8月第4週分(8/23〜8/29)
過去の日記(インデックス)へ  前へ 次へ
今週の日記へ

9月4日
流石に連戦の疲れが溜まってきたか、7時半頃ようやく起動しました。
後は基本的に埼玉目指して走り続けるだけです。文字通り一日走り続けて、何とかいわき市まで到達。
今までで一番へろへろになって寝ました。
本日の総走行距離、542kmナリ。

9月3日 竜飛岬にて朝日を拝んだ後、一旦青森市を経由して、今回のメインイベント下北半島を目指します。 道は車も少なく(そりゃそうか)、昼ちょっと前には本州最北端の地大間崎、3時には下北半島の東端の尻屋崎に到達。 「遂に来るとこまで来ちまったなぁ」と大変に感慨深かったことでした。 六ヶ所村・三沢・八戸を経由して、青森と岩手の県境の三戸まで到達。 道の駅のすぐそばにミニストップがあって大変快適でした。 本日の総走行距離、469kmナリ。
9月2日 藤原の御母堂の御実家を訪問すべく、朝の6時半には出発しました。 一寸とした通勤ラッシュに飲まれたり、道に迷いながらも8時半には御実家に到着、御婆様御爺様から歓待を受けました。 10時前に御実家を辞し、男鹿半島を廻り、大潟村を経由して一路青森を目指しました。 色々ハメに遭いつつも、何とか6時には青森市到達。市内で晩飯と風呂を済ませた後、 明日以降のことを考えて、思い切って竜飛岬まで移動、11時ちょっと過ぎに到達。 文字通り降るような星空が大変に印象的でした。途中で購入したビールを飲んで、グッスリ寝ました。 本日の総走行距離、433kmナリ。
9月1日 そんな訳で、今日より半島爆走記第4弾・東北大陸編(笑)がスタートです。 心配性なだけに、一度行くと決まったら色々手伝ってくれるお母んのサポートを受けつつ準備。 9時前には出発することができました。尾島町のローソンで飲み物その他を買った後は、 今までの教訓を生かすべくこまめに交代しつつ北を目指しました。 途中酒田市で風呂と晩飯を住ませた後、10時半過ぎまで走り続けて、 何とか秋田県の本荘手前まで到達したところで道の駅「西目」を発見、本日の最終到達点とすることにしました。 詳細は近日発表の爆走記にて………… 本日の総走行距離、485kmナリ。
8月31日 朝イチで先生のご自宅の留守電に「今日郵送しますから、ちょっと送れるのは勘弁してください」と連絡を入れた後、 明日の出発に備えて、遅まきながらとろとろと支度をしていると、 ここに来てスポンサーの皆様=お父んとお母んが「お前らの腕で1号と東名を行くのは頼むからやめてくれ」と。 早いウチにきちんと計画を伝えていなかった私も悪いんですが、ここに来て旅行に行けないのは辛いです。険悪なムードが漂います。 お父んが折衷案として「この時期の4号(奥州街道)は空いてるから、どうしても旅行行きたいってんなら東北行け」 なんてことを宣います。わりと幸運な事に、今回の旅行先を決める際の作戦会議に於いて、 「藤原の母方の実家のある秋田に寄りつつ東北の半島を攻める」案が上がっていましたので、 2階の私の部屋に戻って、藤原と相談しました。藤原の御母堂も秋田をお奨めになっていたので、 多少後ろ髪を引かれながらも行き先を東北に変更することにしました。 まぁ、その代わりといいますか、お父んからカローラの使用許可が下りたのはラッキーだったかと。 スポンサーの意志が変わらないウチに、藤原と一緒にゴマスリ攻勢。 こないだ貰ってきて、そのままトラックに積みっぱなしになっていた薪を降ろしてみたり、 車輪を外したままになっていた門扉に車輪を付けてみようとしてみたり(これは失敗)、 6月の28日に擦っちゃったままになっていたカローラのバンパーを白く塗ってみたり。 で、こうなるとひとつ問題が生じます。元の計画が東海道を進む旅行であったため、 一回横浜で泊まりつつ準備をする予定でいました。つまり、藤原の支度が殆ど出来ていないのです。 「橘屋:やっぱり君んち行って支度するしかないよねぇ……」 「藤原:そりゃまぁ…………」 「橘屋:まぁ、今日一日で往復出来ないことでもないから、一丁行ってきますか」 横浜まで、通常で有れば片道3時間半。往復すると7時間見当。明日横浜から出るってオプションも有るんでしょうけど、 それでは明日一日の負担がいささか大きくなりすぎるような気もします。 という訳で、午後の2時を過ぎてから、明日から東北地方を爆走するウォーミングアップの名目で、 長駆横浜まで往復するという暴挙にでることにしました。 道路が全体的に流れていたお陰で、当初の目論見通り3時間半ほどで横浜着。 藤原がいそいそと支度するのを横目に見ながら、帰りのために体力回復を期してゴロゴロしていました。 近くのガストで晩飯を食った後、8時半頃横浜を出ました。 流石に夜だけあって環八も空いています。超高速で流れる井荻トンネルに恐怖しながらバリバリ進み、 11時ちょっと前、へろへろになりながらも橘家に到着。 熊谷に入った辺りでまだレポート出していなかったことに気付いて、市内の中央郵便局に行って来たのは秘密です。 チャットその他で明日から暫くいない旨の挨拶をして回った後、明日に備え、泥のように眠りました。 流石に疲れましたわ…………
8月30日 結局何とかで道徳教育論のレポートを仕上げまして、郵送する準備を済ませます。 8時半過ぎ金ちゃんが迎えに来てくれて、宮原の先生のところに向かいます。 大分仕上げの段階に近づいてきて、作業がどんどん加速していいます。 ……レポート疲れで今日はあんまり戦力にならなかったんですけどね…… ヘロヘロになって帰ってきた後、明日から(正確には明後日から)の紀伊半島への爆走旅行に備えて、 藤原がご実家の10年物ミニカに乗って到着しました。 出発は明日なので、特に急いで準備するでもなく、色々と雑談していました。 藤原に自分のベッドを譲り、弟の部屋で寝ました。 寝る直前になって、肝腎のレポート郵送していないことに気付いたワナ。 っていうか、机の上に封筒ごと置きッぱなしってのは…… 明日朝イチで先生のところに電話しなくちゃ……(涙)
8月29日 てな訳で、明日の作業に間に合わせるべく作業を進めたいと思って、早い時間からパソコンに向かってみましたが、 案の定いつもの通りに作業は進まず。 仕方ないので、明日までに上げて郵送しておかないとちょっとヤバ目のレポート(道徳の指導案)を コリコリと進めることにしました。が、やっぱりこちらも進まず。 この授業をとれないと後期の授業計画がかなり苦しくなるというせっぱ詰まった状況にも関わらず レポートの神様はなかなか下りてきませんでした。 開き直って、プロットだけを作った後作業を一旦放棄。休息をとりながら自分を追い詰めることに専念し、だらだらして過ごしました。 チャットしたり、ようやく進み出した作業を進めたりしているウチに、 午前の3時過ぎにようやく神様が下りてらっしゃいました。 1時間ちょっとでレポートは完成。何でこれがもっと早い時間にできないかな………………

過去の日記(インデックス)へ  前へ 次へ
橘屋入口へ