SAKUE GLOSSARY
Artist
アーティスト 画家になろうと思ったのは12歳のころ、
絵ばかり描いていたらあっという間に80歳になっちゃった。

Alcohol
酒 血の一滴です。

湖A Lake A 1961 

Arai Tatsuo
荒井龍男さん。自由美術の先輩で、モダンアート協会創立委員。この人には影響されました。
画家を志して親に勘当されて上京した僕は、アルバイト生活で学費も画材を買う金もなく、
親からは帰ってきなさいと手紙が来る日々。自由美術に入選したことで知り合ったので、
荒井さんのとこに遊びに行ったら、「大森君、それは絶対やるべきだ」っていわれて、
「めしでも食ってくか?」といって外の野原に行くわけです。野草を集めて帰ってきた。
僕は貧乏だったけどそんなことをしたことはなかった。こいつはすごいって思いましたね。
野草入りのお粥ををごちそうになりました。うまかったよ、ものすごく。


      
Between abstraction and embodiment
抽象と具象の間 僕の絵は、かりに抽象画と具象画という2つのスタイルがあるとすれば、
その間をちょうど時計の振り子のように行ったり来たりしながら制作しているといえるでしょう。
Color
色 その日に使う色をパレットに出して、余ったら夕方全部捨てるの。
もったいないよ。でも、色は毎日違うものだから。
昔は絵の具を買うお金がなくて、白と黒と茶色だけで絵を描いていたこともありました。


 
島 Island 1964                        陸 Land 1965

Composition
構図 僕の作品を見て、そこに何か難解な構図論があるのではないかと思っている人が、
意外に多いようです。僕のそれは、構図論というよりも、
画面に物が正しく存在しているかどうかの問題なのです。

Drawing
描くこと どんな人にも、その人が生きているかぎり表現したいという内容があるはずです。
絵を描くとは、人それぞれに違うこの独特の内容を、確認することにほかなりません。
そしてそれは、数多く描いたからといって確認できるものではなく、
いつも自分の内面を凝視して描くという鍛錬を怠らないようにすることです。

Exhibition
個展 1941年12月初旬(22歳)、高松市池田屋デパート3階で第一回大森朔衞個展を開催し、
油彩画20点を出品する。「25年間は絵をやめた」といってすでに高松に帰っていた
木村忠太がこの会場に現れ、「また絵をやるぞ」といい、二日後、颯爽と上京していった。

Fuchu
府中 1955年結婚して移り住みました。中央線の国分寺から歩いてくるとね、真っ暗なの。
でも、昔は空気が甘かったよ。
Graduation
卒業 日本美術学校卒業ということになっているけれど、3ヶ月くらいしか通っていないの。
親の援助なしで上京したから学費が続かなかった。
画家としてなんとかなったので田中泰裕校長の特別認可により卒業したことになっているの。

Hijikata Teiichi
土方定一さん 土方さんがね、「大森朔衞が行動美術に入ったか!」ってうれしそうに
行動展の事務所にいらしたよ。うちわで扇ぎながらね。
当時の東京都美術館は涼しくなかったからね。僕の絵の批評をよく書いてくれた方です。
K氏賞は鎌倉のKですからね。受賞後、鎌倉の近代美術館を訪ねていきました。

 
'60海峡 Channel '60 1960                                 陸 Land 1962

Inokuma Genichiro
猪熊弦一郎さん 同郷の先輩です。僕が県展の賞をもらった時の審査員。
上京してから木村忠太とお宅を訪ねたこともある。
最後に会ったのがミキモトホールの個展に行ったとき、僕の手を握って離してくれなかった。
丸亀の美術館のオープニングに行けなかったから、ここに来て写真を撮って、
「行ってきましたよ」と猪熊さんに手紙を送ろうと思っていたが、もういない。

1993.5 丸亀町立猪熊弦一郎現代美術館前にて  
                      
Just as a painter
ただ画家としてのことをやるだけです。
僕はなるべく他のことを、あれこれひろげないようにしているの。
一日絵を描かなければね、一日、人から遅れるのですよ。

K-shi award K氏賞 1960年のこの受賞から絵で食べれるようになった。
 
  陸Land1960 神奈川県立美術館所蔵 K氏賞受賞作品

Kimura Chuta

木村忠太(1917−1987) 僕の親友だな。高松時代からの友達。
上京してからもよく会った。
松本俊介の自画像は,二科展(昭和17年)でいっしょに見たよ。二人ともこれはいいなってね。
彼が渡仏してからたまに手紙をやり取りしていた。僕もパリに行って十数年ぶりに再会した。
好き嫌いも激しいやつだが、僕とは、気が合いましたね。とてもね。


木村忠太氏からのカード 

Kodobijutu
行動美術協会 1958年に出品して、翌年から会員。
堅苦しくなくて自由な感じでよかったです。
だから長くいたでしょ。1999年に体調を崩してスパッと辞めたけどさ。

絶端 End off of the edge 1971

Life 画家の人生は股旅ものです。よくやったほうだと思いますよ。
Light 採光が悪い日に絵は描かない。歯が痛い日もだめね。
Mori Yoshio 森芳雄さん。自由美術家協会展に僕が4点出品して2点入選したの。
事務所に森さんがいらしてね、「他の絵もいいんだから全点入選させろ」ってね、
僕が怒鳴り込んだんですよ。森さんはね「審査で決まったからだめだ」というわけですよ。
「じゃあ、全部持って帰る」「いや、それは困る」って、押し問答です。
結局2点置いてきたけど。森さんは「大森君、僕は君の事を一生忘れないぞ」って
怒りに震えながら涙を流していた。
いや、僕も悪かったよ。えっ、いま?今は仲いいですよ。


Musashino Art University 武蔵野美術大学 60歳の時、突然、大学教授になって
というんですよ。週に2日も行ったら絵を描く時間がなくなっちゃう。
断ったら文化庁の特例で1日でもいいからということでしょ。
それに、森芳雄さんが退官時に僕を推薦したときいて、引き受けたよ。
生まれて初めて初任給というものを受けとりました。


Modern Art モダンアート協会 
創立直後に連絡がきてね、今度こういうのつくったから、
参加しないか?ってね。
会員第1号です。荒井龍男さんでしょ、山口薫さんでしょ、
自由美術の先輩たち。
第一回展で会員努力賞をもらったよ。
えっ、その絵が観たいの?
焼いちゃったよ、うちの庭で。


1957(昭和32年)4月 銀座村松画廊にて個展 38歳
New
一番新しく流行するものが最も早く古いものになるんです。
わかる?
Ohara Museum
大原美術館 昭和8年に14歳のとき高松から船に乗って一人で行ったよ。
みんなが、いい美術館ができたって話してるの。
僕は行ったことのある人をさがしたよ。
でもね、学校の美術の先生も、周りの大人たちは誰も行ってないの。
だから行くことにした。お母さんにおにぎりをつくってもらってね。
入り口にわらじが並べてあって、
用務員さんがお茶をいれてくれましたよ。
本物の油絵をはじめて観たよ。
それもまとめてね。
1990.10.3 倉敷にて   渡欧中のスケッチ  


Paris, Ile St.Louis
裸婦 パリにて Nude,of Paris 1969


パリ、サン・ルイ島 2年間住んでいた。
古いホテルの屋根裏部屋にね。
1968年、久保孝雄くんと山口薫さんの

骨をひろって、6月に横浜から船で、
さらにシベリア鉄道で行ったよ。
木村忠太に十数年ぶりに逢えたよ。




対岸(わが窓より) Confronted shore(from my window) 1979
Question
質問 油絵科の学生が僕のとこに就職相談に来たよ、「先生、就職先ありませんか?」って質問。
「えっ?君は画家にならないの?」って僕はびっくりして思わず聞き返しちゃったよ。
Runaway to Tokyo
家出 画家になりたくて反対されてね、でも絵の勉強なら東京だと思って、17歳で家出したの。
何日もかけてやっと、東京の親戚の家にたどり着いたら、「こらっ」って怒られたよ。
先に連絡が届いていたの。
でも、帰ったら親父が「おまえそんなに画家になりたいのか。
画家はなれるかどうかわからないから援助はしないぞ」ってことになったよ。
21歳のとき、親父は死んだ。最後に「お前大丈夫か?」って聞くんだよ。
僕が「大丈夫だよ」っていったら、しばらくして死んだな。


絵をクリックすると朔衞のインタビュー記事が見られます Self-portrait 
自画像 復員した時にようやく手に入れた紙に描いた。今の自分を。


←絵をクリックすると朔衞の
インタビュー記事が見られます
復員の自画像 Self-portrate of veteran 1946
Shoudoshima Island 
小豆島 3歳で高松に移ったけど、よく遊びに行ったよ。1953年にスケッチ旅行もしたよ。
途中で「二十四の瞳」のロケ隊に出会った。寒霞渓、銀波浦。
きれいなドラマチックな風景がたくさんあるの。ドラマチックなことが好きですね。


  1993.5 小豆島土庄町にて

Sesami Oil ごま油 子供のころ、油絵には植物性の油を使用すると本で読んでね。
台所のごま油を溶き油にして絵を描いてみた。
乾くのに半年かかった。
この経験で僕は油の種類によって乾燥速度が異なることを知りました。
Takamatsu
高松 3歳から17歳まで高松で育ったよ。
高松に帰ると訪ねるのは栗林公園。
子供のころよく遊びに来たよ。大きな松の木が好きで、
太い幹に両手をあてて目をつぶっていたよ。
このあたりで、『そてつ』の絵を描いたよ。
その絵は戦争で焼けた。
高松の実家にあった絵は全部戦争で焼失したの。

長野の友人が持っていた「讃岐路豊穣
を、
戦後、別の絵と交換して返してもらったの。


1990.10.4 栗林公園内『そてつ』のそばで
この絵をクリックすると
X線撮影によって現われる
『そてつ』の絵が観れます。
讃岐路豊穣 Laxuriance of the Sanuki 1942

Toumonkai
燈門会 法政大学の美術研究会で指導しました。
行動美術の田中忠雄さんが渡欧するので代わりに僕を呼んだの。

Universe
宇宙 画面は画家にとってひとつの精神の宇宙だという考えを持っている。
小なりといえども、作者自身の宇宙であると思っている。
色、点、線、面、マチエール、これらの造形言語のそれぞれは、”星”だと思っている。
星々の相互のつり合いによって、宇宙の形成されるものであると信じている。
宇宙の形成。”星”はそれぞれ関連呼応して、在るべきところにゆるぎなく在らねばならない。
そうでなければ宇宙は崩壊する。(1988.10)

 上流 Upstream 1970
Vermeer フェルメール 好きなの。世界の宝物だもん。画集あるよ、観る?
Value 価値 多くの人が、どんなにすばらしい、価値のあるというものでも、
自分にはつまらなく思えることがよくあります。逆に人の見向きもしないようなものが、
自分にとっては非常にすばらしいものだったりすることがよくあります。


War
戦争 召集令状は3回いただきました。敗戦の知らせは10日遅れてスマトラ島に届いた。
もう何もかも終わって一瞬透明な感じになったの。
きっと捕虜になって絵なんか描けないし。捕まるなら自決しろと教えられていたし。
それならって思って、やったわけです。あそこで死んでたらバカみたい。

X-ray
レントゲン撮影 僕は何度も撮影されたよ。酔って転んで頭を打った時なんかにね。
絵画作品のX線写真
 市邑 Cityscape 1992
Yamaguchi Kaoru
山口薫さん。自由美術、そしてモダンアートの先輩。
上野公園でばったりお会いした時、「大森くん僕はここで教えているのだよ」って
芸大を案内してくださった。

ZaYuNoMei (Motto)
座右の銘 「急がば廻れ、悠々と」
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