「バイク乗りという生き方」

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 世の中には2種類の人間がいる。バイク乗りか、バイク乗りでないかである。
 これを何かの台詞みたいに格好良く書いてみると、「人は2種類にわかれちまうのさ。バイク乗りとバイクに乗らねぇ奴らだ。」という感じだろうか。でも、全然格好良くないな、これ。
 とにかく、バイクに乗っているかどうかで、2種類のタイプに別れてしまうのである。というか分けてしまう事が出来るのだ。元バイク乗りで今はバイク乗りでない人間はどちらに分類するか疑問を持たれる方もいるとは思うが、これは後者に当てはまる。バイクを「降りた」人間はバイク乗りではない。少なくとも、現時点で乗れるバイクが無くても乗る準備をしている状態の人間のみが、バイク乗りとして認定される。
 ちなみに、スクーターやスーパーカブのような実用車は、このバイクの定義内には含めていない。これはこの両タイプでは、本質的にバイクという車種の発生の経緯や現在のバイクとしてのあり方が多少異なるからである。

 バイクは基本的に趣味の為の乗り物である。250cc以上の排気量を持つ仕事で使われるケースはバイク便という多少ニッチな業種以外は、見世物としての要素を持つ特殊な業務だけしかない。
 この理由は簡単である。バイクとは、夏は暑く冬は寒く雨が降れば濡れて雪が降れば動けず風が吹けばよろけ接触しただけでも怪我をする可能性が高く荷物もロクに積めず人も運転者以外には1人しか運ぶことが出来ずでも高速料金だけは2人乗りが許されていないのに軽自動車並みの金額を取られ、なにより足かスタンドで支えていないと止まった瞬間に倒れてしまうような不便な乗り物であるからだ。もちろんこんな不便で酔狂な乗り物に乗ろうなんて考える奴は少ないし、たとえ若気の至りで乗っていたとしても、そのうち車に乗り換えるのが賢明な人間の行動だ。それを延々乗り続けているような人間は、バイク乗りとして世間一般の人間とは区別しておかなくてはいけない。
 そう、バイク乗りとは、異端を好むマゾヒスティックな少数派であるのだ。この近代民主主義の社会の中では、迫害され圧力をかけられているのも当然であろう。

 ここまで延々バイク乗りがどういうものか説明をしてきたのであるから、私がどういう人間なのかは賢明な皆さんにはすぐに分かるであろう。そう、バイク乗りなのである。
 実はバイク乗りというのの中でもいくつか種類が分けられるのだが、私は「ヨーロピアンキャンプ系ツアラー」というのに分類される。要するに、ヨーロピアンというタイプのバイクで、キャンプをしながらツーリングをするのが主な使用用途である、ということだ。そのままな説明だなんてことを気にしていてはいけない。バイク乗りじゃあるまいし。もちろん、他の種類のバイク乗りもいっぱいいるのだが、それを説明するのは本意ではないので今回は割愛させて頂く。
 ということで、私はバイクに乗るだけならまだしも、それでツーリングと称する旅行を好むという面倒なタイプの人間なのであった。さらに、わざわざキャンプ場やらその辺やらでテントを張って寝てしまったりもする。思わず、自分で書いていてぞっとしてしまった。なんて厄介なタイプだ。
 さらに、この5月の連休(ゴウと略すらしい)で関西方面まで旅行に行って日本全県走破などということを達成したらしいのである。ふざけるのもいい加減にしろ、という感じである。あんな不便な乗り物で野宿をしながらこの広い日本の端っこから端っこまで真ん中もすべての都道府県を用もないのにうろうろしたなんて常識では考えられない理不尽な行為である。
 しかし、恐ろしいのはそれだけではなかった。そんな男に対してかけられた「じゃぁ次は海外だね」というものに対して「まだ行ってない島がいっぱいあるから駄目」なんて答えたりしているのだ。まだ、行き足りないのか。島に行き終わったら本当に海外に出るつもりなのか。そんな時間と金があると思っているのか。
 まぁ、バイク乗りなんかなのだから仕方ないか。

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