る足で買い物を済ませた後は、昼間の暑さに対抗する唯一の手段「昼寝」を敢行し、 後、お盆に備えて墓地の草刈りをお母んと一緒にやってきました。 ……よくよく考えれば、今年のお盆の行事は殆ど私が片づけなきゃならないんだなぁ…… こういう時に農家の長男ってのは困ります(笑) 草刈りが終わってお母んはまた病院に行きました。私はお留守番。 一人でつまらないので弟のところに「ひまじゃーつまらんー遊びに来いー」と留守電を入れておいたら ホントに遊びに来てくれました。一緒に晩飯を作ったり。 8時過ぎて、漸くお母んは帰ってきました。しばらくこういう生活が続きそうです。
8月6日 汗だくで目が覚めました。日はバリバリに照っています。やっぱり扇風機がないのは痛いわ…… 抜け忍師は既に起きていらっしゃって、わざわざ私を起こしに来て下さいました。 そくそく着替えて、8時半過ぎのバスに乗るべく家を出ました。 出掛けに見たニュースから「そういえば今日は原爆記念の日だったなぁ」と思いだし、 その日もこんな暑さだったと聞いたことを思い出して、 ちょっとだけ粛然としつつ汗を拭き拭き電車に乗りました。 今日の予定は二人では久々のカラオケ(師には新ネタがあったらしく、「セガカラを」とのたっての希望)と、 師の探している雑誌を求めて本屋巡りです。 予定を打ち合わせしたり、積もる話の続きをしたりしながら乗っていますと、 都内に入る直前で「ぱたぱたっ」という音が。窓の外を見てみると大雨が降っています。 「こういうのは局地的に降ってるだけだから上野に着いたら大丈夫でしょう」と思っていましたが駄目でした。 勿論朝はギンギンに晴れていましたから、ちゃんとした傘なんて用意してあるはずがありません。 私がいつもの習慣で折り畳み傘を持っていたのがせめてもの救いではありましたが、 縦に大きい男と横に大きい男が小さい折りたたみ傘に入りながら、 上野の街を歩いて廻ってカラオケを探している姿はさぞかし間抜けだったに違いありません。 そうでなくとも「親父の街」の上野で、午前中に開くセガカラを見つけようってのが無理だったのか、 雨の中を歩き回った甲斐なく見つかりませんでした。 仕方ないので電話ボックスでタウンページを見てみると、神田に「歌広場」が。 北浦和&熊谷の「歌広場」にはセガカラがありますから、 唯でさえ残り時間が少ない中で、これ以上上野を捜すよりは確実なはずです。 で、神田に移動してみれば男二人で盛大に迷子になる罠。 さっきまでの雨は何処へやら、ジリジリと照り付ける太陽の下、たっぷり40分以上彷徨いました。 しかも、交番で聴いたりしながら何とかたどり着いた歌広場には、 我々が忌み嫌うところの孫悟空しかない罠。 そうこうしているうちに、着々と残り時間は少なくなっていきます。 仕方ないので一旦秋葉原に戻って雑誌を探しましたがこれも空振り。残り時間は着々と短くなっていきます。 余りあちこち歩いてる余裕はありません。「カラオケがあって、しかも本が探せる場所は……」と考えまして、 本屋と古本屋があって、しかも学生が集まるところ、神田駿河台下まで行ってみることにしました。 神田の大きな書店を数店巡るも、雑誌は見つからず、漸く見つけたカラオケも、 統合システムで新曲の入りが遅かったので、結局師の新ネタは温存されたままとなるオチが付きました。 まぁ、1時間だけではありましたけど、久々に二人でカラオケで歌えただけでも楽しかったです。 さて、そろそろ空港に向かわねばなりません。が、モノレールに乗ってみるとまたしても豪雨。 「これで飛行機が飛ばなかったらもう一晩泊めて下さいね……」とまで師に言わしめるほどでしたが、 空港の周りでは全然降っていませんでした。 搭乗手続きも無事済んで、師は再び長崎へと発って行かれました。 「こうやってまた会えることがわかりましたから、今回は前回ほど寂しくないです」と と仰って頂けたのがとても嬉しかったです。 屋上の展望台から師の乗られたANA機が飛び立つのを確認した後、家路に着きました。 で、上野で高崎線に乗り換えて、大宮駅に着いた直後に、「ウチニデンワシテ」とベルに入電がありました。 仕方が無いので宮原で降りて電話すると弟君が出まして、 「あ、兄ちゃん?父ちゃん急性肝炎で入院したから」「ああ、そう……ってオイ!!」 急いでウチに帰りました。早くて1週間、長ければ3週間の入院となったとのこと。 症状自体はホントにたいしたことないそうです。 肝臓の数値絡みで献血を二回蹴られた経験からも、肝臓って奴は疲れているとたちまち弱ってくるもので、 ここんとこ体調が悪かったのが響いているだけで、そうそう悪くなっているって訳でもない、と わかるだけ救いがあるんですけど……この先またしても忙しくなりそうです。
8月5日 作業はろくすっぽ進んでない、睡眠もろくすっぽ摂ってない、というどーにも救い様のない状態で カウンセリングルームでの作業&打ち合わせとなってしまいました。 しかも、作業が終わったら抜け忍師を大宮駅までお迎えに上がることになっています。 半分寝ぼけた頭でデータをFDに落としたり、準備したり。 寝ぼけたままバスに乗り「さて暇つぶしにMDでも聴くか」と思って取り出してみると MDウォークマン本体だけでイヤホン忘れるワナ。 仕方ないので宮原まで本を読んで過ごしました。 ここんとこ自分の書く文章がイマイチ君な気(元から今二つ三つ足りないと思いますが)がしてきたので、 尊敬するところの深代惇郎さんのコラム(『天声人語』文庫版巻八)を。 古くても短くても、「しみてくる」文章はいつでも「しみてくる」ものだな、と思いました。 11時の約束のところ、余裕を持って出て来たら余裕が出来すぎて、10時には駅に着いてしまいました。 あんまり早く行きすぎるのもアレだと思いましたので、 駅近くのホビーショップ『イエローサブマリン』(通称「イエサブ」)で時間を潰しました。 久々に嗅ぐ「模型屋臭」(溶剤やら接着剤やら何やらのないまぜになった得も言われぬ芳香)にクラッと来たり、 店内を巡っているウチにそれがちょっと快感になってしまっている自分に気付いたり。 もっとゆっくりしていたかったけど、約束の時間に余裕を持って到着できるよう、早めに店を出ました。 今度また遊びに行ってみよっと。 ジリジリと日の照り付ける中、約束より20分近く早くカウンセリングルームに到着しました。 汗だくになった身としては、キンキンに利いたクーラーが大変心地よかったです。 金ちゃんが午後にならないと来られないらしいので、午前中は一人で出来ることを、と思い 持って来たデータを先生に見せて、今後の作業方針について軽く打ち合わせ。 その後はルームのノートパソコン(「セレロンなんか載っけやがってちくしょう」思ったのは内緒)を借りて 作業がし易いように環境を設定したり単語を登録したり。お昼を頂いてからも作業は続きました。 2時半過ぎて、漸く金ちゃんがやって来たので、先生と3人集まって細かい打ち合わせ。 前もってある程度の打ち合わせをしていた私は、専ら先生と金ちゃんの意見のトランスレーターだったのですが、 K島先生はひじょーーーーーーーーーに融通無碍な方なので、話があっちこっち飛んだり、 大変感覚的な説明だったりと、二人揃って結構苦労しました。 まぁ、それでもお互いで意志の疎通は出来て、ちゃんとした打ち合わせにはなったので良かったと思います。 さて、5時を過ぎまして、そろそろ大宮駅に抜け忍師を迎えに行かなければなりません。 大宮駅までは、金ちゃんが帰りがてらで送っていってくれることになったのですが、 駅までの移動の途中で「一人で車で帰るんはつまんねぇから3人で一緒に帰ろうや」と 金ちゃんから提案がありまして、予定を変更して、駅前で抜け忍師を拾って帰ることになりました。 電車の乗り合わせの関係で、3分ほど遅れて師は到着されました。 抜け忍師とはICQなどで日頃から話はしているものの、 実際に顔を合わせるのは羽田で別れて以来4カ月ぶりでして、 ちゃんと会えてホッとしたってのもあったんでしょうが、とても嬉しかったです。 3人合わせて230kgある(誰が一番重いかは言うに及ばず)面子を乗せて、 金ちゃん'Sコルサは帰途に着きました。 3人とも同じバイトを4年次終了まで勤め上げた仲間ですから、 話し始めれば簡単にうち解けて、楽しく帰ることが出来ました。 途中で金ちゃんがはまりだした詩知理屋によって晩飯。 ウチに着いてからは、抜け忍師と久々に積もる話。 やっぱりテキストだと言いたいことの何割も言えないなぁ、と 自分のテキストに対する修行不足も含めて改めて痛感させられました。 明日の飛行機の時間から逆算して、ちょっとでもあちこちで遊ぶために1時には寝ることに。 自分のベットは抜け忍師に譲り、アパートに出ている弟の部屋で寝ました。
8月4日 今日は、明日のカウンセリングルームでの作業の前に「ちょっとでも集計作業を片づけておこう」と 金ちゃんと作業をすることにしました。 何だかんだで金ちゃんが来るのが遅れたり、作業場がウチに変わったりで 作業の開始が2時過ぎになりましたが、今日は風が割合と強かったので 涼しく作業が出来ました。金ちゃんには暑かったかも知れませんが……。 集計自体は簡単に終わったんですが、頂いたコメントをまとめたり要約したりで 結構時間がかかりまして、なかなか骨が折れました。 でも、今の先生方が抱えている問題のようなものをひしひしと感じられて、 とてもやりがいのある仕事です。楽しんでやっています。 ……その割には作業の進みが遅いような気がしないでもないんですが。 夕方になって、用事のある金ちゃんが帰ってしまったので ちょこっとできる範囲(やる気の残量の許す限り)でコメントまとめをした後は いつものように家事と食事。お父んと一緒にTVで野球観戦。 姉貴から「あんたが野球観てると『いけー!』とか『よっしゃぁ!!』とかうるさいからイヤ」と 文句を言われつつも、巨人ファンのお父んの満足いく結果になるまで見届けました。 途中で流れる「他球場の途中経過」で、ファイターズが天国から地獄にたたき落とされるのを見て落胆。 夜はいつものように作業をしながら並行チャットをしていたんですが、 夜半過ぎあたりから強い雷雨がやってきまして、 データを守るために一旦回線を切り、コンセントを抜いて、 雷が去るまでビデオを観たりパワプロのサクセスモードに打ち込んだり。 余りにサクセスモードに打ち込んでいたので、チャットに復活しながらも 外が明るくなるまで選手の育成をしていました。結局寝たのが5時半。ちゃんと起きられるんか……?
8月3日 丸々ひと月床屋に行っていなかった所為で、頭がかなりぼさぼさです。 そうでなくても元が短いので、ちょっと伸びただけでかなり見苦しくなります。 何よりずっと短く通してきているので、暑苦しいのに耐えられないのが大きいです。 てな訳で、昼前まで寝続けていた私は、昼下がりに行きつけの床屋に行ったのでした。 チャリンコのリアタイアのエアがヘロヘロに抜けていたので、途中自転車屋に寄り、 空気入れを借りて(普通のイギリスタイプのバルブじゃないんでウチの空気入れが使えないので) 汗だくになりながらすこすことポンプを漕いだり。 昼下がりに行ったので、普段顔を当たってくれる奥さんが家事に従事していて、 おっちゃんの手荒い剃刀捌きに遭い、ひりひりするアゴを撫でながら、 さっぱりした頭で家路に着いたのでした。 帰りしなに、通り道にあるTSUTAYAに寄ってビデオを物色。 弟君から「ビバップのビデオ、新しいのがレンタルに出てるから見てくれば?」 と言われていたのを思い出したからです。 財布の中の残金と相談しつつ、ビバップの6巻とTV版ガンダムの1巻、 更に前から観たいなぁと思っていたザブングルの1・2巻を借りて来ました。 どれも面白かったです。何というか、映像の上手さとかキャラ萌えとかだけでなく (勿論アニメではその要素も大きいとは思うんですが)、 ストーリーや世界観で楽しませることの大切さを再確認したのでした。 ビデオを見る合間に家事や食事や仕事を済まして一日が終わりました。 今日、県教員採用試験の1次合格通知が届きました。 11・12日に論文・面接とピアノ・水泳での2次試験に臨んで参ります。
8月2日 今日は午前中から例のアンケートを受け取りに、 宮原のカウンセリングルームに出向くことになっています。 暑さのせいか、だいぶ夜型になりつつある体に鞭打って、昼過ぎに起動しました。 お陰で体調が今ひとつでした。電車の中でちょっと酔い気味になってしまったり。 そんな訳で、宮原まで先生が迎えに来てくれることを期待しながらアーバンに乗り、 宮原の前の上尾で乗り換えるときに先生に「もうじき着きます」という旨の電話をしたら 「ああ、今日は悪いけど駅から歩いてきて」と。かなりガックリ来ました。 何ちゅうか、人間こうやって人知れず恨みを買ってくんだなぁ、と思わず心胆寒からしめられた事でした。 炎天下、歩いて汗が流れる中で、不思議と体調の方は良くなっていきまして、 先程の恨みは取り敢えず忘れることにしました。 作業が一段落したところ、先生とO本さんが「メールの出し方を教えてくれ」と仰せだったので 設定から何からこりこりいじりながら説明をしていきました。 聞いた話では前に出入りしていた学生にいじって貰っていたけれど、 その人が来なくなってからはわからないので放ったらかしだったとか。 メーラーを開いてみると、最後のメールが丸々1年前くらいの日付だったり プロバイダと契約解除して使わなくなったPOPサーバー設定が生きてたり…… これは姉貴にパソコン教えたりして何となく感じていたことなんですが、 初心者(私だって毛が生えた程度の初心者ですけど)にパソコンの操作を教えるときには 状況をきちっと説明する力もさることながら「用語や概念を『翻訳』する力」、 更に言えば「その人の経験の範囲内にあるものに喩える力」が必要なんではないかと。 「人間、新しいことを理解するときには今までの経験に置き換えて理解する」と 今更ながら強く実感させられました。 インターネット関連の事柄っていうのは、どうしても今までの日常の生活の中からは 想起しにくいような新しい経験であることが多いですからね…… まぁ、そんなことを偉そうに言えるほどわかってるなんて 口が裂けても言えないようなレベルなんですけどね、私も。 帰りしな、鴻巣の藤原んちに挨拶を兼ねて、 奴が喜ぶであろうロシア的土産=煙草をもって寄りました。 二人揃って縁側で煙草を喫って無駄話したり、 弟君と、しばらくしてから帰ってらっしゃったお母上と談笑したり。 晩飯のおじゃまにならないよう、7時前には家路につきました。 8時過ぎてウチに帰ると、お母んが「あ、風呂やってないからよろしくね」と宣うので 泣きながら薪を叩き割って風呂を沸かしました。 夜はいつもの如くパソコンをいじったりなんだり。

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