「宴席にて」

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 それはいつもの飲み会で起こった出来事だった。
 いや、正確な表現をするとその場は「いつもの」という贔屓の店で何気なく注文する時に使われる省略形のような意味合いからは、かなりかけ離れていた。しかし我々が集まった瞬間には、その空間は「いつもの」という形容詞が似合うような雰囲気になるのであり、そういう意味ではやはりそこもいつもの飲み会の場であった。

 我々といっても普段の生活の場は別であり、仕事も住んでいる地域も違えば、飲み会にかける情熱もそれぞれ違う。私のように飲酒行為をこよなく愛し、機会があればそれを逸することがないように常に注意するする人ばかりでもなく、どちらかと言うと普段の生活ではアルコールを摂取しない人の方が多い。ただ、馬鹿な話を肴にそういう場を構成することに満足を覚えるタイプの人達の集団ではある。
 そんな我々であるから、なにか催し事があるとそそくさと居酒屋へと繰り出すことも珍しくない。飲酒が目的でその催し事へ参加することすらある。常に違う店で飲んでいるようなこの集団では、どこで飲んでいても珍しくない。その回が珍しかったのは、それが結婚式の二次会という席であったというただ一点に尽きるのであった。

 もちろん、披露宴であろうと通夜の席であろうと顔を突き合わせて飲酒行為に入れば、その空間をいつもの飲み会の場へと姿を変えさせてしまう我々である。結婚式の二次会程度ではそんな大きな違いは無い。そう、その筈であった。しかしそんな「いつもの」飲み会に近い雰囲気から我々を引き戻したのは、飲み仲間でありかつ今夜の主賓というか名目というかまぁとにかくその新郎が言った一言だった。
 それは出席者がある程度揃い、まさしく最初の飲酒へと入る前の神聖なる儀式であるところの乾杯を心待ちにしていた時だった。新郎の友人だという司会の兄ちゃんは、「では乾杯の音頭は、Aさん(仮名)にお願いします」と、我々の最年長の仲間であるところのA氏を指名したのだった。

 A氏は普段から最年長であるにも関わらず軽いフットワークと最年長ながらの存在感とで、この飲酒愛好集団の主要構成人員となっている人である。大胆な発言と偉ぶったりしないその態度が我々に与える影響力は大きく、もうちょっと自己の趣向に走らなければ大人物であっただろうと噂されたりする人物だ。
 その彼が新郎の昔からの友人や会社の同僚を差し置いて挨拶をすることになったのだ。我々としては盛り上がらざる負えない。A氏の顔はといえば、「せめて前もって言っといてくれよ〜」と困惑気味というよりは心底その役割が憎いかのような顔になっている。
 ここでA氏が気の効いたジョークとともに軽快に挨拶を終えたのであれば、そのA氏の凄さを再認識し、伊達に年を食ってるわけじゃないですねぇ、などと賞賛しつつそのジョークを肴に飲酒活動に入るところであった。

 しかし、A氏の行動は違った。なんとか無難に挨拶をまとめて「乾杯」といい終えるやいなや、形式的にワイングラスを上方に掲げ上げたりせず並々注がれていたワインをすすりこんだのだ。
 そしてみんなが「かんぱ〜い」と能天気な声で飲み始めたと見るや、A氏は役目をなんとか果たしたとばかりに一目散に我々の席に戻ってきた。「手が震えちゃってるんだ」と弁明しつつ、まだグラスに残っていたワインを床とテーブルに撒き散らしながら。確かにテーブルの端や床には赤ワインが血のように飛び散っている。手の震えは、我々の極一部のメンバーがアルコールを長時間切らした時に出るような細かい震えではない。そのままシェイカーを握らせれば、立派なカクテルが作れるのではないかというダイナミックな動きであった。

 いつもは悠然と構えているA氏のこんな姿を見たのが始めてであった私達は、大笑いしながらその震える手を見つめていた。口々に「いいネタだった」「もうこれが見れただけで今日は来た価値があったね」などと当人の当惑をよそに勝手な発言をして、大いに盛り上がったのだった。
 さすがに再度指名された締めの挨拶は、予測したのか逃げたのか震える間も無く「一本締め」ということで速攻で終わらせたA氏だが、今後も我々の飲酒活動員として我々を楽しませてくれることを期待したい。
 しかし、結婚式の二次会というものがこれほどまで楽しく有意義であるとは知らなかった。これはやはり飲み仲間でもある新郎の、人徳の賜物というやつであろう。

 ということで、結婚おめでとうございます。お幸せに。

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