<Back HOME> <掲示板へ>
<Back to WORKS>
ある光
written on: April 11th, 2000
命という不思議な現象を、こんなに誠実に、真摯に見つめてとらえる事のできる人が他にいるのだろうかと、私は思う。
「ある光」という、毅く輝くダイヤモンドのような歌を聴き、口ずさむとき、私はギリギリまで神経を鋭くして小沢をとらえようとし、そして改めて感嘆に息を呑む思いになる。
この人は、なんとしなやかで、なんと毅いのだろうと、涙が出そうになる。
「ある光」という歌は、一見意味が掴めない、不可思議な言葉のつながりを持っている。
かといって、別段新奇さをねらったわけでもなく、それは小沢の心から生まれた、あらゆる意味で洗練されきった詞であり、詩であり、歌である。
進む道があり、歩く道があり、人がいて、自分がいて、出会うこともあり、別れることもあり、毎日私は息をして生きている。
飛ぶように過ぎる時間の中で、ふと立ち止まって見渡した風景のような「いのち」そのものが『ある光』という8分の曲の中にすべてぎっしり詰まっている。
言葉と言葉のニュアンスが絡み合い、フラッシュバックするように、目に刺さる冬の日差しや、人いきれや、街の音が私を包む。
Let's get on board!
たった3拍の中に詰め込まれた声に背中を押される。
命の毅さ。美しさ。立ち止まることのできない「生」そのものの神秘と喜びと悲しみとが、一片の隙もなく、無駄もなく、歌の中で謳われる驚異。
生きることを喜ぶという、そのことをもう一度教えてくれる。
死を嘆き泣いたとしても、また生きている限り歩くのだということをもう一度教えてくれる。
人の命の強さ、はかなさ、美しさ。
全部全部がつめこまれた、奇跡みたいな曲。
命そのものを愛する小沢だからこそ書くことのできた奇跡みたいな曲。
生きることは決してつらいことではない。なにがあっても生そのものはそれだけで輝くように美しいものだと、信じることができる。
みだりには歌えない。
これは、敬虔な、そう、小沢自身がそのまま歌うように、きわめて「敬虔な」思いをこめて心の底から歌う「うた」なのだ。消費される歌ではなく、魂の底から紡ぎだされた「生きる」ための歌なのだ。
命の理を知る、小沢健二という類い希な人の手で書き出された歌。
なんと毅くて、しなやかで、悲しくて、美しくて、まぶしい歌なのだろうと、私は思う。
大切な人を、もし失ったとしても、きっと私はこの歌を思って歩くことができきると、そう思う。
どれだけ傷ついた魂でも、きっと救われるすべはある。
もっともっと毅く、しなやかに生きたい。生き抜きたい。
避け得ない「死」がいつか私の身におとずれるその時まで、精一杯息をして地に足を着けて、背を伸ばし、腕を広げて生きていきたいのだ。