「神のナザレ人」

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 気が付くと、私は椅子に拘束されていた。体が自由に動かせない状態だった。目の前にある鏡には、私の後方に刃物を持った男の姿が映っている。そして、男は私の後頭部へ向かってその刃物を近付けるのだった。

 (完)


 というのは、嘘・おおげさ・紛らわしい、と3点揃っていてJAROにでも訴えられかねないのだけど、久しぶりに床屋に行ったのであった。

 何を隠そう、私はあまり床屋が好きではない。あ、別に床屋さんという髪を切ることを職業にしている通称理容師さんと呼ばれる人を好きだの嫌いだのという話ではない。床屋に行って髪を切ってもらうということ自体を、あまり好んでいないというだけの話である。怒んないで下さいね、全国の理容師の皆さん。

 好きでないのはいくつか理由がある。
 まず、一定の時間じっとしていなければいけない。これは、賛同してもらえるかどうかは疑問ではあるのだが、私は動かずにじっとしていることが苦手なのである。結果として動いていない、というのならまだしも「動いてはいけない」というプレッシャーの下に行動するというか動かないのだからまぁ行動しないのではあるのだけど、とにかく私にとっては非常に苦痛なのである。
 髪の毛というのが日々伸びていくものだというのに対して、切りに行くのはそれだけで面倒だというのも大きい。私自身は前髪が長くなっても殆ど気にならない質であるし、暫く伸ばしていたこともあったりして前髪くらいは自分でハサミを使って切り落としてしまえる。後ろの髪の毛がゴムで縛れるくらいまで伸びてしまえば、寝癖も気にならない。床屋に行く必要性の低い人間なのであった。
 また、費用の問題もある。普通の理髪料金は今や3,000円を軽く超えるであろう。これは1ヶ月に1回床屋に行くと、年間で40,000円程度の出費になってしまう。40,000円もあったら、生活するのだってしばらくは持つし、5、6回くらいは平気で飲みに行くことも出来る。1年間で4万円なら、12年半で50万、25年で100万円である。こうしてみると、この差額が大きいことが良く分かるかと思われる。何か計算の前提条件が正しくないような気がするのは気の性だ。
 この他にも、頭蓋骨の形状のせいで短い髪型が似合わないとか、平日は仕事があって行けず土日は土日で遊ぶ予定があって行く暇がないとか、様々な理由があって、とにかく床屋に行くのがあまり好きではないのであった。

 そうこうしていて1年以上も行かないまま済ませていた床屋に、久しぶりに行ったのであった。
 実は、髪を切ることにしたのは、理由がある。僕の髪が肩まで伸びて君と同じ長さになったら結婚しよう街の教会で、と言っていたのに結婚してくれなかったのだ。
 というのが本当であれば大きな理由、かつネタにはなるだろうけれど、そんな恋人などはいやしないのであった。だいたい髪が伸びただけで結婚してくれるんなら、いくらでも伸ばす心構えはあるというか、もう3、4回は結婚している筈である。
 本当は仕事で不祥事を起こしてその責任を取ったとか、失恋したなんて理由も考えていたのだが、そんなスペクタクルな出来事も発生しやしなかった。だいたい、誰に失恋するんだというんだ。全く。
 ということで、まぁ面白い理由なんてものはなかったのでこの件は省略するとして、あ、もし面白いのが思い浮かんで教えてもらえたら採用するかもしれないですけど、まぁそれはそれとして省略するのは省略するとして、床屋でひたすらに延びた髪を切って貰っていたのであった。

 床屋のおっちゃんは根元から一気に短くしたりはせず、1年以上床屋に行ってない状態から3ヶ月は行ってない状態まで切り進めてから、本格的に短くするという作業の進め方をしていた。手間がかかるのは仕方ないし、下手に根元から切って失敗されるのよりは、確実に馴れているやり方の方がいい。などと思っていると、おっちゃんの仕事は終了したのか若い兄ちゃんに代って髪を洗い始めた。
 なんか異様に泡立ちがいいなどと思っているうちにシャンプーも終わり、髪を洗い流した後でマッサージを始める。
 こらこら、頭をとんとん叩くでない。なんか、笑ってしまうではないか。ほら、一生懸命こらえているのになんか顔が嬉しそうにしか見えない。全然嬉しくないのに。と思ったのもつかの間、今度は肩を揉んでのマッサージ。いや、俺はそれが嬉しいんじゃないんだって。だから、さっきまでの澄ましたというかちょっと我慢しているような顔だったのが、笑みを浮かべて嬉しそうに見えるのは気の性なんだって。
 あ、今度はドライヤーか。熱いぞ、兄ちゃん。俺は普段ドライヤーとか使わないんだから。あち、あちち。あ、この兄ちゃんも髪の毛を変な風に寄せるのか。若い兄ちゃんだから、おっちゃんが良くやるような髪の毛の固め方はしないかと思ったのになぁ。しかし、熱いぞ。

 かくして、苦難の末に久々の床屋行は終了した。いや、行というほどの修行ではないのだ。というか、最初っから修行ではないのだけど。
 しかし、今回もやっぱり不自然に髪の毛が分けられている。なんで、必ずこういう髪型にしたがるんだろう。理髪店協会推進とかになっているのだろうか。
 しかも家に帰ってシャワーを浴びると、髭剃り後が染みて痛いのである。

 だから私は、床屋に行くのが好きじゃないのだ。あ、また染みた。いてててて。

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